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広橋国光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
広橋国光
時代 戦国時代
生誕 大永6年5月19日1526年6月28日
死没 永禄11年11月12日1568年11月30日
改名 国光→尊寂(法名)
諡号 後引接院
官位 正二位権大納言、贈内大臣
主君 後奈良天皇正親町天皇
氏族 広橋家
父母 父:広橋兼秀、母:勧修寺政顕の娘
兄弟 国光庭田重保室、保子国子
高倉永家の娘、烏丸光康の娘
兼勝輝資日禎
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広橋 国光(ひろはし くにみつ)は、戦国時代公家。号は後引接院。法名は尊寂。官位は正二位権大納言正親町天皇に仕える。

系譜

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関連項目

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先代
広橋兼秀
広橋家当主
第13代
次代
広橋兼勝