平野長純
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平野 長純(ひらの ながずみ、延享2年4月7日(1745年5月8日)- 文化6年11月29日(1810年1月4日))は、大和交代寄合表御衆田原本7代領主。父は平野長里、母は平野長暁の娘。正室は堀直寛の娘、継室は毛利広豊の娘遊。通称は徳三郎、中務。姉に酒井忠和(大膳)室、兄に長次郎(早世)、弟に長人、久之丞、長常(平野長好養子)、長淑、ほかに妹3人。子女に女子、平野長興、常五郎、万五郎、女子。
安永7年(1778年)12月12日、父の長里が隠居し家督を継ぎ、代々である柳間詰めとなった。文化3年家督を子の長興に譲る。
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