川上町 (鹿児島市)
川上町 | |
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町丁 | |
北緯31度39分39秒 東経130度33分28秒 / 北緯31.66096477度 東経130.55765756度座標: 北緯31度39分39秒 東経130度33分28秒 / 北緯31.66096477度 東経130.55765756度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 吉野地域 |
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在) | |
人口 | 4,487 人 |
世帯数 | 1,934 世帯 |
郵便番号 | #郵便番号を参照 |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
町字ID[1] | 0030000 |
運輸局住所コード[2] | 46500-0572 |
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川上町(かわかみちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市の町[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在川上村、鹿児島郡吉野村大字川上。郵便番号は「#郵便番号」を参照。人口は4,487人、世帯数は1,934世帯(2020年10月1日現在)[5]。
地理
[編集]鹿児島市の北部、稲荷川流域に位置している。町域の北西部には稲荷川上流に小規模な盆地が広がっている[6]。町域の北方には宮之浦町、北方から西方にかけては岡之原町、南方から東方にかけては吉野町、南方には下田町、西方には西伊敷、緑ケ丘町がそれぞれ隣接している。
町域の東部にある吉野台地上(花棚地区)を鹿児島県道16号鹿児島吉田線が南北に縦断しており、吉野町と川上町の一部を区域として吉野地区土地区画整理事業が1992年より事業に着手し区画整理と共に県道16号の拡張工事が行われ、それに伴って沿線に商業施設が建設されたことにより交通量も増加している[7]。また西部にあたる盆地の区域には鹿児島県道25号鹿児島蒲生線・九州自動車道が通る[6]。
河川
[編集]- 稲荷川
- 花棚川
- 西牟田川
郵便番号
[編集]日本郵便の「郵便番号検索」によれば川上町の郵便番号は以下のとおりである。
- 891-1275 - 3649、3661、3667、3669-4、3671、3672、3674、3701、3704、3723-3、4128、4132、4133、4138、4203、4209、4215、4236-1、4238、4241、4242、4244番地[8]
- 892-0875 - 上記番地以外[9]
歴史
[編集]前史時代
[編集]前史時代を含む遺跡としては川上町の区域では「加栗山遺跡」(現在の九州自動車道本線上、現存せず)、「加治屋園遺跡」(現在の九州自動車道鹿児島本線料金所付近)が発見されている[10]。
九州自動車道と鹿児島県道25号鹿児島蒲生線が交差する付近に発掘当時としては大規模である縄文時代から中世の川上氏の居城とみられる中世山城の遺跡までより構成される複合遺跡である「加栗山遺跡」が発見された[10][6]。遺跡からは縄文時代早期の貝殻文土器の円筒土器、角筒土器の前平・吉田式土器を主体とした土器や竪穴建物跡が発掘されたほか、中世の山城からは土師器や椀や皿・羽釜が発掘された[11]。
九州自動車道の建設に伴い鹿児島県教育委員会によって1975年(昭和50年)から1976年(昭和51年)までに発掘調査が行われたが、九州自動車道の建設計画を変更するのは困難であるとして遺跡群の一部を鹿児島県立埋蔵文化財センターに移設したほかは九州自動車道の用地となった[7]。鹿児島県歴史資料センター黎明館に加栗山遺跡から出土した吉田式土器の深鉢が展示されている[12]。
また、加治屋園遺跡も加栗山遺跡と同様に九州自動車道の建設に伴う発掘調査によって発見された旧石器時代から中世に至るまでの遺跡であり、旧石器時代から縄文時代初期の土器や石器や、縄文時代の土器片など114点が発掘されている[10][13]。
中世の河上
[編集]河上という地名は室町時代より見える地名であり、薩摩国鹿児島郡のうちであった[4]。島津貞久の長子である頼久の子である川上親久が川上邑に封ぜられて川上氏を称した[10]。応永11年(1404年)の島津元久宛行状に「薩摩国鹿児嶋群河上村事」と見え、島津元久から川上氏の川上家久に宛がわれた[4][10]。中世の川上氏の居城は前述の加栗山にあったとされ[4]、加栗山の「川上城」は天文4年(1535年)の島津勝久の攻撃にも耐えたとされる[10][14]。
近世の川上村
[編集]江戸時代の川上村は薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであった[4]。村高は「天保郷帳」では983石余[4]、「郡村高辻帳」では983石余[10]、「三州御治世要覧」では801石余[10]、「旧高旧領取調帳」では1,142石余であった[4]。川上村は鹿児島近在のうちでも「遠名」として扱われていた[15]。川上村ではコメ、うるち米、ソバ、大麦、小麦、アワなどが栽培されていた[4]。
宝暦3年(1753年)の検地の際には花棚村は川上村の花棚方限となっており、川上村のうちであったとされるが、嘉永元年(1848年)の「薩隅日諸外城御高記」によれば川上村から分村して花棚村となっていたとされる[16]。「鹿児島県史」によれば明治4年に花棚村(けだなむら)の全域が再び川上村に編入された[4][16]。花棚村は室町時代から見える地名であり、江戸時代には薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちであった[17]。花棚村の石高は「天保郷帳」では565石余であった[17]。
1879年(明治12年)には川上に菅原小学、花棚に日枝小学が開設された[18]。これらの小学と岡之原(現在の岡之原町)の原小学、下田(現在の下田町)の小高小学を統合して1893年(明治26年)に川上尋常小学校(現在の鹿児島市立川上小学校の源流)が設置された[18]。
町村制施行以後
[編集]1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島郡鹿児島近在のうち吉野村、川上村、岡之原村、坂元村、下田村の区域より鹿児島郡吉野村が成立した[19]。それまでの川上村は吉野村の大字「川上」となった[4]。
1934年(昭和9年)8月1日には、吉野村が鹿児島郡西武田村及び中郡宇村と共に鹿児島市に編入された[20][21][22]。同日発行の鹿児島県公報に掲載された鹿児島県告示「 鹿兒島市内大字名廢止町名改稱竝ニ區域變更」により「川上ヲ廢止シ其ノ區域ヲ川上町(カワカミテウ)ト」することが鹿児島県知事によって許可され、吉野村の大字川上を廃し、その区域を以て新たに鹿児島市の町「川上町」が設置された[23][4][24]。
1977年(昭和52年)7月11日に伊敷団地地区(伊敷団地周辺地区)において住居表示が実施されることとなった[25][26]。これに伴い、7月6日に鹿児島県公報に掲載された「町の区域の設定」(鹿児島県告示)により町域の再編が実施されることとなり、伊敷団地の区域にあたる岡之原町・川上町の各一部より西伊敷七丁目、岡之原町・川上町の各一部より緑ケ丘町が設置された[27][26][28]。1983年(昭和58年)には川上墓園(28,800平方メートル)が鹿児島市によって開設された[29]。
2015年(平成27年)2月2日には吉野地区(第1期)において住居表示が実施されるのに伴い[30]、吉野町・川上町・下田町の各一部より吉野一丁目、川上町・吉野町の各一部より吉野二丁目が新たに設置された[31][32]。
町域の変遷
[編集]変更後 | 変更年 | 変更前 |
---|---|---|
鹿児島郡川上村(編入) | 明治4年 | 鹿児島郡花棚村(全域) |
西伊敷七丁目(新設) | 1977年(昭和52年) | 岡之原町(一部) |
川上町(一部) | ||
緑ケ丘町(新設) | 岡之原町(一部) | |
川上町(一部) | ||
吉野一丁目(新設) | 2015年(平成27年) | 吉野町(一部) |
川上町(一部) | ||
下田町(一部) | ||
吉野二丁目(新設) | 吉野町(一部) | |
川上町(一部) |
人口
[編集]以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[33] | 4,893
|
2000年(平成12年)[34] | 4,906
|
2005年(平成17年)[35] | 4,108
|
2010年(平成22年)[36] | 5,111
|
2015年(平成27年)[37] | 4,108
|
2020年(令和2年)[5] | 4,487
|
文化財
[編集]県指定
[編集]- 鹿児島市川上町の田の神(民俗有形文化財)[38]
施設
[編集]公共
[編集]教育
[編集]- 鹿児島市立川上小学校[41]
- 川上幼稚園[42]
郵便局
[編集]- 鹿児島川上郵便局[43]
寺社
[編集]- 川上天満宮
- 本願寺鹿児島別院川上出張所
- 日枝神社
教育
[編集]小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[44]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
川上町 | 花棚 | 鹿児島市立川上小学校 | 鹿児島市立吉野中学校 |
その他 | 鹿児島市立緑丘中学校 |
交通
[編集]道路
[編集]著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ “日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年10月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 221.
- ^ a b “国勢調査 令和2年国勢調査小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)46:鹿児島県”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月10日閲覧。
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 683.
- ^ a b 川野裕和, 室園喬 & 五反田和美 2013.
- ^ “鹿児島県鹿児島市川上町(3649、3661、3667、3669-4、3671、3672、3674、3701、3704、3723-3、4128、4132、4133、4138、4203、4209、4215、4236-1、4238、4241、4242、4244番地)の郵便番号”. 日本郵便. 2021年11月7日閲覧。
- ^ “鹿児島県鹿児島市川上町(その他)の郵便番号”. 日本郵便. 2021年11月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 183.
- ^ 青﨑和憲. “加栗山遺跡”. 鹿児島県上野原縄文の森. 2021年11月7日閲覧。
- ^ “加栗山遺跡”. 鹿児島県 (2019年11月30日). 2021年11月7日閲覧。
- ^ 彌榮久志. “加治屋園遺跡”. 鹿児島県上野原縄文の森. 2021年11月7日閲覧。
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 263.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 403.
- ^ a b 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 184.
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 275.
- ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 879.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 487.
- ^ 中郡宇村西武田村及吉野村ヲ廢シ鹿兒島市ヘ編入(昭和9年鹿児島県告示第327号、昭和9年7月27日付鹿児島県公報号外所収、 原文)
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 783.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 600.
- ^ 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎 1955, p. 601.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 878.
- ^ 南日本新聞 1990, p. 777.
- ^ a b “かごしま市民のひろば(昭和52年7月号)”. 鹿児島市 (1977年7月1日). 2020年12月27日閲覧。
- ^ 町の区域の設定(昭和52年鹿児島県告示第820号、昭和52年7月6日付鹿児島県公報第7094号所収)
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 493.
- ^ 南日本新聞 1990, p. 718.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 829.
- ^ “かごしま市民のひろば(平成27年1月号)”. p. 6 (2015年2月1日). 2021年5月16日閲覧。
- ^ “80 住居表示実施 平成27年2月2日 川上町、下田町、吉野町→吉野1,2丁目”. 鹿児島市. 2015年2月2日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年1月31日閲覧。
- ^ “鹿児島市内の指定文化財等一覧表(令和3年7月1日現在)”. 鹿児島市 (2021年7月1日). 2021年11月7日閲覧。
- ^ “川上福祉館”. 鹿児島市. 2021年11月7日閲覧。
- ^ “鹿児島市内の墓地の所在地を知りたい。”. 鹿児島市. 2021年11月7日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 950.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 942.
- ^ “鹿児島川上郵便局(鹿児島県)”. 日本郵便. 2021年11月7日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 有田忠雄、河口貞徳、村田凞、稲葉行雄、村野守治、四本健光、紀野健一郎『鹿児島のおいたち』鹿児島市、1955年。
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史Ⅰ』 1巻、鹿児島市、1969年2月28日 。, Wikidata Q111372666
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史Ⅱ』 2巻、鹿児島市、1970年3月25日 。, Wikidata Q111372706
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅳ』 4巻、鹿児島市、1990年3月15日 。, Wikidata Q111372875
- 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392
- 川野裕和、室園喬、五反田和美「373ワイド ふるさと新聞川上町版」『南日本新聞』2013年9月17日、14面。
関連項目
[編集]岡之原町 | 岡之原町・宮之浦町 | 宮之浦町 | ||
緑ケ丘町・岡之原町・西伊敷七丁目 | 吉野町 | |||
川上町 | ||||
西伊敷七丁目 | 下田町・吉野一丁目・吉野二丁目・吉野町 | 吉野町 |