コンテンツにスキップ

崔岦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チェ・リプ

崔 岦
生誕 1539年
死没 1612年
職業 文臣
書家
テンプレートを表示
崔 岦
各種表記
ハングル 최립
漢字 崔 岦
発音: チェ・リプ
日本語読み: さい りゅう
テンプレートを表示

崔 岦(チェ・リプ、さい りゅう、朝鮮語: 최립1539年 - 1612年[1])は、李氏朝鮮光海君代文臣書家[1]

人物

[編集]

1555年進士となり、1561年に文科及第、1577年奏請使質正官として李氏朝鮮宗主国であるに赴く。その後、載寧郡守公州牧使全州府尹などを歴任し、1595年判決事を経て刑曹参判に至るが辞職、平壌隠居する[1]

崔岦は、朝鮮征服した後、箕子朝鮮を建国した中国殷王朝政治家箕子について、「朝鮮における箕子の存在は、周王朝における文王武王の存在のようだ」と主張し、箕子の功績を賛美し、朝鮮における箕子の存在を誇り、箕子の功績を繰り返し讃えている[2]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c “최립 崔岦,1539~1612”. 斗山世界大百科事典. https://www.doopedia.co.kr/doopedia/master/master.do?_method=view&MAS_IDX=101013000821086 2022年6月29日閲覧。 
  2. ^ 姜智恩 (2017年6月). “朝鮮儒者中華認同的新解釋 ─「天下」與「國家」的整合分析” (PDF). 中央研究院近代史研究所集刊 (中央研究院) (96期): p. 51-52. オリジナルの2020年2月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200216221629/http://www.mh.sinica.edu.tw/MHDocument/PublicationDetail/PublicationDetail_3253.pdf  {{cite news}}: |date=の日付が不正です。 (説明)