岩城隆長
表示
時代 | 明治時代から昭和時代 |
---|---|
生誕 | 明治10年(1877年)4月9日[1] |
死没 | 昭和20年(1945年)11月 |
官位 | 子爵 |
藩 | 旧出羽国亀田藩主家 |
氏族 | 岩城氏 |
父母 | 父:岩城隆邦 |
兄弟 | 岩城隆治、岩城隆長 |
子 |
岩城長生(長男)、岩城隆光(次男)、 岩城良長(三男)、岩城隆彰(四男) |
特記 事項 | 長男・長生の読音標記は「つねお」 |
1877年(明治10年)、元出羽亀田藩主・岩城隆邦の三男として生まれる。妻は南部信方の長女信(離婚)。1889年(明治22年)、兄・岩城隆治が夭折したため家督を継いで子爵となる。1891年(明治24年)7月、学習院初等学科を卒業。1905年(明治38年)、玉川電気鉄道の理事になる。1906年(明治39年)、東洋製糖会社や東京豚業株式会社の設立計画に参加する。その後、活発な起業活動が災いし、投資で詐欺に遭い、財産を失って岩城家没落のきっかけを作る。1908年(明治41年)12月に隠居し、父・隆邦に家督を譲った。明治42年(1909年)11月、父隆邦の申請により、法的に廃嫡となる。
その後、隆長は1945年(昭和20年)11月に69歳で死去した。
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.206
参考文献
[編集]- 『昭和新修華族家系大成』霞会館・吉川弘文館、1982年。
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 岩城隆治 |
子爵 (亀田)岩城家第2代 1889年 - 1908年 |
次代 岩城隆邦 |