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岩佐幹三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩佐 幹三(いわさ みきそう、1929年1月28日 - 2020年9月7日)は 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)顧問で、金沢大学名誉教授。

来歴

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福岡県福岡市出身。富士見町 (広島市) 修道中学校在学中であった1945年(昭和20年)8月6日16歳の時、爆心地から1・2キロの広島市富士見町(現同市中区)の自宅の庭で被爆し、母と妹を亡くして「原爆孤児」となった。

1960年に石川県原爆被災者友の会を設立。金沢大学で法学部長を務めた後、2000年から日本原水爆被害者団体協議会]の事務局次長、11年から代表委員、17年から顧問を務め、被爆者救済などに取り組んだ。

2016年には、オバマ米大統領(当時)の広島訪問に立ち会った。

2020年9月7日に膵臓がんのため死去[1]

2024年10月に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞した。日本でのノーベル平和賞受賞は1974年佐藤栄作以来50年ぶりとなった。

出典

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  1. ^ 被団協顧問・岩佐幹三さん、膵臓がんで死去 91歳 朝日新聞 2020年9月8日付配信記事