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山田奈々子

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山田 奈々子(やまだ ななこ、1932年12月16日[1] - 2022年11月22日)は、日本ダンサー東京都出身。

経歴

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東京都・本郷生まれ。幼少期よりより父・山田五郎高田せい子櫻間金太郎に師事[2]

1968年、第1回ソロ・リサイタルに向けての準備中、美術を担当していたワダエミの紹介により、詩人の吉原幸子と出会う。以降、吉原の台本・演出による公演に出演するなど、2002年に吉原が没するまで長年に亘り親交を深めた。

1979年には山田奈々子ダンス・グループを結成。2000年代に入っても精力的に活動を続け、2005年江口隆哉賞を受賞。

2022年11月22日、死去。89歳没[3][4]。死因について朝日新聞は腎不全[3]、東京新聞は骨髄異形成症候群[4]と報道した。

家族

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歌手・俳優の山田真二は実弟[2]

舞台

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  • 『山田奈々子ダンスリサイタル 不安な時代』1968年、虎ノ門ホール
  • 『山田奈々子ダンスリサイタル 原色人類図鑑』1970年、STATION’70
  • 『山田奈々子ダンスリサイタル’72 昼顔』1972年、ユニーク・バレエ・シアター
  • 『昼顔』1973年アートシアター新宿文化
  • 『血桜姫刺青(ちるさくらひめのいれずみ)』1975年西武劇場
  • 『鏡花饗艶〜高野聖』1977年俳優座劇場
  • 『春琴夢幻』1979年新宿文化センター小ホール
  • 『春琴夢幻』1981年博品館劇場
  • 『沙露姫(さろめ)天草異聞』1985年、博品館劇場
  • 『DANCE POETRY MUSIC』1986年、アメリカ巡演(ニューヨーク、ボストン、インディアナポリス)
  • 『DANCE POETRY MUSIC 〜アメリカ巡演報告ジョイントパフォーマンス』1986年、俳優座劇場
  • 『花魁』1988年、ABC会館ホール
  • 『幻櫻』1990年、ABC会館ホール
  • 『花炎~女優・松井須磨子1992年、ABC会館ホール
  • 『花炎~女優・松井須磨子』1994年東京芸術劇場中ホール
  • 『妖かしの時刻(あやかしのとき)』1996年、東京芸術劇場中ホール
  • 『それぞれのモノローグ』2000年、オリベホール
  • 『ジョイント・ダンス・リサイタル』2002年、俳優座劇場
  • 『モダンダンスリサイタル』2004年、俳優座劇場
  • 『山田奈々子モダンダンスリサイタル』2006年、俳優座劇場
  • 『ジョイントリサイタル』2008年あうるすぽっと
  • 『山田奈々子モダンダンスリサイタル』2009年、俳優座劇場
  • 『Joint Dance Recital』2011年、新宿スペース・ゼロ
  • 『Joint Dance Recital』2015年、あうるすぽっと

映画出演

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受賞歴

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  • 全国舞踊コンクール創作部門第1位(1961年)[2]
  • 第22回江口隆哉賞(2005年)[2]

脚注

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  1. ^ 山田奈々子メモリアル公演を成功させたい! - 2023年7月3日閲覧
  2. ^ a b c d e モスラ映画大全 2011, pp. 42–43, 聞き手・友井健人「インタビュー 舞踏家 山田奈々子」
  3. ^ a b “山田奈々子さん死去”. 朝日新聞デジタル. (2022年12月4日). https://www.asahi.com/articles/DA3S15492954.html 2022年12月5日閲覧。 
  4. ^ a b “山田奈々子さん死去 舞踊家”. 東京新聞 TOKYO Web. (2022年12月5日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/217952 2022年12月5日閲覧。 

参考文献

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  • 山田奈々子『踊る ことばたちが』一艸堂、2007年 
  • 『現代詩手帖特集版 吉原幸子』思潮社、2003年
  • 『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日。ISBN 978-4-86248-761-2 
  • 吉田悠樹彦「山田奈々子」『舞踊批評の肉声』彗人社 2022

外部リンク

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