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屋島町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やしまちょう
屋島町
廃止日 1940年2月11日
廃止理由 編入合併
屋島町古高松村木太村鷺田村太田村高松市
現在の自治体 高松市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 香川県
木田郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 10.41 km2
総人口 5,508
(1940年2月10日)
隣接自治体 古高松村
(海を隔てて隣接)
牟礼村庵治村
町長 森田惣吉[1]
屋島町役場
所在地 香川県木田郡屋島町大字西潟元字宮西1288番地の1[2][3]
座標 北緯34度20分49秒 東経134度05分53秒 / 北緯34.347083度 東経134.098083度 / 34.347083; 134.098083座標: 北緯34度20分49秒 東経134度05分53秒 / 北緯34.347083度 東経134.098083度 / 34.347083; 134.098083
地図
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屋島町(やしまちょう)は、香川県木田郡にあった

人口

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1920年(大正9年) 5,271人
1925年(大正14年) 5,244人
1930年(昭和5年) 5,481人
1935年(昭和10年) 5,628人
総務省統計局 / 国勢調査1935年

歴史

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町の中央に位置する山岳「屋島」の歴史は古く、天智6年(667年天智天皇が築いた古代山城屋嶋城」や天平勝宝6年(754年鑑真によって開創した屋島寺などが残っている。

麓の檀ノ浦(屋島東町)は1185年3月22日旧暦元暦2年/寿永4年2月19日)、源平合戦(治承・寿永の乱)における屋島の戦いの舞台となった有名な古戦場で、那須与一が扇の的を射抜いた話は後に『平家物語』でも描かれている。

近世明治時代にかけては地主の柏原家により戦前まで潟元など町の大部分を占めていた塩田が造られていった。

行政区域としては1890年明治23年)2月15日町村制施行により東潟元村、西潟元村、屋島村を併せて山田郡潟元村(かたもとむら)となり、現在の屋島地区としての区域が確定した。この名称は30年後の1920年大正9年)1月1日に改称して屋島村となり、さらに13年後の1933年昭和8年)4月1日には町制を施行し屋島町となる。この間1899年明治32年)4月1日には山田郡が三木郡と合併し、木田郡となっている。

町村制施行による潟元村成立から50年後の1940年昭和15年)2月11日、屋島町は周辺自治体とともに高松市と合併し自治体としての屋島町は消滅した。

年表

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高松市編入以後は「屋島 (高松市)」を参照

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 香川県教育会木田郡部会郡誌編纂部 編『木田郡誌』香川県教育会木田郡部会、高松市、1940年1月5日。doi:10.11501/1684817NCID BA44706440OCLC 835722324 
  • 高松市史編修室 編『新修高松市史』 第1、高松市役所、高松市、1964年12月15日。doi:10.11501/3030912NCID BN05923101OCLC 672588589 
  • 高松市史編修室 編『新修高松市史』 第3、高松市役所、高松市、1969年2月15日。doi:10.11501/3030978NCID BN05923101OCLC 703819378 
  • 高松市歴史資料館 編『屋島:シンボリックな大地に刻まれた歴史』高松市歴史資料館、高松市、2014年12月。 NCID BB21271288 

関連項目

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