小蓮古墳
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小蓮古墳 | |
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石室開口部 | |
所在地 | 高知県南国市岡豊町小蓮(字光り岩)[1] |
位置 | 北緯33度35分57.58秒 東経133度37分8.93秒 / 北緯33.5993278度 東経133.6191472度座標: 北緯33度35分57.58秒 東経133度37分8.93秒 / 北緯33.5993278度 東経133.6191472度 |
形状 | 不明 |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
出土品 | 副葬品多数・須恵器 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 高知県指定史跡「小蓮古墳」 |
特記事項 | 土佐三大古墳の1つ |
地図 |
小蓮古墳(こはすこふん)は、高知県南国市岡豊町小蓮にある古墳。高知県指定史跡に指定されている。
朝倉古墳(高知市朝倉)・明見彦山1号墳(南国市明見)と合わせて「土佐三大古墳」と総称される。
概要
[編集]須恵器型式 | 特徴 | 主な古墳 | |
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盟主墳 | その他 | ||
TK10新相 -TK43 |
明見3号型石室導入 | 明見彦山3号墳 長畝4号墳 蒲原山東1・2号墳 | |
TK43 | 舟岩型石室導入 | 伏原大塚古墳 | |
TK209 | 舟岩型石室普及 風水的選地導入 |
小蓮古墳 | 舟岩1・3・8号墳 明見彦山1号墳 一宮大塚古墳 三ツ塚下古墳 新改古墳 |
TK217 | 角塚型石室導入 | 朝倉古墳 |
南国市西部、山の斜面ふもとで標高20メートルほどの地に築造された古墳である[4]。1972年(昭和47年)に墳丘測量調査・石室実測調査・石室発掘調査が実施されたほか、近年では2004年度(平成16年度)に石室3次元デジタル計測が実施されている[1]。
現状の墳形は楕円形で(築造当初の墳形は不明[1])、長径(南北)28メートル・短径(東西)22メートル・高さ7.13メートルを測る[5]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する(明治時代からすでに開口していたという)。玄室・羨道を含めた石室全長は10.8メートルを測り、高知県下では最大規模になる[5]。発掘調査では、副葬品として金銅製中空玉・金環・鉄刀子・鉄鏃・鉇・馬貝・須恵器等が検出されている[5]。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[5]。一帯では特大型の石室になることから、高知平野における盟主墳に位置づけられる古墳になる[1]。
古墳域は1953年(昭和28年)に高知県指定史跡に指定されている[5]。
遺跡歴
[編集]- 1953年(昭和28年)1月29日、高知県指定史跡に指定[5]。
- 1972年(昭和47年)、墳丘測量調査・石室実測調査・石室発掘調査[1]。
- 2005年(平成17年)2月10-18日、石室3次元デジタル計測(高知大学人文学部考古学研究室、2006年に報告)[1]。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:10.75メートル
- 玄室:長さ7.50メートル、幅1.95メートル(奥壁付近)・2.18メートル(玄門付近)、高さ2.85メートル(奥壁付近)・2.84メートル(玄室中央付近)・2.56メートル(玄門付近)
- 羨道:長さ3.25メートル、幅1.43メートル、高さ1.85メートル
玄室の床面には割石を敷く[5]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(羨道方向)
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玄門(羨道方向)
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羨道(玄室方向)
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出土品
高知県立歴史民俗資料館展示。 -
出土須恵器
高知県立歴史民俗資料館展示。
文化財
[編集]高知県指定文化財
[編集]- 史跡
- 小蓮古墳 - 1953年(昭和28年)1月29日指定[5]。
関連施設
[編集]- 高知県立歴史民俗資料館(南国市岡豊町八幡) - 小蓮古墳の出土品を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板(南国市教育委員会設置)
- 「小蓮古墳」『高知県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系40〉、1983年。ISBN 4582490409。
- 三宅良明「小蓮古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 『南国市における大型後期古墳の調査』高知大学人文学部考古学研究室〈高知大学考古学調査研究報告第3冊〉、2006年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 小蓮古墳 - 高知県ホームページ