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小山田勘二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小山田 勘二
生誕 1871年1月21日
薩摩国 鹿児島藩
死没 1921年11月30日
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1892年 - 1921年
最終階級 陸軍少将
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小山田 勘二(おやまだ かんじ、明治3年12月1日[1]1871年1月21日) - 1921年大正10年)11月30日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将功四級[3]

経歴・人物

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薩摩国鹿児島藩(現・鹿児島県)出身[2][3]1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[2][3]

1915年(大正4年)2月に豊橋連隊区司令官、1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐1917年(大正6年)8月に歩兵第48連隊長を経て、1921年(大正10年)3月に陸軍少将・歩兵第27旅団長となり、同年10月に予備役に編入した[2][3]

親族

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脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録 第5版』を33頁
  2. ^ a b c d 『日本陸軍将官辞典』199頁。
  3. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』105頁。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。