大胡神社
大胡神社 | |
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拝殿正面 | |
所在地 | 群馬県前橋市河原浜町615 |
位置 | 北緯36度25分18.2秒 東経139度09分33.3秒 / 北緯36.421722度 東経139.159250度座標: 北緯36度25分18.2秒 東経139度09分33.3秒 / 北緯36.421722度 東経139.159250度 |
主祭神 |
大己貴命 豊城入彦命 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 不詳 |
別名 | 近戸大明神 |
主な神事 | 太々神楽 |
地図 |
大胡神社(おおごじんじゃ)は群馬県前橋市河原浜町にある神社。旧社格は郷社。かつては南に位置する大胡城の鎮守であり、明治時代までは近戸神社と称した。
歴史
[編集]三夜沢赤城神社より分祀されたと伝わるが、その年代は不詳[1]。二宮赤城神社から三夜沢赤城神社へ神体が往復する御神幸では休憩地となる[1]。
天正年間に大胡城主大胡常陸介高繁が信仰し、天正17年(1589年)に高繁は三夜沢赤城神社神官・奈良原紀伊守に宛てて大胡城鎮守の近戸神社奉祭のために奈良原父子のいずれかが来て祀ってほしい旨の書状を出している。これ以降奈良原氏が奉斎している[1]。
明治42年(1909年)6月に近戸大明神を改めて大胡神社と称した[1]。
明治42年(1909年)6月5日に勢多郡大胡町内の大胡町村社・菅原神社、茂木村村社・熱田神社、堀越村村社・諏訪神社、滝窪村村社・八柱神社、横沢村村社・赤城神社、樋越村村社・八坂神社、上大屋村村社・八坂神社などを合祀。明治43年(1910年)8月12日に勢多郡桂萱村の堀ノ下村村社・熊野神社などを合祀[1]。
昭和18年(1943年)に東からの参道を南向きに付け替えた[1]。
境内
[編集]拝殿の向かって右に神楽殿があり、毎年神楽が奉納される。
大胡町大胡の出身で、公選初代の大胡町長を務めた後、群馬県議会議員に5期連続当選、県議会議長を務めた岡田義正の顕彰碑がある[3]。
祭神
[編集]祭礼
[編集]太々神楽(前橋市重要無形民俗文化財)
[編集]境内の神楽殿で毎年4月10日の祭日に奉納される豊作祈願の神楽[4]。足軽町地区の太々神楽保存会によって奉納される。十三座の神楽が舞われる。かつては河原浜地区と足軽町地区で交互に奉納していたが、現在では足軽町だけとなっている[5]。
大胡祇園まつり
[編集]毎年7月最終の土曜・日曜2日間で行われる祭。八坂神社(大胡町)の祭礼だが、神体の幣束は大胡神社から与えられる[6]。
文化財
[編集]前橋市指定重要文化財
- 大胡神社の算額(平成6年4月5日指定)[7] - 大正4年(1915年)に大原福太郎が奉納したもの。大原福太郎の和算の師は船津正武(伝次平)であるという。大正時代の和算の算学は全国的にも珍しい[8]。
前橋市指定重要無形民俗文化財
- 大胡神社太々神楽(昭和44年7月7日指定)[7]
前橋市指定天然記念物
所在地
[編集]アクセス
[編集]周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 大胡町誌編纂委員会 1976, pp. 1062–1066.
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月23日閲覧。
- ^ 大胡町誌編纂委員会 1976, pp. 433–435.
- ^ 大胡町誌編纂委員会 1976, p. 1179.
- ^ “大胡エリアの伝統芸能など”. 前橋市. 2020年5月31日閲覧。
- ^ 大胡町誌編纂委員会 1976, pp. 1032–1234.
- ^ a b c “市指定文化財一覧|前橋市”. www.city.maebashi.gunma.jp. 2024年8月23日閲覧。
- ^ 大胡町誌編纂委員会 1976, pp. 346–351.
- ^ 梅澤, 克典、木暮, 良久、真下, 晃、近藤, 雅順、池田, 史人、綿貫, 綾子、清水, 亮介『年報 : 文化財調査報告書』 38巻、2008年12月12日(原著2008年12月12日)、6-7頁。doi:10.24484/sitereports.16128。 NCID AA12252855 。
参考文献
[編集]- 大胡町誌編纂委員会 編『大胡町誌』大胡町役場、1976年6月15日。doi:10.24484/sitereports.99955。 NCID BN03614004 。