大森実頼
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死没 | 文明15年(1483年)7月16日または文明18年(1486年)10月19日 |
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墓所 | 乗光寺 |
官位 | 信濃権守 |
氏族 | 藤姓大森氏 |
父母 | 大森氏頼 |
兄弟 | 藤頼 |
子 | 定頼、顕隆(難波田顕隆)、泰頼 |
大森 実頼(おおもりさねより、生没年不詳)は、室町時代から戦国時代の武将。扇谷上杉家の家臣。大森氏当主。相模小田原城城主。
堀越公方足利政知と渋川義鏡の讒言によって室町幕府8代将軍足利義政から父・氏頼や三浦時高・千葉実胤と共に謀叛の疑いを受ける。これに憤って寛正5年(1464年)5月に隠退してしまうが、太田道灌の奔走と義政の慰留で復帰した。以後、道灌に従って長尾景春・豊島泰経・千葉孝胤らと戦うが、若くして没した。
没日については、文明15年(1483年)7月16日説[1]と文明18年(1486年)10月19日説[2]とがある。
脚注
[編集]- ^ 『乗光寺過去帳』
- ^ 「早川庄 小田原城」『大日本地誌大系』 第37巻新編相模国風土記稿2巻之23村里部足柄下郡巻之2、雄山閣、1932年8月、304頁。NDLJP:1179198/164。