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大桑町 (金沢市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 石川県 > 金沢市 > 大桑町
大桑町
大桑町の位置(石川県内)
大桑町
大桑町
大桑町の位置
北緯36度31分33.4秒 東経136度40分30.7秒 / 北緯36.525944度 東経136.675194度 / 36.525944; 136.675194
日本の旗 日本
都道府県 石川県
市町村 金沢市
校下(地区) 崎浦地区
十一屋校下
町名設定 1936年4月1日
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
921-8046[1]
920-0946[2][3]
市外局番 076 (金沢MA)[4]
ナンバープレート 金沢

大桑町(おおくわまち)は、石川県金沢市町名。旧加賀国石川郡富樫郷大桑村、同郡崎浦村大桑

概要

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大桑町は、つつじが丘野田野田町大桑法島町西大桑町別所町三小牛町永安町末町涌波涌波町城南三口新町大桑新町、錦町に囲まれている。

地理

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以下の小字がある。

  • イ、ロ甲、ロ乙、ハ、ト、チ、リ、ル、ヲ、ワ、カ、ヨ、タ、レ甲、レ乙、ソ、ツ甲、ツ乙、ツ丙、ナ、ラ、ム、ウ、ヰ、ノ、オ乙、ク、ヤ、マ、ケ、コ、テ、ア、サ甲、サ乙、ユ、メ、シ、上野、鐘搗山、上川原、上猫下、御所谷、小寺山、下上野、下西欠、平、中上野、中尾山、中平、中ノ大平、西ノ山、猫シタイ、開、法師山、坊山、鱒川淵、元末、元涌波庚、和、穴欠、穴淵欠、子、庚、葭島、下葭島欠

沿革

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  • 江戸期 - 加賀国石川郡富樫郷大桑村が存在。米丸所属。加賀藩領。
  • 1871年8月29日(明治4年7月14日) - 廃藩置県により金沢県の管轄となる。
  • 1872年3月10日(明治5年2月2日) - 金沢県が名称を変更して、石川県となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、崎浦村が発足する。崎浦村大桑となる。
  • 1936年(昭和11年)4月1日 - 崎浦村が金沢市に編入する。金沢市大桑町となる。
  • 1965年(昭和40年)11月27日 - 三口新町土地区画整理事業の換地処分実施により、区域の一部が三口新町二丁目となる。
  • 1966年(昭和41年)
    • 2月5日 - 大桑町第一土地区画整理事業の換地処分実施により、区域の一部がつつじが丘となる。
    • 3月16日 - 花里土地区画整理事業の換地処分実施により、区域の一部が花里町となる。
  • 1972年(昭和47年)7月1日 - 住居表示実施により、区域の一部が涌波1~3丁目となる[5]
  • 1973年(昭和48年)6月1日 - 住居表示実施により、区域の一部が城南1丁目となる[6]
  • 1977年(昭和52年)9月1日 - 大桑第二土地区画整理事業の換地処分及び住居表示実施により、区域の一部が西大桑町となる[7]
  • 2009年(平成21年)4月18日 - 大桑第三土地区画整理事業の換地処分実施により、区域の一部が大桑1~3丁目となる。
  • 2017年(平成29年)3月4日 - 野田土地区画整理事業の換地処分実施により、区域の一部が野田1~2丁目となる。また、野田町の区域の一部を編入する[8]

小・中学校の校区

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  • 大桑町ト、チ、リ、ル、ヲ、ワ、カ、ヨ、タ、ソ、ナ、ラ、ウ、ケ、テ、ア、ユ、メ、シ、庚、レ甲、レ乙、ツ甲、ツ乙、ツ丙、オ乙、サ甲、サ乙、小寺山、上野、下上野、中上野、鰈川淵、下葭島欠、西ノ山、上川原、法師山、元涌波庚、坊山、鐘搗山、穴淵欠、元末11に住んでいる場合
  • 大桑町ム、ヰ、ノ、ク、ヤ、マ、ロ甲、ロ乙、開、中の大平、中平、上西欠、下西欠、上猫下、猫下、御所谷、中尾山、和、イ、ハ、平に住んでいる場合


施設

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  • 犀川緑地公園
  • 大桑簡易グラウンド
  • 大桑ぐるぐる広場

脚注

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  1. ^ カ、コ、サ乙、サ甲、ソ、タ、ツ甲、ナ、メ、ユ、ヨ、ラ、ワ、穴欠、穴淵欠、子、庚、葭島、下葭島欠
  2. ^ 郵便番号検索”. 日本郵便. 2020年5月12日閲覧。
  3. ^ その他地域
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年10月1日閲覧。
  5. ^ 『官報』号外第19号、昭和48年2月26日「自治省告示第27号」
  6. ^ 『官報』号外第141号、昭和48年11月21日「自治省告示第189号」
  7. ^ 『官報』第15328号、昭和53年2月18日「自治省告示第20号」
  8. ^ 『金沢市公報』号外第2号、平成29年3月3日「金沢市告示第65号」
  9. ^ a b 金沢市立小中学校通学区域(町別)”. 金沢市. 2019年8月25日閲覧。