大村和久
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大村和久 八段 | |
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名前 | 大村和久 |
生年月日 |
1928年2月18日 日本・愛知県名古屋市 |
没年月日 | 2023年1月7日(94歳没) |
プロ入り年月日 | 1956年2月8日(27歳) |
引退年月日 | 1975年3月31日(47歳) |
棋士番号 | 71 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 板谷四郎九段 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 大村和久 |
2023年1月11日現在 |
大村 和久(おおむら かずひさ、1928年2月18日 - 2023年1月7日)は、将棋棋士。愛知県名古屋市出身。棋士番号71。板谷四郎九段門下。
人物
[編集]- 1961年度の第2期王位戦ではリーグ入りし最後まで挑戦争いにからむ活躍をみせた(最終的に大山康晴王位に挑戦したのは丸田祐三)。
- 板谷四郎・板谷進親子亡き後の中京棋界の長老として、日本将棋連盟の理事や東海本部本部長を務めた。
- 引退後は名古屋市の自宅で将棋教室を主宰し、同じく名古屋市出身でそこへ通った杉本昌隆は、大村について「アマチュア時代の自分の師匠」と語っている[1]。
- 2023年1月7日、心不全のため死去[1]。94歳没。存命する棋士の中で最高齢であった。
昇段履歴
[編集]- 1949年 入門
- 1950年 初段
- 1956年 四段 = プロ入り
- 1961年 五段
- 1963年 六段
- 1974年11月 七段
- 1975年 引退
- 1994年11月 八段
主な成績
[編集]在籍クラス
[編集]→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
開始 年度 |
順位戦 出典[2]
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竜王戦 出典[3]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1956 | 11 | C219 | ||||||||||||||||
1957 | 12 | C212 | ||||||||||||||||
1958 | 13 | C206 | ||||||||||||||||
1959 | 14 | C205 | ||||||||||||||||
1960 | 15 | C206 | ||||||||||||||||
1961 | 16 | C112 | ||||||||||||||||
1962 | 17 | C109 | ||||||||||||||||
1963 | 18 | B213 | ||||||||||||||||
1964 | 19 | B215 | ||||||||||||||||
1965 | 20 | B210 | ||||||||||||||||
1966 | 21 | B207 | ||||||||||||||||
1967 | 22 | B209 | ||||||||||||||||
1968 | 23 | B218 | ||||||||||||||||
1969 | 24 | C103 | ||||||||||||||||
1970 | 25 | C107 | ||||||||||||||||
1971 | 26 | C115 | ||||||||||||||||
1972 | 27 | C112 | ||||||||||||||||
1973 | 28 | C105 | ||||||||||||||||
1974 | 29 | C116 | ||||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |