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大塚一朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大塚 一朗
名前
カタカナ オオツカ イチロウ
ラテン文字 OTSUKA Ichiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1964-11-03) 1964年11月3日(60歳)
出身地 日本の旗 日本富山県富山市
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

大塚 一朗(おおつか いちろう、1964年11月3日[1] - )は、富山県富山市出身[1]の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカーモンゴル代表監督を務める。

来歴

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9歳からサッカーを始め[2]富山第一高校法政大学と進み、古河電工に入社した[1]。チームメイトに岡田武史奥寺康彦がいた[3]。2年プレーして引退。

1989年に渡英し、当時古河電工サッカー部と提携関係にあったウェストハム・ユナイテッドFCで1年間に亘り指導者について学び[4]イングランドのインターナショナルライセンス(18歳以下のチームの指揮が可能)を取得した[3]

1990年に帰国し、アローズ北陸のコーチに就任[1]。在任中の1995年、第50回ふくしま国体において富山県選抜チームの監督兼選手として出場し、初優勝を果たした[2]

2002年をもってアローズ北陸を退団。家業の水産業を経営し、富山県サッカー協会で国体県選抜チームのコーチなどを務めるかたわら[5]UEFA公認A級コーチライセンスの研修を受け、2004年にライセンスを取得した[3]。これはUEFAにおける最上位ライセンスで(日本サッカー協会指導者ライセンスにおける公認S級に相当)、日本国内で2人目の取得である[3]

2005年、アルビレックス新潟シンガポール監督に就任。2年間チームを率いた[6]

2008年、富山第一高校サッカー部コーチに就任。2012年より監督を務める[7]。2013年から2014年にかけて行われた、第92回全国高等学校サッカー選手権大会にて、同校および富山県勢初の優勝を果たした[8]

所属クラブ

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指導者経歴

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指導者タイトル

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テレビ出演

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DVD

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脚注

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  1. ^ a b c d e 【高校サッカー】富山第一、V2!父の無念息子が晴らす延長全国弾!”. スポーツ報知 (2013年11月10日). 2014年2月9日閲覧。
  2. ^ a b c アルビレックス新潟 シンガポール監督に”. 中日新聞 (2004年11月20日). 2004年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月9日閲覧。
  3. ^ a b c d 夢はアジアの代表監督 大塚さん、欧州A級取得”. 北日本新聞 (2004年10月29日). 2006年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月9日閲覧。
  4. ^ 富山第一・大塚監督の個性を生かす育成法 海外留学で学んだ指導者としての原点”. スポーツナビ (2014年2月3日). 2014年2月9日閲覧。
  5. ^ a b 新潟S新監督に大塚一朗氏”. 新潟日報 (2004年11月21日). 2004年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月9日閲覧。
  6. ^ a b 歴史”. アルビレックス新潟シンガポール. 2014年2月9日閲覧。
  7. ^ a b c 「【ひと】:大塚一朗さん=全国高校サッカー選手権で初優勝した富山第一高監督」『毎日新聞』2014年1月14日。 
  8. ^ a b 富山第一が初優勝、延長で星稜を3―2で破る”. 読売新聞 (2014年1月13日). 2014年2月9日閲覧。
  9. ^ 星で日本サッカー協会公認の少年サッカー指導者講習会”. シンガポール経済新聞 (2007年9月14日). 2014年2月9日閲覧。
  10. ^ 国民体育大会記録集” (PDF). 日本体育協会. p. 496. 2015年12月31日閲覧。
  11. ^ 歓喜の熱、冷めやらず”. アナウンサーブログ. 北日本放送 (2014年2月28日). 2014年4月3日閲覧。