大久保賢一
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経歴
[編集]- 1968年東京都立新宿高等学校卒業。
- 1970年早稲田大学商学部中退、1974年早稲田大学文学部演劇学科中退。
- 大学在学中より自主上映と16ミリ映画製作の活動をスタートし、映画評論家としても活動[1]。
- 1975年、雑誌『NEW CINEMA EXPRESS』を刊行[1]。
- 1980年代には、ぴあフィルムフェスティバルの審査に携わる[1]。
- 東京国際映画祭を始めとした、クレルモンフェラン(仏)・ハワイ・ボンベイ等世界の各映画祭で審査委員を務める。
- 1994年国際交流基金「中央アジア映画祭」プログラム・ディレクター[2][3]。
- 1999年「ロシア日本映画祭」(モスクワ・ハバロフスク)プログラミング担当[3]。
- フジテレビ「ミッドナイト・アートシアター」、NHK-BS「シネマパラダイス」出演。
著書
[編集]単著
[編集]- 『映画 二極化する世界映画』(朝日新聞社、2002年)
寄稿
[編集]翻訳
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 「金子修介監督×大久保賢一(映画評論家)対談」『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』朝日ソノラマ〈ソノラマMOOK〉、2002年1月10日、71頁。62470-15。
- ^ “ぶっきらぼうに見えて、まったくこびない ”ハリー・ディーン・スタントン流生き方"ーそして彼の大好きなシアトル酋長の言葉とは..『ラッキー』 - シネフィル - 映画とカルチャーWebマガジン”. シネフィル (2018年3月21日). 2021年8月20日閲覧。
- ^ a b “空想のシネマテーク|イベント|高知県立美術館”. 高知県立美術館 (2002年2月9日). 2021年8月20日閲覧。