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土居龍太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土居 龍太郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県高知市
生年月日 (1981-01-11) 1981年1月11日(43歳)
身長
体重
182 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 自由獲得枠
初出場 2003年4月20日
最終出場 2005年9月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

土居 龍太郎(どい りょうたろう、1981年1月11日 - )は、高知県高知市出身の元プロ野球選手投手)。2005年から2007年登録名龍太郎(りょうたろう)。

経歴

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プロ入り前

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高知高校時代は高知商業高校藤川球児明徳義塾高校寺本四郎と並んで“高知三羽烏”と称されるも、3年夏に寺本擁する明徳義塾高校に高知大会決勝で延長11回の末[1]に敗れるなど、甲子園出場は果たせなかった。

法政大学に進んでからは同じリーグの同期に和田毅早大)、多田野数人立大)、長田秀一郎慶大)らがいる中で大学通算24勝、2年春秋ベストナイン。なおこの4人は「BIG4」と呼ばれ、それぞれ2年生時からエースとして活躍した。2、3年春は浅井良とのバッテリーでリーグ優勝に貢献、2年の大学選手権では準々決勝で吉見祐治東北福祉大)と投げ合うが敗れる。4年春の早大1回戦では和田と延長12回を投げぬき、鳥谷敬青木宣親田中浩康らを擁する早大打線を相手に0-0の引き分けとなるなど、「和田に負けない土居」の異名もとった。同期に後藤武敏、4年の一時はバッテリーも組んだ河野友軌がいた。

プロ入り後

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2002年ドラフト横浜多田野指名見送りに伴い、繰り上がりのような形で自由獲得枠で横浜に入団。ルーキーイヤーの2003年は、4月20日の甲子園での阪神戦でプロ初登板し、金本濱中桧山と続く阪神のクリーンアップを三者凡退に打ち取った。その後はサヨナラ押し出しを献上するなど精彩を欠いたが、2年目の2004年シーズンに腕を若干下げるフォームに変更し、初先発も経験しある程度の結果を残した。

2005年シーズン開幕後、「りょうたろう」という名前の読みを覚えてもらいたいという理由で登録名を「龍太郎」に変更。5月26日の対ソフトバンク3回戦では7回途中2失点の好投で初勝利をあげる。

2006年4月27日、山北茂利との交換トレードで、南竜介と共に千葉ロッテマリーンズへ移籍。移籍後も登録名は「龍太郎」のままプレーをした。

2007年にロッテでは一軍出場が無いまま戦力外通告を受ける。その後12球団合同トライアウトに参加するがオファーはなく現役を引退。

引退後

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会社員を経て、工事関係の仕事に就いている。また少年野球チーム「横浜保土ヶ谷ボーイズ」のコーチを経て[2]、「横浜みなとみらいポニー」の投手コーチを務めている[3]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2003 横浜 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 16 3.1 4 1 3 1 0 4 1 0 3 3 8.10 2.10
2004 16 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 165 38.1 38 5 15 0 1 26 1 0 17 15 3.52 1.38
2005 13 7 0 0 0 1 4 0 0 .200 217 48.0 63 3 17 0 1 26 1 0 26 24 4.50 1.67
通算:3年 32 10 0 0 0 1 5 0 0 .167 398 89.2 105 9 35 1 2 56 3 0 46 42 4.22 1.56

記録

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背番号

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  • 27 (2003年 - 2006年途中)
  • 51 (2006年途中 - 2007年)

登録名

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  • 土居 龍太郎 (どい りょうたろう、2003年 - 2004年)
  • 龍太郎 (りょうたろう、2005年 - 2007年)

脚注

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  1. ^ 2003プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ 【横浜保土ヶ谷ボーイズ大体験会のお知らせ】”. 横浜保土ヶ谷ボーイズFacebook (2017年11月25日). 2021年1月20日閲覧。
  3. ^ チーム概要”. 横浜みなとみらいポニー. 2024年10月29日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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