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和田孝志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和田 孝志
拓殖大学紅陵高等学校硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県春日部市
生年月日 (1970-10-07) 1970年10月7日(54歳)
身長
体重
177 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 ドラフト3位
初出場 1996年9月7日
最終出場 2002年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴
  • 千葉ロッテマリーンズ (2009)
  • 拓殖大学紅陵高等学校 (2019 - 2024)

和田 孝志(わだ たかし、1970年10月7日 - )は、埼玉県春日部市出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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拓大紅陵高では高橋憲幸と投の二本柱を組み活躍するが、肩の故障もあって3年生時には控えに回る。1988年夏の甲子園には一塁手として出場。2回戦(初戦)で松山商を降すが、3回戦で浜松商に惜敗。高校の2学年先輩に飯田哲也佐藤幸彦がおり、佐藤とはプロで再びチームメイトとなる。

東洋大に進学。東都大学リーグでは、2年時の1990年春季リーグで優勝した亜大の4年生エース小池秀郎と投げ合い、リーグ10人目のノーヒットノーランを達成する。翌1991年春季リーグでは同季リーグMVPの1年銭場一浩とともに投手陣の中軸となり優勝に貢献。直後の全日本大学選手権2回戦(初戦)で佛教大に思わぬ敗退を喫した。リーグ通算49試合登板、14勝15敗、防御率2.68、172奪三振。大学の1学年先輩に桧山進次郎徳田吉成、1学年後輩に関口伊織、3学年後輩に清水隆行川中基嗣塩崎真がいた(塩崎は中退)。

1993年ドラフト3位で千葉ロッテマリーンズに入団。1995年は1A・バイセイリア・オークスに野球留学した。二軍暮らしが長かったが1996年に一軍初登板。2000年には主に中継ぎで21試合に登板、翌2001年にも自己最高の38試合に登板するが、2002年は登板機会が減少し、同年限りで現役引退。

引退後はロッテのチームスタッフとしてスコアラー打撃投手、査定を担当。2005年の日本一を経験し同年退団、飲食業の道へ。

H・Iグループ(社長は石井浩郎)を経て、渋谷宮益坂に和食ダイニング「美醤(びしょう)」を2007年6月開業[1]。また、ハタケヤマのスーパーバイザーも勤める[2]

2009年にはロッテの二軍投手コーチ補佐を務めた。

2019年8月7日、母校である拓大紅陵高校野球部の監督に就任した[3]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1996 ロッテ 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 21 5.1 5 0 1 0 0 7 1 0 1 0 0.00 1.13
1999 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 34 9.0 5 0 4 0 0 5 0 1 0 0 0.00 1.00
2000 21 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 210 50.0 44 6 19 2 1 35 3 0 21 20 3.60 1.26
2001 38 2 0 0 0 1 2 0 -- .333 301 68.0 67 10 32 1 3 42 2 0 38 35 4.63 1.46
2002 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 19 5.0 4 1 1 0 0 2 0 0 3 1 1.80 1.00
通算:5年 72 4 0 0 0 2 3 0 -- .400 585 137.1 125 17 57 3 4 91 6 1 63 56 3.67 1.33

記録

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背番号

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  • 26 (1993年 - 2002年)
  • 111 (2003年)
  • 82 (2009年)

脚注

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  1. ^ 日刊スポーツ (2010年4月15日). “元ロッテ・和田孝志「和ダイニング美醤」/引退後記”. 2011年3月8日閲覧。
  2. ^ [1]
  3. ^ 拓大紅陵新監督に元ロッテ和田孝志氏就任 名門託す”. 日刊スポーツ(2019年8月7日作成). 2019年8月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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