和寒駅
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和寒駅 | |
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駅舎(2017年8月) | |
わっさむ Wassamu | |
◄W37 塩狩 (7.9 km) (8.9 km) 剣淵 W40► | |
所在地 | 北海道上川郡和寒町字北町 |
駅番号 | ○W38 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 36.3 km(旭川起点) |
電報略号 | ワサ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
164人/日 -2014年- |
開業年月日 | 1899年(明治32年)11月15日[1] |
備考 | 無人駅 |
和寒駅(わっさむえき)は、北海道上川郡和寒町字北町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。電報略号はワサ。事務管理コードは▲121810[2][3]。駅番号はW38。特急「宗谷」「サロベツ」含む全列車が停車する。和寒町の代表駅である。
歴史
[編集]- 1899年(明治32年)11月15日:北海道官設鉄道天塩線蘭留駅 - 当駅間延伸開業にともない設置[4]。一般駅[1][5]。
- 1900年(明治33年)8月5日:当駅 - 士別駅間延伸開業[4]。
- 1905年(明治38年)4月1日:鉄道作業局に移管[4]。
- 1912年(大正元年)9月21日:宗谷線に線名を改称[4]。
- 1919年(大正8年)10月20日:宗谷本線に線名を改称[4]。
- 1925年(大正14年)6月:構内に本線給水所を設置[5]。
- 1927年(昭和2年)1月1日:構内で「つたや」が立売業を開始[5]。
- 1935年(昭和10年)10月12日:駅舎改築[5]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。この年、和寒駅旅行会が結成[5]。
- 1950年(昭和25年)6月:2番ホーム上で「つたや」が売店を営業開始[5]。
- 1953年(昭和28年)1月3日:寒波により給水設備が凍結。5日まで消防車による蒸気機関車への給水を実施[5]。
- 1957年(昭和32年)8月:駅舎待合室に売店開業[5]。
- 1967年(昭和42年):給水設備(名寄機関区和寒駐泊転向給水業務)廃止[5]。
- 1968年(昭和43年)
- 1971年(昭和46年)10月:転車台・給水塔を撤去[5]。
- 1973年(昭和48年):構内を跨ぐ人道跨線橋を設置[5]。
- 1974年(昭和49年):新たな構内跨線橋を設置[5]。
- 1980年(昭和55年):転轍機、信号機を継電連動化[6]。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1986年(昭和61年)11月1日:電子閉塞化により連査閉塞運転要員無人化[9]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[10]。
- 1988年(昭和63年)11月30日:現駅舎に改築[6][11][12]。
- 1992年(平成4年)4月1日:簡易委託終了、以後士別駅派遣により出札業務を継続(末期はベニヤ板を外して窓口を開けていた)。
- 1995年(平成7年)4月1日:派遣による出札業務終了。無人化[12]。
- 2000年(平成12年):同年3月11日のダイヤ改正に伴う旭川駅 - 名寄駅間高速化に関連し、同日までに分岐器の重量化(引き続き両開き型)・ホームの嵩上げを実施[13]。
駅名の由来
[編集]→「和寒町 § 町名の由来」も参照
アイヌ語で、「オヒョウニレの木の・傍ら」を意味する「ワッサム(wat-sam)[注釈 1]」に由来する[14]。
駅構造
[編集]2面3線の島式・相対式の複合ホームを持つ地上駅。国鉄規格の木造駅舎は解体され、改築後の駅舎は西側1箇所にある。なお、駅舎内には当駅と宗谷本線に関係する歴史が記載された年表、古写真などが展示されている[12]。
のりば
[編集]番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | ■宗谷本線 | 下り | 名寄・稚内方面 |
2・3 | 上り | 旭川・札幌方面 |
-
駅舎(2004年6月)
-
ホーム(2017年10月)
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跨線橋(2017年10月)
-
駅名標(2017年10月)
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1912年(大正元年) | 29,447 | (80.7) | [5] | ||
1915年(大正 | 4年)24,008 | (65.8) | |||
1920年(大正 | 9年)39,366 | (107.9) | |||
1924年(大正13年) | 47,242 | (129.4) | |||
1928年(昭和 | 3年)53,887 | (147.6) | |||
1933年(昭和 | 8年)49,870 | (136.6) | |||
1938年(昭和13年) | 72,675 | (199.1) | |||
1942年(昭和17年) | 115,340 | (316.0) | |||
1948年(昭和23年) | 169,405 | (464.1) | |||
1953年(昭和28年) | 208,988 | (572.6) | |||
1968年(昭和33年) | 273,044 | (748.1) | |||
1973年(昭和38年) | 281,992 | (772.6) | |||
1965年(昭和40年) | 250,775 | (687.1) | 一般乗車と定期券乗車の合算 | ||
1967年(昭和42年) | 200,440 | (547.7) | |||
1969年(昭和44年) | 173,679 | (475.8) | |||
1971年(昭和46年) | 152,483 | (416.6) | |||
1973年(昭和48年) | 148,888 | (407.9) | |||
1978年(昭和53年) | 343.0 | [15] | |||
2011年(平成23年) | (230) | [16] | 1日乗降人員平均:460人 前年に和寒高校廃校 | ||
2012年(平成24年) | (79) | 1日乗降人員平均:158人 | |||
2013年(平成25年) | (71) | 1日乗降人員平均:142人 | |||
2014年(平成26年) | (82) | 1日乗降人員平均:164人 | |||
2018年(平成30年) | 97.6 | [JR北 1] | |||
2019年(令和元年) | 88.2 | [JR北 2] | |||
2023年(令和 | 5年)57.8 | [JR北 3] |
駅周辺
[編集]かつては塩狩峠を超える際に、当駅が機関車待機の拠点となっていた[12]。駅前にはタクシー会社の営業所や食堂が立ち並んでおり、拠点であったことの名残がある[12]。
- 国道40号
- 道央自動車道和寒インターチェンジ
- 和寒町役場
- 和寒町交流施設「ひだまり」[17] - 当駅スタンプ設置場所[18]・「わっさむ町食と観光情報案内所」併設[19]
- 士別警察署和寒駐在所
- 和寒郵便局
- 北星信用金庫和寒支店
- 北ひびき農業協同組合(JA北ひびき)和寒基幹支所
- 北海道和寒高等学校
- 和寒東山スキー場
- 和寒かぼちゃ王国
- 高速なよろ号・道北バス・和寒町営バス「和寒」停留所 - 旧・和寒ターミナル。バスレーンは旧ターミナルのものを流用する
その他
[編集]前述したとおり、かつては当駅が機関車待機の拠点となっていたため、当駅で駅弁の立ち売り販売が実施されていたが、1995年に無人化されて以降は実施されていない[12]。
隣の駅
[編集]- 北海道旅客鉄道(JR北海道)
- ■宗谷本線
- 特急「宗谷」・「サロベツ」停車駅
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「アッサム(at-sam)」と表記されることもある。
出典
[編集]- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、897-898頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、238頁。doi:10.11501/1873236 。2023年1月15日閲覧。
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ a b c d e 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 14頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 和寒町 編『和寒町史』和寒町、1975年、409-412頁。doi:10.11501/9569701 。2022年6月25日閲覧。
- ^ a b 『和寒町百年史』和寒町、2000年3月。
- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ 「赤旗」国鉄問題取材班『岐路にたつ国鉄』新日本出版社、1985年6月10日、136-138頁。doi:10.11501/12065124 。
- ^ “宗谷線、20駅無人化へ 特殊自動閉そく装置導入工事進む”. 交通新聞 (交通協力会): p. 2. (1986年9月17日)
- ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 17頁
- ^ “全駅DATA 石北本線②(上川~網走) 宗谷本線”. 週刊JR全駅・全車両基地 (朝日新聞出版) (No.60): pp.19-27. (2013-10-03).
- ^ a b c d e f 『鉄道ジャーナル』通巻654号 p.27
- ^ 鶴, 通孝、中井, 精也「北辺に生きる鉄路 2000年春の高速化を待望する宗谷本線」『鉄道ジャーナル』第33巻第9(通巻395)号、鉄道ジャーナル社、1999年9月1日、pp.47-57、ISSN 0288-2337。
- ^ “アイヌ語地名リスト ル~ワ P141-145”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年11月17日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、886頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月21日閲覧
- ^ 交流施設 ひだまり和寒町総務課まちづくり推進係
- ^ JR和寒駅 駅スタンプあります(交流施設 ひだまり内)和寒町総務課まちづくり推進係
- ^ わっさむ町食と観光情報案内所和寒町総務課まちづくり推進係
JR北海道
[編集]- ^ “駅別乗車人員(【別添資料】(2)宗谷本線(旭川・稚内間)の状況)” (PDF). 宗谷線(旭川~稚内間)事業計画(アクションプラン). 北海道旅客鉄道. pp. 11-12 (2019年4月). 2019年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月18日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員(【別添資料】(2)宗谷本線(旭川・稚内間)の状況)” (PDF). 宗谷線(旭川~稚内間)第2期事業計画(アクションプラン). p. 10 (2021年4月16日). 2021年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月29日閲覧。
- ^ “宗谷線(旭川・稚内間) 事業の抜本的な改善方策の実現に向けた実行計画(2024(令和6)~2026(令和8)年度)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、5-17頁。
- 武田元秀、山井美希(写真)「最北端最後の砦 孤高の一本道」『鉄道ジャーナル』第55巻第4号(通巻654号)、成美堂出版、2020年4月1日、24-33頁、ISSN 0288-2337。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 和寒|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company