コンテンツにスキップ

吉田宏 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田 宏
よしだ ひろし
生年月日 (1956-09-18) 1956年9月18日(68歳)
出生地 福岡県
出身校 慶應義塾大学経済学部
前職 新聞記者
所属政党 無所属
称号 経済学士(慶應義塾大学)

第34代福岡市長
当選回数 1回
在任期間 2006年12月7日 - 2010年12月6日
テンプレートを表示

吉田 宏(よしだ ひろし、1956年昭和31年)9月18日[1] - )は、日本政治家。元福岡市長(第34代)。

概要

[編集]

経歴

[編集]

福岡県出身。幼少期を福岡市と北九州市で育つ。ラ・サール高校卒業。慶應義塾大学経済学部卒業。1980年西日本新聞社に入社。経済部記者、社会部記者、論説委員、経済部長などを歴任する傍ら、この間に報道番組コメンテーターも務めており、テレビ西日本土曜NEWSファイル CUBEに時折出演していた。2006年7月26日、経済部長を最後に退社。

福岡市長

[編集]

当選

[編集]

2006年11月に福岡市長選挙に民主党の推薦と社民党ふくおかネットワークの支持を受け立候補。現職の山崎広太郎市長(自民推薦)を破り、初当選を果たした。12月7日に市長職に就任した。福岡市長はこれまで官僚国会議員経験者などが就任してきたが、民間出身の市長は吉田が生まれた1956年に就任した奥村茂敏以来50年ぶりである。翌年の2007年の北九州市長選挙では、民主・社民・国民新が推薦した、北橋健治が初当選し、福岡県内の政令指定都市の市長は、2010年に吉田が落選するまで、民主系候補が占めることとなった。

市政運営

[編集]

市債残高を市長就任後の4年間で約1千2百億円縮減し、財政健全化を進める一方、未就学児童の医療費無料化を実現することなどにより、福岡市は出生率伸びにも繋がった。また、不登校・ひきこもり児童・生徒対策や障害者福祉事業にも力を入れている。 対外交流の分野では、釜山広域市との関係を強化し、国境を越えた超広域経済圏の形成に取り組んでいる。 「見直し」を表明していた福岡市立こども病院の移転を事実上継承。吉田は「白紙に戻して検証・検討した結果」と説明した。

落選

[編集]

2010年11月14日の福岡市長選挙で再選を目指し、国政与党である民主党・国民新党推薦、社民党支持で出馬したが、自由民主党公明党が支援する元九州朝日放送アナウンサーの高島宗一郎に敗れ、落選した[2]

2014年11月16日の福岡市長選挙にも立候補したが、現職の高島宗一郎に前回以上の差で敗れ、落選した。

出典

[編集]
  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、386頁。
  2. ^ “福岡市長に36歳高島氏、戦後では歴代最年少” (日本語). 読売新聞. (2010年11月14日). http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20101114-OYS1T00524.htm 2010年11月14日閲覧。 [リンク切れ]

外部リンク

[編集]
先代
山崎広太郎
福岡県福岡市長
第34代:2006年 - 2010年
次代
高島宗一郎