及川煌久
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(及川太郎から転送)
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基礎情報 | ||||
四股名 | 及川 太郎→及川 煌久 | |||
本名 | 及川 耕貢 | |||
生年月日 | 1936年12月16日 | |||
出身 | 岩手県胆沢郡前沢町(現・同県奥州市) | |||
身長 | 176cm | |||
体重 | 120kg | |||
BMI | 38.74 | |||
所属部屋 | 高砂部屋(入門時は尾上部屋) | |||
得意技 | 左四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭10枚目 | |||
生涯戦歴 | 299勝305敗19休 (50場所) | |||
幕内戦歴 | 147勝164敗4休 (21場所) | |||
優勝 | 十両優勝2回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1952年1月場所 | |||
入幕 | 1957年9月場所 | |||
引退 | 1962年5月場所 | |||
引退後 | 中華料理店経営 | |||
備考 | ||||
2013年8月29日現在 |
及川 煌久(おいかわ てるひさ、1936年12月16日 - 没年不明)は、岩手県胆沢郡前沢町(現役当時、現在の同県奥州市)出身で高砂部屋(入門時は尾上部屋)に所属した大相撲力士。本名は及川 耕貢(おいかわ こうぐ)。現役時代は、身長176cm、体重120kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭10枚目(1960年9月場所)[1]。
来歴・人物
[編集]中学在学中に尾上部屋へ入門し、1952年1月場所にて、15歳で初土俵[1]。
初土俵の場所では途中から新序に昇格して相撲を取り、1勝2敗と負け越した。だが、次の場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。
なお、初めて番付に付いた時より、本名でもある「及川」を名乗った(下の四股名は途中で「太郎」から「煌久」に変えたが、上の名は廃業まで「及川」で通している)。
その後、1955年3月より高砂部屋に移籍。以来、同部屋の「期待の星」として順調に出世し、1956年9月場所で十両に昇進した。
十両は2度の優勝もあってか1年で通過し、1957年9月場所にて、20歳の若さで新入幕を果たした[1]。
出足鋭く押し立てる相撲で、左四つからの寄りを得意とし、入幕後すぐに前頭上位に進むかと期待された。しかし、幕内では1度も10勝以上の大勝ちが無く、右膝の怪我もあったため上位への進出は叶わなかった[1]。
1961年1月場所を最後に幕内から遠ざかり、現役晩年は幕下14枚目まで陥落して、1962年5月場所を以って廃業[1]。
主な戦績
[編集]- 通算成績:299勝305敗19休 勝率.495
- 幕内成績:147勝164敗4休 勝率.473
- 現役在位:50場所
- 幕内在位:21場所
- 各段優勝
- 十両優勝:2回(1957年1月場所、1957年5月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1952年 (昭和27年) |
新序 1–2 |
x | 西序二段30枚目 1–7 |
x | 東序二段30枚目 3–5 |
x |
1953年 (昭和28年) |
西序二段22枚目 5–3 |
東三段目55枚目 3–5 |
東三段目56枚目 3–5 |
x | 東三段目59枚目 5–3 |
x |
1954年 (昭和29年) |
東三段目43枚目 5–3 |
東三段目26枚目 7–1 |
東三段目4枚目 4–4 |
x | 西三段目筆頭 4–4 |
x |
1955年 (昭和30年) |
東幕下47枚目 4–4 |
西幕下43枚目 4–4 |
東幕下41枚目 6–2 |
x | 西幕下24枚目 5–3 |
x |
1956年 (昭和31年) |
東幕下15枚目 5–3 |
東幕下11枚目 6–2 |
東幕下筆頭 5–3 |
x | 西十両22枚目 8–7 |
x |
1957年 (昭和32年) |
東十両15枚目 優勝 13–2 |
東十両2枚目 7–8 |
西十両3枚目 優勝 13–2 |
x | 東前頭16枚目 8–7 |
西前頭13枚目 7–8 |
1958年 (昭和33年) |
西前頭14枚目 7–8 |
東前頭15枚目 7–8 |
東前頭15枚目 5–10 |
西前頭19枚目 8–7 |
東前頭17枚目 8–7 |
西前頭16枚目 7–8 |
1959年 (昭和34年) |
東前頭17枚目 7–8 |
東前頭18枚目 9–6 |
西前頭13枚目 5–6–4[2] |
西前頭16枚目 8–7 |
西前頭13枚目 7–8 |
西前頭12枚目 8–7 |
1960年 (昭和35年) |
東前頭11枚目 7–8 |
西前頭11枚目 7–8 |
東前頭12枚目 6–9 |
東前頭15枚目 8–7 |
東前頭10枚目 6–9 |
西前頭14枚目 8–7 |
1961年 (昭和36年) |
東前頭11枚目 4–11 |
東十両2枚目 4–11 |
東十両9枚目 5–10 |
東十両16枚目 7–8 |
東十両17枚目 8–7 |
東十両13枚目 7–8 |
1962年 (昭和37年) |
東十両14枚目 5–10 |
西十両18枚目 0–5–10 |
西幕下14枚目 引退 0–2–5 |
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各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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青ノ里 | 4 | 5 | 東海 | 1 | 0 | 天津灘 | 2 | 1 | 安念山 | 0 | 1 |
泉洋 | 8 | 3 | 宇田川 | 3 | 2 | 追手山 | 0 | 1 | 大内山 | 1 | 3 |
大瀬川 | 5 | 4 | 大起 | 0 | 2 | 大ノ浦 | 1 | 0 | 大晃 | 0 | 2 |
小城ノ花 | 7 | 4 | 小野錦 | 2 | 1 | 海山 | 5 | 8 | 開隆山 | 1 | 2 |
金ノ花 | 5 | 5 | 神錦 | 1 | 0 | 北の洋 | 1 | 4 | 清恵波 | 5 | 0 |
清ノ森 | 2 | 1 | 鬼竜川 | 5 | 5 | 鯉の勢 | 1 | 5 | 佐田の山 | 1 | 0 |
潮錦 | 3 | 4 | 信夫山 | 0 | 2 | 信夫竜 | 0 | 1 | 玉乃海 | 0 | 6 |
玉響 | 0 | 5 | 常錦 | 4 | 4 | 鶴ヶ嶺 | 2 | 0 | 出羽錦 | 2 | 3 |
出羽湊 | 1 | 1 | 富樫 | 0 | 3 | 時津山 | 4 | 2 | 時錦 | 1 | 6(1) |
栃ノ海 | 2 | 0 | 栃光 | 0 | 2 | 豊ノ海 | 1 | 1 | 鳴門海 | 8 | 2 |
成山 | 3 | 6 | 羽黒花 | 0 | 2 | 羽嶋山 | 1 | 1 | 羽子錦 | 4 | 1 |
広瀬川 | 1 | 1 | 福田山 | 2 | 7 | 福乃海 | 2 | 0 | 福乃里 | 1 | 2 |
双ツ龍 | 8 | 5 | 星甲 | 6 | 3 | 三根山 | 1 | 2 | 明歩谷 | 3 | 1 |
八染 | 3 | 0 | 吉井山 | 1 | 0 | 芳野嶺 | 3 | 5 | 若杉山 | 3 | 4 |
若瀬川 | 0 | 2 | 若秩父 | 3 | 4 | 若ノ海 | 1 | 0 | 若乃國 | 2 | 2 |
若葉山 | 4 | 8 | 若三杉 | 0 | 5 |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦敗の数。
改名歴
[編集]- 及川 太郎(おいかわ たろう、1952年5月場所-1960年3月場所)
- 及川 煌久(- てるひさ、1960年5月場所-1962年5月場所)
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第二巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、p162-p167)