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原孝吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原孝吉
はら こうきち
生年月日 1884年10月24日
出生地 日本の旗 日本 福島県安積郡小原田村
(現・福島県郡山市
没年月日 (1968-09-22) 1968年9月22日(83歳没)
死没地 日本の旗 日本 福島県郡山市
前職 実業家
所属政党民主党→)
民主自由党

選挙区 旧福島1区
当選回数 1回
在任期間 1947年4月25日 - 1948年12月23日

当選回数 3回

第5代 郡山市会議長
在任期間 1945年6月8日 - 1947年4月30日

郡山市会議員
当選回数 5回
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原 孝吉(はら こうきち、1884年明治17年)10月24日[1] - 1968年昭和43年)9月22日[1][2][3])は、日本の実業家政治家衆議院議員

経歴

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福島県安積郡小原田村[1]小原田村大字小原田を経て現郡山市)で、原五郎八の三男として生まれる[4]。実家が貧しかったため、幾多の困難を乗り越えて畳製造販売業を営んだ[1][2][4]

実業界では、東北木工社長、福島県土木建築職種別組合協議会長、同畳商工業協同組合理事長、郡山商工会議所常議員などを務め、1947年(昭和22年)全国畳商工会長に就任した[1][2][4]

政界では、郡山市会議員(5期)、同第5代議長(1945年6月8日から1947年4月30日まで)、福島県会議員(3期)を務めた[1][2][5]。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙福島県第1区から民主党公認で出馬して当選した[2]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙は次点で落選し[6]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、民主党常議員会副会長などを務めた[2]

その他、福島家庭裁判所調停委員、郡山ボーイスカウト団長などを務めた[1][2]

1968年9月22日、老衰のため郡山市の自宅で死去した[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『福島県史 第22巻』412頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』522頁。
  3. ^ a b 実業の世界 65(12)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ハ106頁。
  5. ^ 郡山市勢要覧 1950』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』46頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。