コンテンツにスキップ

佐竹健太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐竹 健太
広島時代の佐竹
2008年6月27日(阪神甲子園球場)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県北九州市八幡東区
生年月日 (1978-10-23) 1978年10月23日(46歳)
身長
体重
178 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 ドラフト5位
初出場 2000年4月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

佐竹 健太(さたけ けんた、1978年10月23日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

[編集]

プロ入り前

[編集]

広陵高校出身で3年夏は県大会4回戦で敗退した[1]。卒業後は社会人野球NKKに入団[1]1999年夏の都市対抗野球では三菱自動車水島の補強選手として出場し、ベスト4の成績をおさめた[1]。社会人通算11勝4敗、防御率4.43[1]

1999年ドラフト会議広島東洋カープから5位指名を受け、入団[1]

広島時代

[編集]

2000年、球速は最速137km/hだが、キレのあるストレートと抜いてくるカーブを投げ分ける技巧派左腕として活躍し、ルーキーながら22試合に登板してチームに貢献した。

2001年は左のワンポイントリリーフを志向して自らサイドスローに転向したが、一軍では2001年は1試合、2002年は6試合の登板にとどまり、2003年には初めて一軍登板なしに終わった。

2004年は、2月のキャンプ中盤に胸郭出口症候群で離脱したが、7月に2年ぶりの一軍復帰を果たした。また、肩やひじへの負担を軽減するためにサイドスローから従来のオーバースローに戻した。32試合に登板して防御率3.91の成績を残し、プロ初勝利を挙げた。

2005年は、プロ入り初の開幕一軍を果たすと、ほぼ一年間一軍に帯同し、自己最多の50試合に登板した。オリックス・バファローズに移籍した菊地原毅に代わる左のワンポイントとして重宝され、半分以上が1イニング未満の登板だった。しかし被打率は左打者のほうが悪く、四球も多かった。

2006年、6年間付けていた背番号36から13に変更した。32試合に登板し、チームで唯一3年連続30試合以上に登板した。マーティ・ブラウン新監督によって1イニング以上を任される起用法に変わり、プロ入り後初めてイニング数が登板試合数を上回った。10月28日の秋季キャンプで左ひじ痛を発症したが、前回の病気と同じく手術をしないことを決断した。

2007年は球速が上昇し、140キロ後半まで出るようになった。シーズン前半は二軍だったが、後半にワンポイントとして起用され、20試合に登板。しかし被打率は右打者に5割以上、左打者にも3割打たれた。

楽天時代

[編集]

2008年7月18日、牧野塁とのトレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。背番号は14。7月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦で移籍後初登板。(2回1/3を1失点。)その後9月7日の北海道日本ハムファイターズ戦で先発の一場靖弘のあとを受け4回から7回までを無失点に抑えて、移籍後初勝利を挙げた。最終戦の対福岡ソフトバンクホークス戦では、松中信彦に投じた初球が併殺打となり、その裏にチームがサヨナラ勝ちしたために球団史上初の1球勝利(史上26人目)を達成した。その年の契約更改では、楽天選手初の保留者となった。

2009年は、チームの先発左腕が不足しているチーム事情により先発転向を目指し、オープン戦では先発で登板した。しかしシーズン中はワンポイント及びロングリリーフで起用された。

2010年は20試合、2011年は17試合、2012年は3試合にいずれもリリーフで登板したが、結果を残せず、10月2日に球団から戦力外通告を受けた。

引退後

[編集]

2013年からは楽天の打撃投手を務める。

2017年より広島の打撃投手として9年振りに古巣復帰となった。2020年限りで退任。

選手としての特徴

[編集]

140km/h台前半~中盤のストレートとカーブスライダースクリューシュートを投げる。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
2000 広島 22 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 92 19.2 22 2 11 2 1 17 0 0 12 12 5.49 1.68
2001 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 1 0.1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.00
2002 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 25 5.0 7 1 3 0 0 7 1 0 4 3 5.40 2.00
2004 32 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 109 25.1 27 4 7 0 1 22 0 0 12 11 3.91 1.34
2005 50 0 0 0 0 0 1 0 8 .000 179 36.1 51 6 21 0 1 30 1 0 28 24 5.94 1.98
2006 32 0 0 0 0 1 2 0 7 .333 151 32.1 37 2 16 3 2 23 1 0 18 17 4.73 1.64
2007 20 0 0 0 0 0 0 0 8 ---- 55 9.2 18 1 7 1 0 6 0 0 5 5 4.66 2.59
2008 楽天 24 0 0 0 0 2 0 0 4 1.000 83 21.0 15 0 9 1 1 22 2 0 6 5 2.14 1.14
2009 34 0 0 0 0 1 1 0 10 .500 148 32.0 35 4 16 0 2 22 1 0 20 18 5.06 1.59
2010 20 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 95 21.2 24 1 6 0 1 20 2 0 13 11 4.57 1.39
2011 17 0 0 0 0 0 0 0 4 ---- 71 16.1 19 2 2 0 2 15 0 0 10 9 4.96 1.29
2012 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 23 4.0 8 3 2 0 0 1 0 0 8 7 15.75 2.50
通算:11年 261 0 0 0 0 5 8 0 41 .385 1032 223.2 263 26 100 7 11 186 8 0 136 122 4.91 1.62

記録

[編集]
初記録
その他の記録

背番号

[編集]
  • 36 (2000年 - 2005年)
  • 13 (2006年 - 2008年途中)
  • 14 (2008年途中 - 2012年)
  • 112 (2013年 - 2016年)
  • 108 (2017年 - 2020年)

登場曲

[編集]

♪『何度でも』 / DREAMS COME TRUE(2008年途中~)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、251ページ

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]