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住吉義則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
住吉 義則
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府泉佐野市
生年月日 (1964-10-10) 1964年10月10日(60歳)
身長
体重
183 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手
プロ入り 1990年 ドラフト1位
初出場 1991年5月10日
最終出場 1993年7月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

住吉 義則(すみよし よしのり、1964年10月10日 - )は、大阪府泉佐野市出身の元プロ野球選手内野手)。

現在は少年硬式野球チーム「ヤングKIXベースボールクラブ・21」の監督を務めている。

来歴・人物

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箕島高では、1982年春の選抜捕手として出場[1]。準々決勝に進むが、エース榎田健一郎を擁するPL学園高に0-1で惜敗。チームメートに控え投手吉井理人左翼手畑山俊二がいた。

箕島高では定時制に通っていたため、高校野球引退後は東京・竹早高(定時制)に転校のうえ、社会人野球プリンスホテルに進む[1]。5年間ブルペン捕手を務めた後に内野手に転向する[1]。左腕エース橋本武広らを擁し1989年都市対抗野球に出場。石井浩郎とともに打線の中軸となり、大昭和製紙北海道との決勝に進む。この試合では適時打を放つなど活躍、チームの初優勝に貢献した。1990年の第31回アマチュア野球世界選手権では全日本の四番打者を任される[1]。同年の社会人ベストナイン一塁手)にも選出された。

1990年のプロ野球ドラフト会議日本ハムファイターズから1位指名を受け入団[1]

古屋英夫の背番号5を引き継ぎ、即戦力と期待されて1年目から一軍に定着。同年はオープン戦で打撃ではアピールできたものの期待された三塁手として送球難で開幕一軍を逃す。主に一塁手として6試合に先発出場するが、オープン戦で見せた打撃も鳴りを潜めその後は伸び悩む。1994年以降は一軍出場は無く、1995年11月に自由契約となり千葉ロッテマリーンズに移籍[1]。一軍出場は叶わず翌1996年限りで現役引退[1]

1997年2000年まで「泉佐野リトルシニアリーグ」のヘッドコーチを務め、2001年2002年までは監督を務める。

2003年に少年硬式野球チーム「KIXベースボールクラブ・21」を結成し、監督に就任。2005年にはNPO法人「KIXスポーツクラブ21振興会」を設立し、理事長に就任。

2009年8月に開催された「第14回IBAF AA世界野球選手権大会」日本代表のコーチを務めた。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1991 日本ハム 27 41 40 2 7 1 0 0 8 2 0 0 0 0 1 0 0 12 1 .175 .195 .200 .395
1992 2 3 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .000 .000 .000 .000
1993 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:3年 30 45 44 3 7 1 0 0 8 2 0 0 0 0 1 0 0 14 2 .159 .178 .182 .360

年度別守備成績

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捕手 一塁 三塁 外野


























































1991 1 1 0 0 0 0 1.000 1 0 .000 10 35 3 0 2 1.000 1 0 0 0 0 1.000 3 2 0 0 0 1.000
1992 - 1 0 0 0 0 1.000 - -
通算 1 1 0 0 0 1 1.000 1 0 .000 11 35 3 0 2 1.000 1 0 0 0 0 1.000 3 2 0 0 0 1.000

記録

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背番号

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  • 5 (1991年 - 1993年)
  • 32 (1994年 - 1995年)
  • 53 (1996年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、303ページ

関連項目

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外部リンク

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