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トンカラリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トンカラリン
「7段の階段」開口部
地図
所在地 日本の旗 日本
熊本県玉名郡和水町瀬川
座標 北緯32度58分06秒 東経130度36分12秒 / 北緯32.96825度 東経130.60344度 / 32.96825; 130.60344座標: 北緯32度58分06秒 東経130度36分12秒 / 北緯32.96825度 東経130.60344度 / 32.96825; 130.60344
種類 隧道型遺構
歴史
時代 不詳
登録日2008年2月8日

トンカラリンは、熊本県玉名郡和水町にある隧道(トンネル)型遺構。熊本県指定史跡に指定されている。

概要

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江田船山古墳(国の史跡)がある清原せいばる台地に位置し、全長は464.6メートル、自然の地隙や人工の石組暗渠で構成されている。「トンカラリン」の名称は、穴に石を投げ込むと「とんからりん」という音が聞こえることからつけられたという説がある。また、考古学者吉村作治により古代エジプトピラミッドとの共通点もいくつか指摘されている。石積みが布石積みという日本では珍しい工法であり、これはエジプトのピラミッドと同じものである。

建造目的

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トンカラリンに関しては民間伝承もなく、排水路説、古代人の信仰遺跡説、道教由来説、古代朝鮮由来説などの諸説があるが、未だに定説はない。熊本県教育委員会は1974年に現地調査を行い、1978年3月に「近世の排水路」との調査報告書を一旦は発表したが、用水路説と信仰遺跡説も検討すべきと将来の検討にゆだねている[1][2]2001年に同教委と当時の菊水町教育委員会が再調査し、排水路にしては不都合な点が多すぎるとして、現在は再び「謎の遺跡」とされている。ただし、近世以降の遺構であることは確かであり、「謎の遺跡」だからといって一部の者[誰?]が主張するように古代遺跡だというわけではない。この調査では第2のトンカラリンが2001年に発見され[3]、さらに第3、第4のトンカラリンが埋蔵されている可能性も指摘されている。

作家松本清張は、1975年5月にトンカラリンを訪れ[4]、『魏志倭人伝』の一節からトンカラリンが邪馬台国卑弥呼鬼道であるとの説を唱えて、トンカラリンの存在が広く知られるきっかけを作った[5][6]

トンカラリンシンポジウム

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2001年10月29日に、菊水町(現:和水町)における熊本県県民文化祭において、トンカラリンシンポジウムが開かれ、当時までの研究が総括された[7]筑波大学名誉教授の井上辰夫、熊本県文化財保護審議会委員の古閑三博のほか、飯田精也、大田幸博、井上智重、出宮徳尚が出席した。井上辰夫は「穴に潜って出ることは俗から聖、死から生への転換で、トンカラリンはこの秘儀と結びついているだろう」と述べた。古閑、飯田は「地裂は地震でなく、雨でも起こる」と述べ排水路説を否定、大田も「地裂を重要視、出土遺物を検討しその使用は江戸時代の初期を下限とする」と述べた。上限は中世とした。

広島のトンカラリン

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東広島のトンカラリン

広島県東広島市安芸津町三津信僧にも同名の隧道型遺構が存在するが、これは、熊本のトンカラリンにちなんで名付けられたものである。

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 古閑 1994, pp. 172–187.
  2. ^ 熊本県教育委員会 編『熊本県文化財調査報告書』 第31集(菊池川流域文化財調査報告書)、熊本県教育委員会、1978年3月。全国書誌番号:78024974 
  3. ^ 古閑 2003, p. 105.
  4. ^ 古閑 1994, pp. 88–95.
  5. ^ 古閑 1994, pp. 130–136.
  6. ^ 松本清張「新考 邪馬台国」『別冊週刊読売』昭和50年7月号、1975年。 
  7. ^ 古閑 2003, pp. 1–87.

参考文献

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  • 古閑三博『夢、甦る 謎の隧道遺構トンカラリン』三弘会、1994年。 
  • 古閑三博『続 夢、甦る 謎の隧道遺構トンカラリン』三弘会、2003年。 

関連項目

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