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ダラーラ・3087

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダラーラ・3087
カテゴリー F3000 / F1
コンストラクター ダラーラ
デザイナー ジャンパオロ・ダラーラ
先代 ダラーラ・386 (F3
後継 ダラーラ・BMS188 (F1)
ダラーラ・388 (F3)
主要諸元
シャシー カーボンファイバーモノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, プルロッド, インボード・コイルスプリング, ダンパー
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド, インボード・コイルスプリング, ダンパー
エンジン フォード-コスワース DFV 3リッター V8 NA
トランスミッション ヒューランド
オイル カストロール(F1)
タイヤ グッドイヤー(F1)
エイヴォン国際F3000
主要成績
チーム BMSスクーデリア・イタリア
ドライバー 36. イタリアの旗 アレックス・カフィ
初戦 1988年ブラジルグランプリ
出走優勝ポールFラップ
1 (0 start)000
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ダラーラ・3087 (Dallara 3087) は、ダラーラF3000用に開発した車両で、主に1987年の国際F3000でユーロ・ベンチュリーニおよびフォルティ・コルセが使用した。

また、BMSスクーデリア・イタリア1988年のF1世界選手権に新規参戦するため、開幕戦ブラジルGPのみの暫定車両として投入されたが、予備予選落ちした。第2戦のサンマリノGPからはF1専用に設計されたダラーラ・BMS188と交換された。

1988年の国際F3000もフォルティ・コルセが継続使用したが、予選突破もできない状態となり、シーズン中盤からローラ・T88/50英語版にスイッチされていった。

F1出走の経緯

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ジュゼッペ・ルッキーニはイタリアの企業家であり、BMSスクーデリア・イタリアを率いてイタリアラリー選手権英語版に参戦、後には世界ツーリングカー選手権にも参戦した。1988年に彼はフォーミュラ1への参戦を決定し、ダラーラに車両の開発を依頼した。ダラーラ・BMS188のエンジンはフォード・コスワース・DFVを排気量を3,000ccから3,500ccにボアアップしたフォード・コスワース・DFZを予定していた。

ダラーラは1988年の開幕戦にBMS188を間に合わせることができなかった。しかし、選手権にエントリーしながら欠場することはチームにペナルティが発生するため、欠場を回避する必要があった。そのためスクーデリア・イタリアは、開幕戦ブラジルGPに3087にF1の車両規定を満たすよう最低限の改修を施して持ち込んだ。3087は3,000ccのDFVエンジンを搭載し、F3000用に設定されたレブリミッターは取り外されたが、ライバルチームの自然吸気エンジンよりも排気量が500cc少ない状態状態だった。ドライバーはオゼッラから移籍してきた24歳のヤングイタリアン、アレックス・カフィが起用された。

第2戦サンマリノGPでは排気量3,500ccのDFZエンジンを搭載したBMS188が完成し、3087はブラジルGPの出走のみで終了した。

ダラーラ・3087は、F1グランプリの公式セッションに参加した最後の非F1マシンである。

レース戦績

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国際F3000において目立った活躍は残せておらず、1987年のベルギーGPの6位入賞が最上位となっている。1988年の国際F3000では新型シャーシを投入したローラレイナード勢に刃が立たず、予選落ちが常態化した。

1988年のF1・ブラジルGPでは車検に合格し、カフィは予備予選に出走したが、予備予選は最下位となり、周囲の予想通り予備予選落ちとなった。ポールポジションを獲得したアイルトン・セナの予選タイムより18秒遅れのラップタイムだった。

F1における全成績

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(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1988年 スクーデリア・イタリア フォード DFV 3.0 V8 G BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
MEX
メキシコの旗
CAN
カナダの旗
DET
アメリカ合衆国の旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
0 NC
36 イタリアの旗 カフィ DNPQ

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外部リンク

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