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タインインダー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミャンマーの国民登録証。民族(လူမျိုး)欄には「ビルマ(ဗမာ)」と記載されている。

タインインダーtaingyinthaビルマ語: တိုင်းရင်းသား)は、ミャンマーにおける土着民族を指す言葉である。原義的には「先住民族」あるいは「少数民族」の意味であるが[1]、現代ミャンマーにおいては、この言葉は植民地化以前よりミャンマーに暮らしていた諸民族をあらわす[2]。タインインダーであることは法的にミャンマー国民として認められる要件のひとつとなっており、場合によっては「国民」と同義で用いられる[1]

定義

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独立以前

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タイン(တိုင်)は「くに」、イン(ရင်း)は「土着の」、ダー(သား)は「人」を意味する言葉であり、直訳的には「その土地に古来より居住する人」を意味する[1]。この用語は、特に1920年代以前のミャンマーにおいては、あまり重要なものではなかった。国家主義的な政治家は、民衆に対する呼びかけとして taingthu-pyitha(ビルマ語: တိုင်းသူပြည်သား、「国の男女」)、pyithu(ビルマ語: ပြည်သူ、「国民」)、あるいは左翼的なニュアンスをもつ ludu (ビルマ語: လူထု、「民衆」)といった語を用いた。また、民族を代表する政党は amyota(ビルマ語: အမျိုးသား、「国民」)といった言葉を好んで用いた。これに対して、「タインインダー」という言葉は、政治的文脈においては、地域の民族の生業の支援や、地域言語での教育などについて言及するために用いられた[2]

1920年代より、「タインインダー」はより強い政治的文脈を持つようになった。この言葉はインド系ビルマ人中国系ビルマ人英語版、ヨーロッパ系ではない、ミャンマーの土着民族を指す言葉として用いられるようになった[2]根本敬は、20世紀ビルマの独立運動の背景にはインド系をはじめとした「外国人」がビルマ人を苦しめたという認識があり、このことがミャンマー国民を「土着」「非土着」にわける考えを生み出したと論じている[3]

独立以後

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独立後の1948年には、ウー・ヌ首相によりシャンカチンカレンカレンニーモンバマーといったタインインダー同士の団結を訴える演説がおこなわれた。しかし、「タインインダー」が政治における重要語句になったのは、1962年ビルマクーデター以降である。同クーデターを介して政権を握ったネウィンは、国家建設の基盤としてのタインインダーの役割を強調するとともに、非タインインダーであるインド人・華人を追放ないし疎外した[2]。同政権は、1947年憲法に盛り込まれた連邦離脱権がタインインダー諸民族(ビルマ語: တိုင်းရင်းသားလူမျိုးများ)の団結をみだすものであったことを論じつつ、タインインダー諸民族による反植民地闘争の歴史と、パンロン協定の結実というその成果を強調した[1]。しかし、その反面でタインインダーの連帯を重視する政策は、それぞれの民族の差異を等閑視するものでもあった。中西嘉宏の言葉を借りるならば、「団結という言葉の裏で、行政用語のビルマ語化、学校教育のビルマ語化、非ビルマ語の出版物の禁止のような、同化主義的な政策が強引に推し進められた[4]。」

1982年制定の国籍法英語版においては、「カチン・カレンニー・カレン・チン・バマー・モン・アラカン・シャンとその他のタインインダー、ビルマ暦1185年ないし西暦1823年以前に国内に居住する民族集団は、ビルマ国民としての地位をもつ」ことが明記された[2]。1823年はすなわち第一次英緬戦争の開戦年であり、これら「土着」の国民に対して、1948年の独立時にミャンマーに住んでいた外国系の国民は「準国民」と認定された。「準国民」に対しては、就職や教育などにおいて制限がくわえられた。また、ビルマ人としてのアイデンティティを持っている人物でも、イスラム教徒であったり、顔つきがインド系ないし中国系であったりすると、国民登録証に「バマー」と記入することが禁じられることもある[5]

1988年の、8888民主化運動を経てネウィン政権は崩壊し、国家法秩序回復評議会(SLORC)による政権が成立する。同組織はのちに国家平和発展評議会(SPDC)に引き継がれる[1]。新政権は前政権のような強いイデオロギー的性質(cf. ビルマ式社会主義)を有しておらず、ニック・チースマン(Nick Cheesman)いわく「うっとうしいほどに(ad nauseam)」諸民族の連帯を強調しつづけた。また、この時期には国号の外称が「ビルマ」から「ミャンマー」に変更された[2]。この時期、どの民族であろうと、あらゆる国民は「ミャンマー」というグループに帰属するとされた。多民族の連帯は表面的に認められるもののみであり、少数民族に関する歴史的記述は周縁化された[1]。少数言語教育は実行されず、「タインインダー」であることとビルマ語の読み書き能力があること、つまり「ビルマ人のように文明的・文化的であること」はほとんど同義であった[2]

「135民族」のタインインダー

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「135民族」というテーゼ

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現代ミャンマーにおいては、タインインダーは135民族であると定義されているものの、その根拠は不明瞭である[2][6]。1931年の国勢調査では、135または136の民族が定義されているものの、これは現在知られているタインインダーのリストとは一致しない。1972年に作成されたリストでは144の民族が定義されているが、一方で翌年の国営新聞に掲載されたリストには143民族しか掲載されていない[2]。また、タインインダーの選定にあたっては、華人やインド人、また、「ラカイン・チッタゴン(ロヒンギャ)」といった、1972年のリストには掲載されていた民族が「外国人」であるとして省かれている[7]。2013年の政府答弁によれば、135民族が定義されたのは1982年の国勢調査以降であり、1931年および1953-54年の国勢調査で用いられた民族リストをもととするものである。しかし、なぜタインインダーが135民族であることになったのかについては、よくわからない[2]

135民族のリストにはさまざまな問題点があることが知られている。たとえば、諸民族の呼称については外名が用いられる例と内名が用いられる例がある。また、ムロ(မြို)のように、重複して数えられる民族が存在する[6]。また、カチンのように、実際には諸民族の総称である用語が、より細分化された民族とともに並べられている。『シャン・ヘラルド英語版』のGamaniiは、同リストに挙げられる135民族のうち、76の民族が実際には別の民族との重複であると論じている[8]。このリストにおいては、135の諸民族は8民族(カチン・カヤー・カイン・チン・バマー・モン・ラカイン・シャン)に大別されているが[9]、たとえばナガの議員はこの枠組みに異議を唱えている[2]。ナガやメイテイといった民族は、チンとは異なるアイデンティティを有しているにも関わらず、チンの一部とみなされている[8]

135民族の分類は、各民族語の系統的な分類とも一致しない。たとえば、カチン族の話す言語は、いずれもチベット・ビルマ語族の言語である。しかし、その中でも、ツァイワ語・ロンウォー語・ラチ語等は、ビルマ諸語英語版リス語ロロ諸語に属しており、系統的にはサル語群英語版ジンポー語より、むしろビルマ語ラカイン語に近い[10]。他方、ラカイン族とビルマ族は互いに別個の民族意識を持っているものの、ラカイン語の中でもエーヤワディ地方域周辺で話される変種は、標準ビルマ語と相互理解が可能なほど類似している[11]加藤昌彦によると、ラカイン語とビルマ語は言語連続体を成しているため、ラカイン族とビルマ族は一つの言語を共有していると見做せるという[12]。このように、ミャンマー政府による公的な「民族」分類と、社会的・心理的な民族意識の境界、及び言語分類の対応関係は複雑なものとなっている。

ジェーン・ファーガソン(Jane Ferguson)は、国内インフォーマントの弁として、135民族の典拠はSLORCの創設者であるソウマウンであるという説を紹介している。彼は「なぜ軍が少数民族の反乱に難儀しているのか」という質問に対して、135民族という多様性がその一因にあると答えたという。ほかの説としては、135の数字根が、ネウィンの好きな数字である9になるからというものがある[6]。ミャンマーの政界においては数秘術が重視されており、9(ビルマ語: ကိုးနဝင်း)は仏陀の九徳(阿羅漢・正自覚者・明行具足者・善逝・世間解・無上の調御丈夫・天人師・覚者・世尊[13])を意味する。ネウィン政権末期の1987年には45チャット・90チャット紙幣が発行されたほか、翌年のソウマウンによるクーデターは9月18日に実行された。また、「ミャンマー」への外称変更についても、ビルマの数秘術において「Myanmar」が「4115412」と、数字根を9とする文字列に変換できるからとする説がある[14]

「135民族」の一覧

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番号 大グループ[9] 英名[9] ビルマ語名[15] 日本語名[7]
1 カチン Kachin ကချင် カチン
2 Trone ထရုမ်း タローン
3 Dalaung ဒလောင် ダラウン
4 Jinghpaw ဂျိန်ဖော့|ဂျိမ်းဖော ジンポー
5 Guari ဂေါ်ရီ ゴーリー
6 Hkahku ခါ့ခူး カ・ク
7 Duleng ဒူးလင်း ドゥレン
8 Maru (Lawgore) လော်ဝေါ် マルー(ロンウォー)
9 Rawang ရဝမ် ラワン
10 Lashi (La Chit) လရှီ ラシー
11 Atsi အဇီး アヅィー
12 Lisu လီဆူ リス
13 カヤー Kayah ကယား カヤー
14 Zayein ဇယိန် ザイェイン
15 Ka-Yun (Padaung) ကယန်း カヤン(パダウン)
16 Gheko ဂေခို ゲーコー
17 Kebar ဂေဘား ゲーバー
18 Bre Ka-Yaw ပရဲ バイェ(カヨー)
19 Manu Manaw မနူမနော マヌマノー
20 Yin Talai ယင်းတလဲ インタレー
21 Yin Baw ယင်းဘော် インボ
22 カイン Kayin ကရင် カイン
23 Kayinpyu ကရင်ဖြူ カインピュー
24 Pa-Le-Chi ပလေကီး バレーチー
25 Mon Kayin (Sarpyu) မွန်ကရင် ムンカイン
26 Sgaw စကောကရင် スゴー
27 Ta-Lay-Pwa တလှေပွာ タレーボワ
28 Paku ပကူး パクー
29 Bwe ဘွဲ ブエ
30 Monnepwa မောနေပွား モーネーボワ
31 Monpwa မိုးပွ モーポワ
32 Shu Pwo ပိုးကရင် ポーカイン
33 チン Chin ချင်း チン
34 Meithei (Kathe) ကသည်း メイテイ
35 Saline ဆလိုင်း サライ
36 Ka-Lin-Kaw (Lushay) ကလင်ကော့ カリンコー
37 Khami ခမီ カミ
38 Awa Khami အဝခမီ アワカミ
39 Khawno ခေါနိုး コーノー
40 Kaungso ခေါင်စို コンソー
41 Kaung Saing Chin ခေါင်ဆိုင်ချင်း コンサイチン
42 Kwelshin ခွာဆင်းမ် クアルスィム
43 Kwangli Sim ခွန်လီ クアンリー
44 Gunte Lyente ဂန်တဲ့ ガンテー
45 Gwete ဂွေးတဲ グイテー
46 Ngorn ငွန်း ンゴーン
47 Zizan ဆီစာန် スィザン
48 Sentang ဆင်တန် センタン
49 Saing Zan ဆိုင်းဇန် サイザン
50 Za-How ဇာဟောင် ザハウ
51 Zotung ဇိုတုံး ゾウトゥン
52 Zo-Pe ဇိုဖေ ゾウペイ
53 Zo ဇို ゾウ
54 Zahnyet (Zanniet) ဇန်ညှပ် ザンニアッ
55 Tapong တပေါင် タポン
56 Tiddim (Hai-Dim) တီးတိန် ティディム
57 Tay-Zan တေဇန် テイザン
58 Taishon တိုင်ချွန်း タション
59 Thado တာ့ဒိုး タドー
60 Torr တောရ် トール
61 Dim ဒင်မ် ディム
62 Dai ဒိုင် ダイ
63 Naga နာဂ ナガ
64 Tanghkul တန်ဒူး タンクール
65 Malin မာရင် マリン
66 Panun ပနမ်း パヌン
67 Magun မကန်း マガン
68 Matu မတူ マトゥ
69 Miram (Mara) မီရမ် マラ
70 Mi-er မီအဲ ミエル
71 Mgan မွင်း ムン
72 Lushei (Lushay) လူရှည် ルシャイ
73 Laymyo လေးမြို့ レムロー
74 Lyente လင်တဲ レンテー
75 Lawhtu လောက်ထူ ラウトゥ
76 Lai လိုင် ライ
77 Laizao လိုင်ဇို ライゾウ
78 Wakim (Mro) မြို(ခမိ) ワキム
79 Haulngo ထမန်း フアルンゴウ
80 Anu အနူး アヌ
81 Anun အနန်း アナル
82 Oo-Pu အူပူ ウップー
83 Lhinbu လျင်းတု リング
84 Asho (Plain) အရှိုချင်း アショーチン
85 Rongtu ရောင်ထု ロントゥー
86 バマー Bamar ဗမာ ビルマ
87 Dawei ထားဝယ် ダウェー
88 Beik မြိတ် ベイ
89 Yaw ယော ソー
90 Yabein ယဘိန်း ヤベイン
91 Kadu ကဒူး カドゥー
92 Ganan ကနန်း ガナン
93 Salon ဆလုံ サロン
94 Hpon ဖွန်း ポン
95 モン Mon မွန် モン
96 ラカイン Rakhine ရခိုင် ラカイン
97 Kamein ကမန် カマン
98 Kwe Myi ခမီး クミー
99 Daingnet ဒိုင်းနက် ダイネッ
100 Maramagyi မရမာကြီး ムラマージー
101 Mro မြူ ムロ
102 Thet သက် テッ
103 シャン Shan ရှမ်း シャン
104 Yun (Lao) ယွန်း ユン
105 Kwi ကွီ クウイ
106 Pyin ဖျင် ピイン
107 Yao ယောင် タオ
108 Danaw ထနော့ サノー
109 Pale ပလေး パレー
110 En အင် イン
111 Son မုံ ソウン
112 Khamu ခမူ カム
113 Kaw (Akha-E-Kaw) အာခါ コー
114 Kokang ကိုးကန့် コーカン
115 Khamti Shan ခန္တီးရှမ်း カムティ・シャン
116 Hkun ဂုံရှမ်း ゴゥン
117 Taungyo တောင်ရိုး タウンヨー
118 Danu ဓနု ダヌ
119 Palaung ပလောင် パラウン
120 Man Zi မြောင်ဇီး ミャウンジー
121 Yin Kya ယင်းကျား インチャー
122 Yin Net ယင်းနက် インネッ
123 Shan Gale ရှမ်းကလေး シャン・カレー
124 Shan Gyi ရှမ်းကြီး シャン・ジー
125 Lahu လားဟူ ラフ
126 Intha အင်းသား インダー
127 Eik-swair အိုက်ဆွယ် アイトゥエ
128 Pa-O ပအိုဝ်း パオ
129 Tai-Loi တိုင်းလွယ် タイ・ルェ
130 Tai-Lem တိုင်းလျမ် タイ・リエン
131 Tai-Lon တိုင်းလုံ タイ・ロン
132 Tai-Lay တိုင်းလေ့ タイ・レー
133 Maingtha မိုင်းသာ マインダー
134 Maw Shan မောရှမ်း モーシャン
135 Wa

出典

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  1. ^ a b c d e f 菊池 2020.
  2. ^ a b c d e f g h i j k Cheesman 2017.
  3. ^ 根本 2014, p. 429.
  4. ^ 中西 2021, p. 90.
  5. ^ 根本 2014, p. 427-428.
  6. ^ a b c Ferguson 2015.
  7. ^ a b 中西 2021, p. 95.
  8. ^ a b 135: Counting Races in Burma”. web.archive.org (2012年9月25日). 2014年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月21日閲覧。
  9. ^ a b c Embassy of the Union of Myanmar, Brussels”. www.embassyofmyanmar.be. 2024年11月21日閲覧。
  10. ^ 加藤 2016, p. 13.
  11. ^ 加藤 2016, p. 17.
  12. ^ 加藤 2016, p. 20.
  13. ^ 仏法僧(三宝)の徳の偈文”. 日本テーラワーダ仏教協会. 2024年11月21日閲覧。
  14. ^ 春日 2020, pp. 128–131.
  15. ^ (က)-တိုင်းရင်းသားလူမျိုးစု ၁၃၅ မျိုးနှင့်ပတ်သက်၍ မည်သည့်အစိုးရလက်ထက်တွင် စာရင်းပြုစုပြီး ရရှိလာခဲ့သည်နှင့် စပ်လျဉ်းသည်‌့မေးခွန်း | Pyithu Hluttaw”. Pyithu Hluttaw. 2020年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月21日閲覧。

参考文献

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  • 春日孝之『黒魔術がひそむ国 ミャンマー政治の舞台裏』河出書房新社、2020年10月14日。ISBN 978-4-309-24979-7 
  • 加藤昌彦ミャンマーの諸民族と諸言語」『ICD NEWS (法務省法務総合研究所国際協力部報)』第69巻、2016年、8-26頁。 
  • 菊池泰平「ミャンマー公定史におけるパンロン民族団結史像の形成」『東南アジア研究』第59巻第2号、2022年、290–320頁、doi:10.20495/tak.59.2_290 
  • 中西嘉宏『ロヒンギャ危機―「民族浄化」の真相』(Kindle版)中央公論新社〈中公新書〉、2021年、90頁。ISBN 978-4-12-102629-3 
  • 根本敬『物語 ビルマの歴史 - 王朝時代から現代まで』中央公論新社〈中公新書〉、2014年。ISBN 978-4-12-102249-3 
  • Cheesman, Nick (2017). “How in Myanmar “National Races” Came to Surpass Citizenship and Exclude Rohingya”. Journal of Contemporary Asia 47 (3): 461–483. doi:10.1080/00472336.2017.1297476. 
  • Ferguson, Jane M. (2015). “Who's Counting? Ethnicity, Belonging, and the National Census in Burma/Myanmar”. Bijdragen tot de Taal-, Land- en Volkenkunde (Brill) 171 (1): 1-28. 

関連項目

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