ジョン・サリー
2007年のサリー | |
引退 | |
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ポジション | PF/C |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1964年5月16日(60歳) |
出身地 |
ニューヨーク州ニューヨーク市 ブルックリン区 |
身長(現役時) | 211cm (6 ft 11 in) |
体重(現役時) | 104kg (229 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | ジョージア工科大学 |
ドラフト | 1986年 11位 |
選手経歴 | |
1986-1992 1992-1995 1995-1996 1996 1996 1999-2000 |
デトロイト・ピストンズ マイアミ・ヒート トロント・ラプターズ シカゴ・ブルズ パナシナイコスBC ロサンゼルス・レイカーズ |
受賞歴 | |
Stats Basketball-Reference.com | |
ジョン・トーマス・サリー(John Thomas Salley、1964年5月16日 - )は、NBAの元バスケットボール選手。異なる3つのチームでチャンピオンリングを獲得した初めての選手である。
プロ入り前
[編集]サリーはニューヨーク市に生まれ、ブルックリンにある地元の高校を卒業した後[1]、ジョージア工科大学に進学する。同校ではブロックショットの記録を塗り替える活躍を見せた。彼の着けた背番号22は永久欠番となっている[2]。
プロ入り後
[編集]デトロイト・ピストンズ
[編集]1986年のドラフトにおいて1巡目(全体では11番目)でデトロイト・ピストンズに指名される。ピストンズではバッド・ボーイズの一員として2連覇に貢献。当時のピストンズはダーティーな印象が強いが、サリーの場合はそのイメージとは少し異なり、師匠と慕っているエイドリアン・ダントリーにコート外での振る舞いを教わるなど紳士的な側面を持っていた。
ヒート移籍からブルズ加入まで
[編集]1992年にトレードでマイアミ・ヒートに移籍するも、その後エクスパンション・ドラフトの煽りを受けて95年に新設されたトロント・ラプターズへと移籍する。しかしトロントでは短期間しかプレーせず、シカゴ・ブルズに加入。マイケル・ジョーダンらスター選手の活躍もあり、ブルズはこのシーズン、72勝を達成。プレイオフでも圧倒的な力を見せ、サリーは3つ目のリングを獲得する。シーズン終了後、表舞台から身を退く事を表明するも、一時的にギリシャのパナシナイコスでプレーした。
ロサンゼルス・レイカーズ
[編集]約3年のブランクの後、ロサンゼルス・レイカーズに加入。レイカーズでは際立った活躍を見せることはなかったものの、ロスターには残り、2000年に4度目の優勝を経験する(この後レイカーズは3連覇を達成)。これによりサリーは「3つの異なるチームで優勝を経験した初の選手」となった[3]。後にロバート・オーリーも異なる3チームでチャンピオンとなり、現在はレブロン・ジェームズとダニー・グリーンを含む4人のみである。
脚注
[編集]- ^ Anderson, Dave. " Sports of The Times; City Teen-Agers Hold A Calm Garden Party", The New York Times, March 19, 1995. Accessed October 10, 2007.
- ^ Leigh Montville. "Holy Cow, What Digs!". Sports Illustrated. November 6, 1989. Retrieved on January 9, 2010.
- ^ “John Salley Trivia & Quotes”. TV.com (1993年7月31日). 2011年12月16日閲覧。
外部リンク
[編集]- John Salley (@thejohnsalley) - X(旧Twitter)
- John Salley (@johnsalley) - Instagram
- John Salley (TheJohnSalley) - Facebook
- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、Eurobasket、RealGM