花沢徳衛

日本の俳優(1911−2001)

花沢 徳衛(はなさわ とくえ、1911年10月18日 - 2001年3月7日)は、日本俳優。別表記;花澤 徳衛。東京市神田区福田町(現在の東京都千代田区)生まれ。美術協会会員。

はなさわ とくえ
花沢 徳衛
花沢 徳衛
1962年
本名 花沢 徳衛
生年月日 (1911-10-18) 1911年10月18日
没年月日 (2001-03-07) 2001年3月7日(89歳没)
出生地 東京府東京市神田区福田町
(現:東京都千代田区
死没地 東京都渋谷区千駄ヶ谷
国籍 日本の旗 日本
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1936年 - 2001年
配偶者 花沢聆子(妻)
著名な家族 三児あり
主な作品
テレビドラマ
おはなはん
パパと呼ばないで
ひらり
映画
警視庁物語シリーズ
ファンキーハットの快男児シリーズ
にっぽん泥棒物語
八つ墓村
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来歴・人物

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渋谷大向尋常小学校を5年で中退し、指物師として修行を開始(1932年には花沢美術家具研究所を設立)。1933年に洋画家を目指して大阪へ行き、斎藤与里に師事、家具職人をしながら洋画を勉強する。が、絵だけでは生計を立てることが出来ず、俳優を目指して1936年に京都のJ.Oスタジオ(後の東宝)の俳優養成所に入所。

1937年に『権三と助十』で映画デビュー。戦後は東宝争議に参加し、表門の防衛隊長を務めた。争議の終結後、フリーとなり、1950年の東京映画俳優協会の結成に尽力[1]

独立プロ作品に多く出演し、その後は『警視庁物語』シリーズで刑事役を演じた。

テレビドラマでは『おはなはん』の祖父役で全国的な人気を得る。

絵の腕前はプロ級で、美術展にも入選しており、自らの個展も開いていた。

2001年3月7日午前10時59分に前立腺癌のため代々木病院で死去。89歳没。死に際し、山田洋次からは「自分の考えや感性を貫いており、いい意味の頑固な役がよく似合った、貴重な俳優だった」とコメントされ、頑固な中高年役を得意としていた[2]

日本共産党の党員でもあり、党歴は50年を越えた。各種選挙で候補者の推薦人になり、しんぶん赤旗紙上にたびたびコメントを寄せ掲載された。刊行したエッセイ著作は、しんぶん赤旗に連載したコラム記事や週刊誌などに寄稿したものへ加筆と新たに書き下ろした原稿(内容は時代描写に思い出等の自叙伝、役者としての矜持や仲間への述懐など)、自らの筆による挿絵で纏めて構成したものである。

声優の野島昭生の結婚式の仲人をしていた[3]

出演

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映画

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テレビドラマ

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劇場アニメ

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ドキュメンタリー

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  • NHK特集「老優たちの日々」(1986年6月15日、NHK総合)[7]

バラエティ

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著書

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脚注

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  1. ^ “日刊スポーツ・訃報・花沢徳衛さん”. 日刊スポーツ. (2001年3月8日). オリジナルの2001年3月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20010312010258/http://www.nikkansports.com/jinji/2001/seikyo010308.html 2019年4月16日閲覧。 
  2. ^ 「頑固おやじ、刑事ー名脇役 花沢徳衛さん死去 89歳」 読売新聞2001年3月8日朝刊39面
  3. ^ アニメージュ編集部「野島昭生 何でも"熱く"なる"戦争体験"の傷痕」『アニメ声優24時』徳間書店、1981年7月31日、157頁。 
  4. ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 535, 「主要特撮作品配役リスト」
  5. ^ 安寿と厨子王丸 - メディア芸術データベース
  6. ^ わんわん忠臣蔵 - メディア芸術データベース
  7. ^ 老優たちの日々”. NHK (1986年6月15日). 2021年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月6日閲覧。

参考文献

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  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 

関連項目

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外部リンク

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