背奈 福徳(せな の ふくとく)は 、飛鳥時代の豪族。姓(カバネ)は伝わらない。第19代高句麗王・広開土王の後裔で、その七世の子孫である延興王(延典王)の子孫とする[1]。
660年、福徳は日本(当時は「倭」)に亡命し、のちに武蔵国に居住した[2]。