石田 治子(いしだ はるこ、本名:岡本 治子、1945年昭和20年〉11月16日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手並びに指導者。妹は歌手女優いしだあゆみ石田ゆり(作詞家なかにし礼の夫人)。

石田 治子
Haruko ISHIDA
フィギュアスケート選手
生誕 (1945-11-16) 1945年11月16日(79歳)
日本の旗 日本 大阪府池田市
身長 158 cm
選手情報
代表国 日本の旗 日本
コーチ 稲田悦子
大会成績
国内大会 1 2 3
全日本選手権 0 0 2

経歴・人物

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大阪府池田市出身[1]大阪教育大学附属池田小学校相愛中学校・高等学校同志社大学卒業。

母が大阪市北区の「梅田スポーツガーデン」(梅田阪急スケートリンク[2]、跡地は現・阪急電鉄本社ビル[3])内で喫茶店を経営していたのをきっかけに附属池田小3年生からスケートを始め、田中鉄太郎[4]稲田悦子に指導を受けた[5]

大学在学中の日本選手権3位で1968年グルノーブルオリンピック女子シングル日本代表として出場し、26位だった。大学卒業後の1968年に引退し、指導者としては、小林れい子青谷いずみ柏原由起子等を育てた。一時期コーチ業から離れるも、浜田美栄に要請され宮原知子らの指導をした[6]

いしだあゆみ石田ゆりなかにし礼夫人)はともに治子の実妹でフィギュアスケートを習っていた[7]。また治子の実子は松雪可奈子(まつゆき かなこ)の芸名で宝塚歌劇団に在籍していた(1995年入団・1999年退団、雪組娘役)ことも知られる。

妹婿なかにし礼の小説『てるてる坊主の照子さん』に春子として登場。2002年平成15年)の舞台化では宮崎優子が、2003年にNHK(日本放送協会)朝ドラ(連続テレビ小説)でテレビドラマ化の『てるてる家族』では紺野まひるが演じている。また、同番組では紺野のスケート指導も担当した。紺野と松雪とは歌劇団・雪組の1期違い(松雪が先輩)にあたる。

主な戦績

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大会/年 1964-65 1965-66 1966-67 1967-68
オリンピック 26
世界選手権 19
全日本選手権 4 3 4 3

脚注

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関連項目

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外部リンク

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