石田ゆり

日本の歌手、女優 (1951-)

石田 ゆり(いしだ ゆり、本名:中西 由利子1951年11月23日 - )は、1970年代に活躍した元歌手。夫は作家・作詩家のなかにし礼2003年度下半期のNHK連続テレビ小説てるてる家族』(原作:なかにし礼)の主人公・冬子は、彼女がモデルである。

石田 ゆり
出生名 石田 由利子[1]
生誕 (1951-11-23) 1951年11月23日(73歳)
出身地 日本の旗 日本 大阪府池田市
ジャンル 歌謡曲
職業 歌手女優
活動期間 1970年 - 1971年
1978年 - 1980年
レーベル 東芝音楽工業

来歴

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生い立ち

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大阪府池田市生まれ。四人姉妹の末っ子で長姉は石田治子、二姉は石田良子、三姉の名は不明。

芸能生活

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1968年、梅花高等学校1年修了で宝塚音楽学校に入学。1970年、同校を卒業。同期には小柳ルミ子麻実れい等がいた。「名月ゆり」の芸名も決まっていたが、宝塚歌劇団への入団を辞退。上京し、芸映に所属。同年9月、シングル「悲しみのアリア」で東芝レコードから歌手デビュー。

シングル4枚とアルバム2枚を発表後、全シングルの作詞を手掛けた、なかにし礼と1971年10月16日に結婚し、芸能界を引退した。挙式の見届け人は児玉誉士夫だった[2]。引退後は1978年のテレビドラマ「ムー一族」などに出演した。なかにしとの間に一男(音楽プロデューサー・中西康夫)、一女がいる。

ディスコグラフィー

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シングル

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  1. 悲しみのアリア1970年9月25日)/EP:CP-1063 オリコン27位
    作詞:なかにし礼/作曲・編曲:筒美京平
    c/w: 愛は嘘をつけない
  2. 愛ある限り(1971年1月10日)/EP:CP-1065 オリコン53位
    作詞:なかにし礼/作曲・編曲:川口真
    c/w: いつか来る朝
  3. 愛を知ったから(1971年5月5日)/EP:CTP-2441
    作詞:なかにし礼/作曲・編曲:筒美京平
    c/w: 叱らないで
  4. いつも二人(1971年8月8日)/EP:CTP-2491
    作詞:なかにし礼/作曲・編曲:筒美京平
    c/w: 嫁ぐ朝

アルバム

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  1. 悲しみのアリア(1971年1月25日) - ベッツィ&クリスメリー・ホプキンの日本語カバーなどを含む全12曲。2005年にヴィヴィド・サウンド・コーポレーションから紙ジャケットでCD化。
  2. 愛の詩集 石田ゆり ラヴ・アルバム (1971年7月5日) - 筒美京平作曲の6曲を含む全12曲。

主な出演作品

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映画

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テレビドラマ

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バラエティ

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  1. ^ 中日スポーツ1971年10月17日9面
  2. ^ 中日スポーツ1971年10月17日9面