浜野昇
浜野 昇(濱野、はまの のぼる、1854年12月17日(安政元年10月28日[1]) - 1920年(大正9年)2月22日[2])は、日本の医師、政治家。
来歴・人物
編集下総国印旛郡佐倉町内宮小路[3](現千葉県佐倉市[3])出身。成徳書院(現在の千葉県立佐倉高等学校)、順天堂を経て、東京医学校(現在の東京大学医学部。卒業生25名のうちの1人)を卒業。1877年には陸軍軍医として西南戦争に従軍。1883年には招かれて鹿児島県立医学校(現在の鹿児島大学医学部)の校長に就任する。
1890年の第1回衆議院議員総選挙で自由党系として立候補し1位当選、全国300人の議員の中で唯一の医学士の衆議院議員となった(医師としても初めて議員になった人物)。衆議院議員として第一期帝国議会でコッホ肺病療法(結核予防法の前身)を通過させ、北里柴三郎と共に日本医師会および結核予防会の設立に貢献。また千葉県医師会創立に際し会頭に挙げられ在職二十余年。千葉県会議員、同常置委員、佐倉町会議員、印旛郡会議員、同議長[2]、その他、各種衛生委員も歴任した。
脚注
編集- ^ 衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、8頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』515頁。
- ^ a b 『光芒の人 千葉県人物事典2』236頁。
- ^ 台湾台南市山上区長が来訪 2013年9月27日,佐倉市役所企画政策部広報課
- ^ 自來水會刊第 36 卷第 4 期 臺灣現代化自來水建設之開拓者 都市的醫師-濱野彌四郎. 中華民國自來水協會(CTWWA). p. 77 2018年9月2日閲覧。 吳世紀 (2017-11).
参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 石井暉二『光芒の人 千葉県人物事典2(政治編-国会議員)』ぎょうせい、1990年。