武藤善則

日本の元騎手、厩舎管理者

武藤 善則(むとう よしのり、1967年3月21日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属する調教師で元騎手

武藤善則
東京8Rパドック(2024年4月27日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県
生年月日 (1967-03-21) 1967年3月21日(57歳)
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 美浦・黒坂洋基(1986.3 - 引退)
初免許年 1986年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 2001年2月28日
重賞勝利 1勝
通算勝利 2865戦154勝
調教師情報
初免許年 2001年(2003年開業)
経歴
所属 JRA騎手(1986 - 2001)
美浦T.C.
テンプレートを表示

娘は歌手の武藤彩未[1]。息子はJRA騎手の武藤雅

来歴

編集

1982年にJRA競馬学校騎手課程第1期生として入学。同期には柴田善臣石橋守がいる。1986年に騎手免許を取得し、黒坂洋基厩舎所属としてデビュー。初騎乗は同年3月2日中山競馬第3競走でハイエースシロー(13頭中7着)、初勝利は3月15日の中山競馬第4競走で同じくハイエースシローであった。

2001年に調教師免許を取得し引退。騎手成績は2,865戦154勝、そのうち重賞は1勝で1989年1月5日施行の日刊スポーツ賞金杯ニシノミラーで勝っている。この金杯は昭和時代の中央競馬最後の重賞競走のひとつであり、スポーツニッポン賞金杯カツトクシンで勝った松永幹夫とともに昭和最後の中央競馬重賞勝利騎手のひとりである。

2003年に厩舎を開業。初出走は同年3月2日の中山競馬第7競走でフジノラブリーで13着、初勝利は同年4月19日福島競馬第11競走でオトコノユウジョウ。のべ20頭目であった。

2008年12月20日、3回中京競馬3日目第11競走の愛知杯セラフィックロンプが管理馬として重賞初制覇。騎手を務めた宮崎北斗も重賞初騎乗で初優勝と初物尽くしの勝利であった。

騎手成績

編集
通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 154 195 207 2860 .054 .122
障害 0 0 2 5 .000 .000
154 195 209 2865 .054 .122
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1986年3月2日 2回中山4日3R 4歳新馬 ハイエースシロー 13頭 9 7着
初勝利 1986年3月15日 2回中山7日4R 4歳新馬 ハイエースシロー 13頭 8 1着
重賞初騎乗 1987年10月25日 2回福島8日11R カブトヤマ記念 リンドユウホウ 11頭 11 9着
重賞初勝利 1989年1月5日 1回中山1日11R 金杯 ニシノミラー 15頭 6 1着
GI初騎乗 1989年4月16日 3回中山8日10R 皐月賞 エイシンハンター 20頭 15 12着

主な騎乗馬

編集

調教師成績

編集
日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2003年3月2日 3回中山2日7R 3歳500万下 フジノラブリー 13頭 12 13着
初勝利 2003年4月19日 1回福島5日11R いわき特別 オトコノユウジョウ 9頭 2 1着
重賞初出走 2004年1月31日 1回東京1日11R 根岸S オーミヤボレロ 15頭 15 12着
重賞初勝利 2008年12月20日 3回中京3日11R 愛知杯 セラフィックロンプ 18頭 16 1着
GI初出走 2006年3月26日 1回中京8日11R 高松宮記念 カネツテンビー 18頭 10 10着

主な管理馬

編集

主な厩舎スタッフ

編集

かつて所属していたスタッフ

編集

脚注

編集
  1. ^ “武藤彩未に父・善則師もエール”. デイリースポーツ online (デイリースポーツ). (2013年4月30日). https://www.daily.co.jp/gossip/2013/04/30/0005941645.shtml 2013年4月30日閲覧。 
  2. ^ モリアーナJBISサーチ、2023年9月9日閲覧