カツトクシン
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
カツトクシン(欧字名:Katsu Tokushin、1985年4月18日 - 不明)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍は1988年の愛知杯、1989年の金杯(西)。
カツトクシン | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
欧字表記 | Katsu Tokushin[1] | ||||||||
品種 | サラブレッド[1] | ||||||||
性別 | 牡[1] | ||||||||
毛色 | 黒鹿毛[1] | ||||||||
生誕 | 1985年4月18日[1] | ||||||||
死没 | 不明(1998年12月1日用途変更) | ||||||||
登録日 | 1987年9月17日 | ||||||||
抹消日 | 1990年10月20日 | ||||||||
父 | タケシバオー[1] | ||||||||
母 | タケワカ[1] | ||||||||
母の父 | ネヴァービート[1] | ||||||||
生国 | 日本(北海道沙流郡)[1] | ||||||||
生産者 | 赤石牧場[1] | ||||||||
馬主 | 渡辺典六[1] | ||||||||
調教師 |
安田伊佐夫(栗東) →秋田利行(道営) →田部和則(道営) [1] | ||||||||
競走成績 | |||||||||
生涯成績 | 10戦5勝[1] | ||||||||
獲得賞金 | 9733万5000円[1] | ||||||||
|
戦績
編集脚部が弱く、そのためデビューは1988年6月の中京開催までずれ込む。しかし父譲りの逃げ脚を発揮しデビュー戦を飾ると、その後も条件戦を勝ち上がり、秋には菊花賞に出走した。
まだ準オープン馬のため10番人気と低評価であったが、第4コーナーまで先頭をキープし、6着と健闘。続く愛知杯では軽ハンデ53キロと距離短縮を味方に、スタートからゴールまで先頭で逃げ切り、重賞を初制覇した。この時の優勝タイム1分58秒2は、1998年サイレンススズカに破られるまで中京競馬場芝2000mのレコードとして残った。
年明けの金杯(西)では、デビュー以来初めて他馬に先頭を譲り、2番手でレースを進めた。しかし直線入り口で先頭に立って押し切り、重賞2連勝となる。なお、この2日後の1月7日に元号が平成に改元されたため、同馬が昭和最後の重賞勝利馬となっている。
このまま古馬中距離戦線の有力馬に名を連ねるかと思われたが、単勝1.2倍の1番人気に支持された中日新聞杯で6着敗退。競走後に重度の屈腱炎を発症した。1990年に中央競馬の登録を抹消しホッカイドウ競馬へ移籍したが、1991年に帯広競馬場で1戦したのみで、長期療養の甲斐なく現役引退となった。
引退後は父タケシバオーの後継種牡馬として静内大典牧場で繋養されたが40頭の産駒を残したのみで活躍馬は出せず、1998年12月1日付けで用途変更となり、種牡馬からも引退となった。
競走成績
編集以下の内容は、netkeiba.com[2]およびJBISサーチ[3]に基づく。
年月日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 頭数 | 枠番 | 馬番 | オッズ (人気) |
着順 | 騎手 | 斤量 | 距離(馬場) | タイム (上り3F.4F) |
着差 | 勝ち馬/(2着馬) | |||
1988 | 6. | 19 | 中京 | 4歳未勝利 | 14 | 8 | 13 | 4.0 | (2人) | 1着 | 武豊 | 54 | ダ1700m(良) | 1:48.0 (39.0) | -0.1 | (ダイセイジン) | |
7. | 9 | 中京 | すいれん賞 | 400 | 16 | 1 | 1 | 10.7 | (5人) | 2着 | 田島信行 | 55 | 芝1800m(良) | 1:48.5 (36.8) | 0.1 | ハギノイシンパワー | |
9. | 11 | 阪神 | 豊中特別 | 400 | 8 | 3 | 3 | 2.0 | (1人) | 1着 | 武豊 | 55 | 芝2000m(良) | 2:00.9 (49.0) | -1.0 | (リワードテムジン) | |
10. | 2 | 阪神 | 兵庫特別 | 900 | 10 | 7 | 8 | 2.6 | (2人) | 2着 | 武豊 | 54 | 芝2500m(良) | 2:33.6 (49.4) | 0.1 | ミリオンハイライン | |
10. | 15 | 京都 | 嵯峨野特別 | 900 | 10 | 7 | 7 | 2.1 | (1人) | 1着 | 武豊 | 55 | 芝2200m(良) | 2:15.0 (48.0) | -0.3 | (ナチノパーソ) | |
11. | 6 | 京都 | 菊花賞 | GI | 18 | 7 | 15 | 24.7 | (10人) | 6着 | 田島信行 | 57 | 芝3000m(良) | 3:08.3 (49.0) | 1.0 | スーパークリーク | |
12. | 11 | 中京 | 愛知杯 | GIII | 16 | 7 | 13 | 4.9 | (1人) | 1着 | 松永幹夫 | 53 | 芝2000m(良) | 1:58.2 (35.7) | -0.3 | (インターアニマート) | |
1989 | 1. | 5 | 京都 | 金杯(西) | GIII | 15 | 3 | 5 | 2.8 | (1人) | 1着 | 松永幹夫 | 55 | 芝2000m(良) | 2:00.5 (49.7) | -0.1 | (ミスターシクレノン) |
3. | 5 | 中京 | 中日新聞杯 | GIII | 12 | 5 | 6 | 1.2 | (1人) | 6着 | 松永幹夫 | 57 | 芝1800m(重) | 1:48.3 (36.8) | 0.5 | トウショウアロー | |
1991 | 5. | 23 | 帯広 | 知床賞 | 8 | 5 | 5 | - | (4人) | 8着 | 岡島玉一 | 59 | ダ1200m(良) | 1:21.1(-) | 6.7 | サンシヤインミカサ |
血統表
編集カツトクシンの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ロックフェラ系 |
[§ 2] | ||
父 タケシバオー 1965 鹿毛 日本 |
父の父 *チャイナロックChina Rock 1953 栗毛 イギリス |
Rockefella | Hyperion | |
Rockfel | ||||
May Wong | Rustom Pasha | |||
Wezzan | ||||
父の母 タカツナミ 1958黒鹿毛 日本 |
ヤシママンナ | *プリメロ | ||
第参マンナ | ||||
*クニビキ | Nice Day | |||
Starlet | ||||
母 タケワカ 1973 栃栗毛 日本 |
*ネヴァービート Never Beat 1960 栃栗毛 イギリス |
Never Say Die | Nasrullah | |
Singing Grass | ||||
Bride Elect | Big Game | |||
Netherton Maid | ||||
母の母 フシミイーグル 1965鹿毛 日本 |
*イーグル Eagle |
Court Martial | ||
Ark Royal | ||||
時孝 | 月友 | |||
第参ソネラ | ||||
母系(F-No.) | ソネラ系(FN:4-r) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nearco5・5(母内) | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “カツトクシン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月17日閲覧。
- ^ “カツトクシンの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月17日閲覧。
- ^ “カツトクシン 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月17日閲覧。
- ^ 『中央競馬全重賞競走成績集 古馬関西編』日本中央競馬会、1997年。 330頁。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|カツトクシン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2018年12月22日閲覧。
- ^ 小林皓正 編『サラブレッド血統マップ'93』コスモヒルズ、1993年、22-23頁。