十二所 (鎌倉市)
十二所(じゅうにそ)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。鎌倉市の北東端に位置し、横浜市金沢区と接する。住居表示未実施区域[5]。
十二所 | |
---|---|
大字 | |
北緯35度19分40秒 東経139度35分02秒 / 北緯35.327833度 東経139.583872度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川 |
市町村 | 鎌倉市 |
地域 | 鎌倉地域 |
人口情報(2023年(令和5年)9月1日現在[1]) | |
人口 | 1,322 人 |
世帯数 | 589 世帯 |
面積([2]) | |
2.66 km² | |
人口密度 | 496.99 人/km² |
郵便番号 | 248-0001[3] |
市外局番 | 0467(藤沢MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
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地理・歴史
編集地名の由来は、天保9年(1838年)まで光触寺境内にあった鎮守熊野三山の「熊野十二所権現社」(現在の十二所神社)に由来する[6]。『新編鎌倉志』では「民家が十二軒あったことによる」と記載されているが[7]、これは俗説である。
初見は光触寺伝来の縁起絵巻『頬焼阿弥陀縁起』に文和4年(1355年)9月付で書かれた奥書に記載されている「十二所道場」で、この道場は光触寺を指している。熊野社は「大倉の熊野堂」と称し、鎌倉における熊野信仰の拠点であった。
上杉禅秀の乱では鎌倉公方足利持氏が岩殿寺から十二所を経て小坪、由比ヶ浜、佐助へと逃走したという記録が残っている[6]。
天正19年(1591年)の「徳川家康寄進状」では十二所において建長寺、東慶寺両寺の寺領が寄進されている。幕末には五十八貫余の寺領があった。『新編相模国風土記稿』において二階堂村の項に、十二所村民戸26戸と記載され[8]、明治3年(1870年)には家数42戸、人別198人とされている。
地価
編集住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、十二所字鑪谷665番9の地点で11万4000円/m2となっている[9]。
世帯数と人口
編集2023年(令和5年)9月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
十二所 | 589世帯 | 1,322人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[10] | 1,503
|
2000年(平成12年)[11] | 1,575
|
2005年(平成17年)[12] | 1,454
|
2010年(平成22年)[13] | 1,377
|
2015年(平成27年)[14] | 1,348
|
2020年(令和2年)[15] | 1,308
|
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[10] | 540
|
2000年(平成12年)[11] | 593
|
2005年(平成17年)[12] | 562
|
2010年(平成22年)[13] | 581
|
2015年(平成27年)[14] | 551
|
2020年(令和2年)[15] | 578
|
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年7月時点)[16][17]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 鎌倉市立第二小学校 | 鎌倉市立第二中学校 |
事業所
編集2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[18]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
十二所 | 47事業所 | 228人 |
事業者数の変遷
編集経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[19] | 46
|
2021年(令和3年)[18] | 47
|
従業員数の変遷
編集経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[19] | 264
|
2021年(令和3年)[18] | 228
|
交通
編集道路
編集施設
編集行政施設
編集- 鎌倉霊園
名所・旧跡
編集寺社
編集史跡
編集その他
編集日本郵便
編集関連項目
編集脚注
編集- ^ a b “町丁字別・地域別人口と世帯数(国勢調査基準・各月・平成13年~)” (XLSX). 鎌倉市 (2023年9月12日). 2023年9月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “令和4年(2022年)版 鎌倉の統計” (PDF). 鎌倉市. 2023年8月14日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “十二所の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月9日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ a b 新編相模国風土記稿 十二所村.
- ^ 新編鎌倉志 1915, p. 41.
- ^ 新編相模国風土記稿 二階堂村上.
- ^ “国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2023年8月9日閲覧。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。
- ^ 髙瀨彌一の祖父と父渡部瞭、鵠沼を語る会