五十鈴 桂子(いすず けいこ、1913年大正2年)3月3日 - 没年不詳)は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6]。出生名は上田 あき子(うえだ あきこ)[2]小川國松との婚姻時の本名は小川 あき子(おがわ あきこ)[7]、旧芸名は五月 秋子(さつき あきこ)、小夜 文子(さよ ふみこ)[2][3]

いすず けいこ
五十鈴 桂子
本名 上田 あき子 (うえだ あきこ)
別名義 五月 秋子 (さつき あきこ)
小夜文子 (さよ ふみこ)
生年月日 (1913-03-03) 1913年3月3日
没年月日 不詳年
出生地 大日本帝国の旗 大日本帝国福岡県
職業 女優
ジャンル 劇映画現代劇時代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1926年 - 1937年
配偶者 小川國松 (離婚)
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人物・来歴

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1913年大正2年)3月3日福岡県に生まれる[1][2]

小劇団に所属していたが、旧制小学校卒業後、満13歳になった1926年(大正15年)、帝国キネマ芦屋撮影所子役として入社した[1]。同年7月13日に公開された、松本英一監督によるサイレント映画銀の雨』に出演し、「五月秋子」の名でクレジットされたのが、映画史上に残る最初の出演記録である[3]。同社ではほかに1928年昭和3年)1月13日に公開された『親を呼ぶ鳥』(監督亀井清一)に出演した記録があるが、同社でのその他の出演については不明で、同社では目が出なかったとされる[1][3]

満16歳を迎える1929年昭和4年)には、兵庫県武庫郡精道村芦屋(現在の兵庫県芦屋市)にあった同撮影所から、奈良県生駒郡伏見村(現在の奈良県奈良市あやめ池北1丁目)にあった市川右太衛門プロダクション移籍している[1][3][4]。同プロダクションでは「小夜 文子」と名乗り、娘役で出演した[1][3][4]。同年7月13日に公開された、東亜キネマ京都撮影所製作、東亜キネマ配給、橋本松男監督による『鞍馬天狗』に「五十鈴 桂子」の名で出演した記録も存在する[3]。いずれにしても、1931年(昭和6年)9月1日に公開された、嵐寛寿郎プロダクション製作、新興キネマ配給、山口哲平監督による『鞍馬天狗 解決篇』に出演して以降は、「五十鈴桂子」に統一されている[1][3][4][5][6]。同年、京都の東亜キネマに移籍したが、同社は同年に崩壊し、受け皿として設立された東活映画社に移籍している[1][3][4]。同社では、歌川絹枝と並ぶ人気を得たが、同様に東亜キネマから同社に移籍した小川國松1908年明治41年) - 没年不詳)とは、1932年(昭和7年)5月15日に公開された『涙の曙』(監督三星吐詩夫)で共演、電撃的に結婚し、話題となった(のちに離婚した)[8]。同社は同年10月に解散、五十鈴は宝塚キネマ興行に移籍、同年12月15日に公開された第1回作品『敵討愛慾行』(監督堀江大生)に出演した[1][3][4]

1933年(昭和8年)、宝塚キネマ興行の崩壊後は新興キネマに移籍した[1][3][4]。同社では、女性ファンに人気があったという[1]1935年(昭和10年)には京都のエトナ映画に移籍、翌1936年(昭和11年)には東京の大都映画に、と各社を転々とした[1][3][4]。同年中に極東映画に移籍したが、満24歳となった翌1937年(昭和12年)12月31日に公開された正月映画初姿忍術道中双六』(監督:山口哲平)に出演して以降、出演記録が見当たらない[1][3][4]。時代は第二次世界大戦に突入し、以降の消息も不明である[1]没年不詳

フィルモグラフィ

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すべてクレジットは「出演」である[3][4]。公開日の右側には役名[3][4]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[6][9]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。

帝国キネマ芦屋撮影所

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※ すべて製作は「帝国キネマ芦屋撮影所」、特筆以外すべて配給は「帝国キネマ演芸」、すべてサイレント映画、すべて「五月秋子」名義である[3]

市川右太衛門プロダクション

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※ 特筆以外すべて製作は「市川右太衛門プロダクション」、特筆以外すべて配給は「松竹キネマ」、すべてサイレント映画、特筆以外すべて「小夜文子」名義である[3][4]

東活映画

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※ 特筆以外すべて製作・配給は「東活映画社」、すべてサイレント映画、以降すべて「五十鈴桂子」名義である[3][4]

宝塚キネマ興行

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※ 特筆以外すべて製作・配給は「宝塚キネマ興行」、すべてサイレント映画である[3][4]

新興キネマ

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※ 特筆以外すべて製作・配給は「新興キネマ」、すべてサイレント映画である[3][4]

エトナ映画

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※ すべて製作・配給は「エトナ映画」、すべてサイレント映画である[3][4]

嵐寛寿郎プロダクション

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※ 特筆以外すべて製作は「嵐寛寿郎プロダクション」、配給は「新興キネマ」、特筆以外すべてトーキーである[3][4]

大都映画

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※ すべて製作・配給は「大都映画」、特筆以外すべてサイレント映画である[3][4]。日本映画データベースでは「五十川桂子」とされているものもある[11]

極東映画

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※ すべて製作・配給は「極東映画」、すべてサイレント映画である[3][4]

極東キネマ

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※ すべて製作・配給は「極東キネマ」、すべてサイレント映画である。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 盛内[1994]、p.38 - 39.
  2. ^ a b c d 五十鈴桂子 [リンク切れ]jlogos.com, エア2020年令和2年)10月6日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 五十鈴桂子日本映画データベース、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 五十鈴桂子小夜文子、日本映画情報システム、文化庁、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
  5. ^ a b c d 五十鈴桂子日活データベース、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
  6. ^ a b c d e 五十鈴桂子 [リンク切れ]東京国立近代美術館フィルムセンター、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
  7. ^ 映画世界社[1934], p.47.
  8. ^ キネマ旬報社[1979], p.121.
  9. ^ a b 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2020年(令和2年)10月6日閲覧。
  10. ^ 小松龍三 後篇、東京国立近代美術館フィルムセンター、2020年(令和2年)10月6閲覧。
  11. ^ a b c d e f g 五十川桂子、日本映画データベース、2020年(令和2年)10月6日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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