『MGS』以降、シリーズでは〈GENE〉、〈MEME〉など「E」で終わる英単語がテーマとして掲げられることがお約束となっていました。では、『TPP』の裏ストーリーにはどんなテーマがふさわしいでしょうか?
それはずばり、〈LOVE〉。〈愛〉です。
なぜ〈愛〉か? 『TPP』の裏ストーリーを追っていけばおのずと分かりますが、〈愛〉に注目することで初めて物語が浮かび上がってくる構造になっているからです。
- ソリッドの宿題
- 〈RACE〉と〈VOICE〉
- 「Sins of the Father」と「Quiet's Theme」
- 『TPP』の〈愛〉の物語
- 「Way to Fall」と「Don't Be Afraid」
- 特別な存在
ソリッドの宿題
おっさん主人公のミリタリー風味ドンパチゲーム、という見た目の印象に反して、メタルギアシリーズには物語の随所に〈愛〉の要素が織り込まれてきたという長い歴史があります。
「君に確認したいんだ
戦場でも愛は芽生えるかどうか?」「たとえどんな状況でも どんな時代でも
人は人を愛する事ができるはずだ
ただし 愛を享受したければ
その人を守り抜く事」――『Metal Gear Solid』 (1998年、コナミ)
この『MGS』のオタコンとソリッドの会話のように、〈愛〉について直接的に語られるシーンもしばしばありました。ここまで真面目なトーンではっきり言及する作品もなかなか珍しいのではないでしょうか。
家族への愛。友への愛。恋人への愛。人生への愛。文化への愛。世界の美しさへの愛。
シリーズでは様々な〈愛〉が繰り返し描かれてきました。明言こそされていないと思いますが、〈愛〉は〈反戦・反核〉と同じくシリーズにとって重要な要素、メタルギアサーガ全体に通底する裏テーマといった位置付けだと思われます。『DS』でもこの傾向は変わっていないようなので、小島監督のライフワーク的な創作テーマの一つなのかもしれません。
しかし、監督が手がけた最後のメタルギアとなった『MGSV:TPP』はどうだったでしょうか。戦争、報復の連鎖、寄生虫、裏切り、疑心暗鬼、同士討ち、民族浄化、少年兵…。重たい要素がてんこ盛りで、シリーズ屈指の陰鬱な雰囲気に覆われています。一見〈愛〉とは縁遠そうな、血塗られた物語です。
だからこそ、ソリッドの「どんな状況でも どんな時代でも 人は人を愛する事ができるはずだ」という言葉を証明し、〈愛〉のテーマを描くのにうってつけの舞台とも言えます。ソリッドのこの発言は何かしらの個人的な体験に基づいていそうな雰囲気ですが、その背景についてははっきり語られないまま、『4』で彼の物語は完結してしまいました。良い大団円でしたが、〈愛〉のテーマについてはまだ掘り下げられる余地があったように思えます。それをスネークが代わりに補完することができれば、『PW』以降もシリーズが続いた意義が深まるでしょうし、ファンとスタッフの〈愛〉によって長く続いてきた小島製メタルギアサーガの集大成としてもふさわしい物語になりそうです。
〈RACE〉と〈VOICE〉
小島監督によれば、メタルギアシリーズの歴代公式テーマは以下のようです。
GENE 1998 → MEME 2001→ SCENE 2004→ SENSE 2008→ PEACE 2010→ RACE & VOICE 2014-2015
作品名でまとめると、
ですね。
『MGSV』だけ、〈RACE〉&〈VOICE〉で2つあります。またしても「2」の要素です。
〈RACE〉は『TPP』第二章のチャプタータイトルと同じですね。「種」という訳語があてられていましたが、他には「人種」、「競走」、「競争」などの意味を持つ単語です。
そして、〈VOICE〉は「声」を表わす単語ですね。
どちらも『TPP』の物語の鍵である「声帯虫」や「言語」と関わりが深い言葉ではありますが、2つあるということは、おそらくはセットで考えた時に真価を発揮するテーマなのでしょう。
「種」と「声」、2つの語を並べてみると、「種の存続のための声」、鳥や虫などの音声を使った求愛行動が連想されます。いわゆる「恋の歌」ですね。
声帯虫の設定と関係しているのはもちろんのこと、子孫を残すこと、次世代に伝えることなど、シリーズにおける重要なテーマとも絡められます。また、求愛行動にはオス同士の争いがつきものですから、人類の戦争の根源とも無関係ではないでしょう。
そして「ラブソング」なので、もちろん裏テーマの〈愛〉をも表していると思われます。今作に限ってわざわざ2つの語だったのは、〈LOVE〉のテーマをこっそり表現するためだったのかもしれません。
「Sins of the Father」と「Quiet's Theme」
人間の歌は単純な求愛行動というわけではありませんが、それでも〈愛〉は歌の主要な題材の一つです。
メタルギアシリーズの歴代テーマソングも〈愛〉に関わりのある歌が多く、『MGS4』に至っては「Love Theme」という〈愛〉のテーマそのものな曲名となっていました。
『TPP』においてもこの流れは受け継がれているようで、二大テーマソングである「Sins of the Father」、「Quiet's Theme」はどちらも小島監督のコメントで〈愛〉と関連付けられています。
詞のほうは、テーマが“RACE”とか“復讐”なので、“Sins of the father”という愛の詞を付けています。
ドナさんが歌いあげる"Sins of the Father"は「MGSV TPP」のメインテーマ。言葉を持たないクワイエット役のステファニーさんが歌う"Quiet’s Theme"は愛のテーマという位置づけ。ピュアな歌声を聴いてみて。
本作のために作られたテーマソングということは、歌詞にも物語の内容が少なからず反映されているはずです。どちらも「愛の詞」、「愛のテーマ」ということですから、『TPP』の物語にも〈愛〉の要素はしっかり存在する、と考えて良いでしょう。
『TPP』の〈愛〉の物語
では、『TPP』の物語のどの辺に〈愛〉の要素があったのか。
表のストーリーでまず思い当たるのは、クワイエットとの別離イベントや、同士討ち事件でのヴェノムの嘆きあたりです。クワイエットとヴェノムの関係はロマンスというよりは〈戦友〉としての絆という印象なので、他の人たちもひっくるめて、DDの仲間たちのお互いへの愛着、〈仲間愛〉と呼ぶのがふさわしいでしょうか。
それから元少年兵の子どもたち周り。負傷した仲間を心配する様子や、シャバニの形見のお守りの一件からは、彼らがお互いを大事に想っていることが分かります。オマージュされている小説『蠅の王』のイメージとは裏腹に、〈友愛〉や〈兄弟愛〉を感じさせるシーンが多い印象ですね。
そんな彼らのために我が身の危険を顧みずにお守りを取り戻してあげたクワイエットの優しさや、彼らを社会復帰させたいと考えるミラーさんの保護者意識からは、〈次世代への愛〉が感じられます。〈親子愛〉や〈師弟愛〉につながる要素なので、ミラーさんに関しては、師匠・父親キャラである未来のマスター・ミラーに向けての布石だと思われます。〈親子愛〉と言えば、「ストレンジラブの遺言」での親が子を想うメッセージも印象的でしたね。
一方、敵方であるスカルフェイスに関しても、言葉の端々にザ・ボスへの個人的な〈敬愛〉のようなものが感じられるシーンがありました。ゼロ少佐がザ・ボスの意志を尊重している素振りをしつつ実はそうでもないことについて、何か思うところがあったような雰囲気です。詳細な背景は不明ですが、彼にとってもザ・ボスは大事な人だったのかもしれません。工作員としての訓練などでお世話になっていたりしたんでしょうか。
こうして振り返ってみると、陰惨に見えた『TPP』の表ストーリーにも意外と〈愛〉の要素は散りばめられているようです。ただ過去作に比べると、控えめで小粒な印象は否めません。作品のメインテーマとしてソリッドの言葉へのアンサーを贈るには、もっと直球ど真ん中な〈愛〉の要素が欲しいところです。それはやはり『TPP』の裏ストーリー、ソリッドの「父」的存在であるスネークの物語に求めなければならないでしょう。
「Way to Fall」と「Don't Be Afraid」
スネークが愛した人と言えば、『GZ』の「BACKSTORY」内で「ただ一人愛した女性」と説明されている師匠ザ・ボスですよね。『TPP』では「恋人でもあったらしい」とマザーベースの兵士たちが噂していましたが、『3』や『PW』での描写を見る限り、恋愛関係というよりは母親と息子のように描かれている印象です。
『3』のエンディングテーマ「Way to Fall」は息子に語り掛ける歌詞になっていますし、『PW』のスネークからは「俺を戦士として育てておきながら、最後に戦いを否定するなんて裏切りだ」といった親への反発心のようなものが感じられます。10代の頃のスネークが強く美しくかっこいい師匠に初恋めいた感情を抱いた可能性は大いにありそうですが、『3』の大人向けの本にまつわるやり取りや、ザ・ボスが胸の傷について説明するシーンなど、諸々の要素を総合すると、二人が一般的な意味での恋人であったことはなく、あくまで師匠と弟子、疑似親子的な間柄だった、と考えるのが妥当かと思われます。
それでも、二人の間に深い愛情があったことは確かです。おそらくは身寄りがなかったために若くして兵士としての英才教育を受けることになったであろうスネークと、「賢者達」によって実の息子を取り上げられてしまったザ・ボス。孤独と悲しみを背負う二人が出会い、共に過ごす中で、お互いの存在が生きる支えになったであろうことは想像に難くありません。
しかし、スネークは『3』の終盤、その「ただ一人愛した女性」を殺すことを、その人自身から命じられます。やむを得ない事情があったとは言え、あまりに酷な要求です。この出来事によって、スネークの「人を愛する心」は深刻な傷を負ってしまいました。
そのことを踏まえてか、『3』の挿入歌「Don't Be Afraid」は、「Don't be afraid to love again (もう一度愛することを恐れないで)」という詞で結ばれています。おそらくは、いつかスネークが苦しみを乗り越え、また人を愛せるようになってほしい、というザ・ボスの願いが間接的に表現されていたのではないでしょうか。
特別な存在
『4』で描かれたように、スネークのザ・ボスへの思慕は生涯変わらぬものでしたが、そのザ・ボスが「ただ一人愛した女性」ということは、他には誰も愛さなかったのでしょうか?
それで話が終わってしまうと、『PW』以降のスネークのドラマに発展性がありません。『4』の後もシリーズが続行し、再び主人公となったからには、ソリッドや雷電では今一つ消極的な印象のあった「主人公の自発的な〈愛〉へのコミット」、そして『3』で遺された課題である「愛する人を失うことへの恐れを乗り越え、再び誰かを愛すること」を果たしてほしいところです。
これは〈勇気〉の話でもあります。巨大メカにも一人で立ち向かう超人的な戦士であり、みんなの理想のマッチョヒーロー像として祀り上げられているスネークが、実は本当の〈勇気〉を出しきれていないとすれば、まさに主人公として乗り越えるべき課題です。
では具体的に誰を「愛する」のか? 「愛した女性」はザ・ボス一人、とゲーム内で明言されている以上、他の女性キャラクターは全員候補から外れます。必然的に、残るのは男性キャラクターになります。
男性でスネークにとって特別な存在となると、やはり、『PW』でなぜかスネークの「相棒」に抜擢されていた、若かりし日のマスター・ミラーこと、ミラーさんが最有力候補でしょう。〈相棒愛〉もまた立派な〈愛〉です。バディ物はラブストーリーと構造が同じとも言われます。『TPP』以降の展開がやや不穏ではあるものの、主人公の〈愛〉に試練が訪れなければドラマにはなりませんから、作劇的にはむしろミラーさんぐらいしか候補がいないとも言えそうです。『PW』での疑惑、『GZ』での惨劇、『TPP』での生き別れ状態、未来の『MG2』での敵対などなど、試練イベントはちょっと心配になるぐらい充実しています。それでもなおスネークが諦めなければ、ソリッドへのアンサーとなるような〈愛〉をきっと示せるはずです。
でも、〈相棒愛〉ならソリッドにもオタコンがいたわけなので、わざわざ補完するまでもないのでは? とも思いますよね。単に「相棒」というだけなら、それはそうです。しかし、スネークとミラーさんの関係には、息子世代の時にはなかった、ロマンティックかつちょっとあやしい要素が散見されます。これは何を意味しているのか?
次の記事では、スネークとミラーさんのそんな〈ちょっと濃いめの相棒愛〉についてさらに掘り下げてみたいと思います。