IT・システム判例メモ

弁護士 伊藤雅浩が,システム開発,ソフトウェア,ネットなどのIT紛争に関する裁判例を紹介します。

野村vsIBM事件控訴審 東京高判令3.4.21(平31ネ1616)

東京地裁の判断が覆されてユーザである野村HDの請求が棄却されたことで話題になった控訴審判決。

結論が大きく変わったので,最初に原審と本判決の判断の違いをまとめておく。

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事案の概要

普段は判決文から自分なりに事案の概要をまとめるのだが,今回は判決文冒頭の記載がわかりなすいのでそのまま引用する(以下,太字などの書式変更は筆者)。

(1)  IBMは,野村HDとの間で,野村証券(野村HDの完全子会社)のSMAFW業務のためのコンピュータシステムについて,パッケージソフト(WM)を利用した開発業務支援等の委託を受ける内容の,開発段階ごとの複数の契約(原判決別紙1の1記載の契約・本件各個別契約)を締結した。本件開発業務は,平成25年1月4日のシステム稼働開始を目標として,平成22年後半から平成24年後半まで継続されたが,目標時期における稼働開始実現にリスクがあると判断されたことから,平成24年8月下旬に一時中断され,同年11月に野村HDが開発を断念した。
本訴事件において,野村HDはIBMに本件各個別契約の債務不履行があったと主張し,野村HDらはIBMに本件開発業務に関する不法行為があったと主張して,IBMに対して総額約36億円の損害賠償を請求する。
反訴事件において,IBMは,野村HDに対して本件個別契約13から15までの未払報酬の支払を請求し,野村HDらに対して個別の合意(本件各個別契約に含まれないもの)や商法512条などを根拠に契約書に記載のない作業報酬を請求する。反訴事件におけるIBMの請求総額は,約5億6000万円である。

(2)  野村HDとIBM間の本件各個別契約は,開発の段階ごとの複数の多段階契約である。その内容は,主に当該開発段階の業務支援を野村HDがIBMに委託するものである。IBMが各開発段階の作業を遂行する債務のほかに,システムを最終的に完成させる債務を負うかどうかが,一つの争点である。
また,パッケージソフト(WM)を利用したシステム開発であるのに,パッケージの標準装備機能で本件システムの機能の大部分をまかなう開発とならず,カスタマイズ量が想定外に増加して,本件開発業務が遅延し,成果物のテスト結果が不良であったことが,野村HDによる本件開発業務断念の誘因となっている。このことについてIBMに債務不履行責任や不法行為責任が発生するかどうかが,一つの争点である。
その他にも,次の第3以下に記載のとおり,多数の争点がある。

(3)  原判決は,不法行為の成立は否定したが,本件各個別契約の一部(本件個別契約13から15まで)がIBMの帰責事由により履行不能になったと判断した。その結果,本訴事件のうち野村HDの請求を16億2078万円の限度で認容し,野村HDのその余の請求及び野村証券の全部の請求を棄却した。また,反訴事件におけるIBMの請求の全部を棄却した。当事者の全員が,各敗訴部分の全部(ただし,附帯請求棄却部分の一部を除く。)を不服として控訴したのが本件である。

判決文において,約45,000字に渡って詳細な事実認定が行われている。いわゆる「改め方式」ではなく,原審判決を手元に置かなくても読める上に,複雑な事実関係でありながらも完結でわかりやすい表現になっている(やや結論を念頭に置いた表現が多用されているのが気になるが。)。詳細な事実経過は,必要に応じて裁判所の判断の部分にて引用する。

原審は当ブログでも取り上げた。
itlaw.hatenablog.com

ここで取り上げる争点

(1)システムの完成義務
野村HDは,本件システムを期限までに稼働させるという債務の不履行を主張していた。平成25年1月4日に本件システムを稼働させるという義務をIBMは負っていたかが問題となった。

(2)個別契約の履行不能
野村HDは,個別契約が履行不能になったと主張していた。

不法行為責任に関する争点や,IBMからの反訴請求に関する争点は割愛する。

裁判所の判断

争点(1)システムの完成義務

本件システムの開発は,いわゆるウォーターフォール型開発で,フェーズごとに個別契約に分割して行われていた。そういった契約形態に照らし,平成25年1月4日にシステムを稼働させるということは,ビジネス上の目標であって,当事者双方が目標に向かって真剣に努力が続けられていたことは認めつつも,IBMの債務の内容になっていたことは否定した。

以下では,いわゆる多段階契約を取ることの考え方と,本件における契約内容について丁寧に触れている個所を引用する。

しかしながら,ビジネス上の目標が重要であるからといって,ビジネス上の目標がそのまま契約上の債務として合意されるとは限らない。ビジネス上の目標をそのまま契約上の債務とすることに合意した後に,目標の実現が予定日より遅れたり,目標の実現が不可能になったりした場合には,履行遅滞や履行不能による損害賠償の問題が生じてしまう。そこで,目標の実現可能性やその確実さの度合い,逆に予定日に遅れるリスクや実現不能となるリスクの度合いに応じて,様々な対応をとることになる。ビジネス上の最終目標の実現に無視できないリスクがある場合には,ビジネス上の最終目標の実現を契約上の債務としないことも,リスク回避の一つの方法である。ビジネス上の最終目標の実現を契約上の債務とする場合においても,債務不履行のペナルティを合理的な内容のものに制限(縮減)することも,リスク低減の一つの方法である。ビジネス上の最終目標が実現できなかった場合のリスク分担に関する定めについて協議がされた結果,合意に至らなかった場合には,契約の締結に至らず,他の契約相手を探すか,ビジネス上の目標の実現を断念することになる。
(略)
最初の個別契約(平成22年11月12日頃締結の本件個別契約1)の締結前にIBMが野村HDらに示した同年10月29日付け提案書(甲7)には,最終的なプロジェクトの遂行を約束するものではなく,フェーズごとに分けて別途見積の上IBM所定の契約書を使用して契約する旨が明記されていた。
(略)
IBM所定の契約書を使用してフェーズごとに契約を締結し,契約書には「当該フェーズの作業内容の実施の支援」をIBMに準委任することまたはプログラム(サブシステム間連結テスト及びSTARとの総合テストに入る前の段階,すなわちサブシステム内連結テスト終了の段階のプログラムで,営業稼働に耐える完成度は求められていない。)を製作して納入することなどをIBMの債務の内容と記載した。他方,本件各個別契約の契約書には,本件システムを完成して稼働させることや,その履行期限を平成25年1月4日とすることは,IBMの債務の内容としては記載されたことはない。

また,個別契約のうち,準委任契約については,請負契約ではないことがはっきりと書かれ,所定の工数提供が終了したこと又はサービス提供期間の満了をもってサービスの提供を終了することとされていた。請負契約においても,納入物の納入義務は定められていても,本件システムの完成を義務付ける記載はなかった。

争点(2)各個別契約の履行不能

既に履行済の個別契約についての履行不能については,いずれも理由がないとしたうえで,その他の履行が完了していない個別契約についても履行不能が否定された。

■個別契約6(パッケージのライセンス契約)について

本件個別契約6の契約書(甲1の6)によれば,本件個別契約6は,本件システム完成前の本件システム開発の段階において必要な当初ライセンスを野村HDに付与する契約にすぎないことが明らかである。そして,前掲証拠によれば,野村HDは本件システム開発に必要なWMの提供を受けたという事実を認定することができる。
本件個別契約6が本件システム完成後のWMライセンス付与契約でもあることの根拠として野村HDらが指摘する契約書上の記載(認定クライアントユーザの最大数3万・契約書の別表Aの2)は,ライセンスの生産的使用が開始された後の年次ライセンスに関する記述にすぎない。前掲各証拠によれば,野村HDはこの年次ライセンス料金(支払義務は生産的使用開始時又は平成25年1月1日に生じる。契約書の別表Aの7)を支払っていないものと認められる。そうすると,本件個別契約6は,IBMの主張のとおり,本件システム完成前の開発段階においてWMのライセンスを野村HDに付与する契約にとどまるとみるのが自然である。年次ライセンスに関する記述があることをもって,年次ライセンス料金の支払予定もないのに,完成後の本件システムを利用できるようにする債務を負うことを推認するには,無理があるというほかはないところである。

■個別契約13及び15(システム構築の請負+準委任契約)について

これらの個別契約にて定めるソースコードは納品がなされ,後続工程の総合テストへの参加が承認された時点で履行が完了していると認定された。

■個別契約14(総合テスト及びデータ移行)について

下記のとおり,テスト,移行に関する契約は,準委任契約であって,完成させる義務があることを前提とした履行不能の主張は退けられている。

本件個別契約14は,STARとの総合テスト及びデータ移行等の準備及び実施の支援を行う準委任契約(仕事の完成を目的とした請負契約ではない)であり,「240.6人月」の提供終了又はサービス期間の終了(平成25年1月4日)のいずれか早い日にサービスの提供を終了するものとされている。そうすると,IBMは,総合テストを経て本件システムをバグのない状態に仕上げ,データ移行を終えるなどして平成25年1月4日に本件システムをSTARと同時に稼働開始する債務を本件個別契約14に基づいて負うものではない。IBMは,受任者として,本件システムの平成25年1月4日稼働開始を目標として誠実にサービスを提供すべき善管注意義務を負うにとどまる。したがって,IBMが本件システムを完成させる義務を負うことを前提とする本件個別契約14の履行不能の主張は,理由がない。

■信頼関係破壊を理由とする履行不能の主張について

野村HDは,別途,開発を中断したのはIBMの帰責事由によるものだと主張していた。この点に関しては,長大な事実認定を振り返らないと信頼関係破壊があったのか,その原因がいずれの当事者にあったのかを判断することはできないが,控訴審判決では,特殊な業務を俗人的に行っていた人物の存在がクローズアップされていた。その部分に関係する事実をかいつまんで引用する(一部編集あり)。

野村証券においては,●●業務は投資顧問部の担当であった。投資顧問部内においては,●●のフィー計算徴収業務につき,その業務知識やルール(詳細複雑なフィー徴収の要件や計算手法を含む。)が特定の1名の社員(F)に属人的に独占されていた。野村証券の他の社員全員にとっては,フィー徴収の業務内容がブラックボックス化していて,Fに聞かなければ把握できないという実態にあった。IBMの社員は,本件開発業務が本格化する前(平成23年4月に概要設計フェーズに入る前)は,このような実態を知らなかった。本件開発業務が本格化した後においては,IBMの社員がF以外の野村証券の社員にフィーの計算徴収業務に関する質問をしても,回答が得られないのが常であった。

(PoCの段階において)
投資顧問部のFは,同月14日から17日までに行われた検証実行セッションの半分以上に出席したが,フィー計算徴収業務の詳細複雑さが原因で,カスタマイズの規模の著増,ひいては開発期間の長期化をもたらし,平成25年1月の(略)稼働開始を困難にする大きなリスクがあることを,指摘しなかった

(カスタマイズ範囲を削減するという議論の場において)
同席していたFは,いまだフィー徴収業務の詳細複雑な内容の全体像をヒアリングの機会にIBMに伝えていなかったため,IT戦略部長から指摘のあった大きな工数追加が今後も生じる可能性を認識していた。しかし,Fは,IT戦略部長の前記発言(注:さらなる工数増加は発生しないか,という問いかけ)があったにもかかわらず,前記発言に対しては沈黙を貫いた。

Fが新たな業務要件(略)を追加した上,「今後もIBM側に伝えきれていない要件が見つかる可能性がある」と発言した。なお,Fは,その後も,他罰的かつ攻撃的な(野村HDらの証拠説明書の表現によれば「極めて辛辣な」)苦情を述べることを繰り返した

パッケージ開発に通じたA23(注:IBMの担当)は,野村証券の現行業務をパッケージに合わせた業務に変更するために,投資顧問部担当者らの現行業務維持の牙城を突破しようと試みたが,投資顧問部のFらの頑強な抵抗と妨害の前に,目的を達成することができなかった。
投資顧問部の担当者は,IT戦略部が重視する野村証券のシステム全体の効率化や機能削減による維持管理費の縮小には思いが及ばず,また,自分の庭先(担当業務)をきれいにすることだけを考えて,現行業務を変更する思い切った決断を避けて通り,工数削減が難航した。

(パッケージの開発元に対する開発内容のサインオフに際して)
Fが,それまでのIBMに対する自己の担当業務の情報提供の遅れや,それに伴う要件確定の作業の遅延を棚に上げて「欧米ではサインは軽いものではない。どの内容に対してどの紙に署名させようとしているのか。このような状態で署名はできない。今日の今日でこんな話になること自体が非常識である。」と,辛辣な他罰的,攻撃的発言をした。

などと,上記引用中に登場するFに対する裁判所の評価は極めて厳しい。これを踏まえ,スケジュールの遅延,さらには履行不能の帰責性について裁判所は次のように述べた。

本件システムが前記の時点において改善を要する点を多数抱えていたことは前記認定のとおりであるが,双方にその原因があり,特に下流工程の基本設計フェーズに入った後も,さらには当初はテスト期間と想定されていた平成24年に入ってからもCR(変更要求)を繰り返して,工数の著しい増大とテメノス社の作業の手戻りと遅れを繰り返し誘発し,テメノス社からプログラム製作作業の十分な時間的余裕を奪った野村証券側に,より大きな原因があることが,明らかである。そうすると,仮に百歩譲って前記の時点で履行不能であると評価することが可能であるとしても,その帰責事由の多くは野村HDらの側に多々あるのであって,IBMの帰責事由と評価することは困難であるというほかはない。
(略)
野村HDらが,一方的にIBMを嫌忌していたにとどまる。しかも,同日の時点においてビジネスがうまくいかないことの主たる原因が野村HDらの側に多々あることは,前記認定事実から明らかである。STAR及び本件システム以外のSTARのサブシステムがビジネス上の目標を達成して予定通り平成25年1月に稼働開始したことからすれば,ビジネス上の目標不達成となった唯一のシステムである本件システム(SMAFW)の担当者らが,野村グループの中で非難の目にさらされていたことは容易に推認することができ,社内説明用のスケープゴートとして,IBMを必要以上に悪者扱いして,ビジネスパートナーとして信頼するに値しないと社内説明していた可能性は,高いものとみられる。いずれにせよ,信頼関係の点は,野村HDらが主張する履行不能を根拠付けるものとはいえない。

なお,ありがちなベンダが責任を自認するかのような文書が残っていた点については,ベンダ寄りの判断を示している。

本件開発業務の節目において,IBMの担当者から,その時々の問題点の発生原因がIBM側にあるかの発言や文書記載がされることがある(略)。IBMは報酬を受領する側,野村HDは報酬を支払う側であるから,IBMがプロジェクトの続行を希望して,低姿勢な態度に終始して,自己の問題点は指摘するが,野村HD側に問題があってもこれをあまり指摘しない言動に出るのは,自然なことである。このようなIBMの言動を,それのみで直ちにIBMの帰責事由の根拠と評価することは,不適当である。

これらの判断を踏まえ,原審では履行不能となった契約に基づいて支払われていた金額等が損害として認められていたのに対し,野村側からのすべての請求を棄却した。


さらに,反訴では,個別契約13及び15(開発に関するもの)の未払代金の全額と,個別契約14(テスト・移行に関するもの)の出来高部分について認容したが,商法512条に基づく別途の請求は認められなかった。

若干のコメント

札幌高裁H29.8.31判決と同様に,一審ベンダ敗訴,控訴審逆転という流れになりました。法律の解釈ではなく,事実認定や事実の評価が違ったことで,180度結論が変わってしまうということから,この種の事案は結論の予測可能性が高くないと感じるところです。いずれの当事者も「我々は100%以上の努力をしたし,最後の最後まで忍耐強く我慢した。しかし,相手方はどうしようもなくダメだったからうまくいかなかった。」と信じており,その主張がぶつかり合うと,ちょっとしたきっかけで一方当事者に裁判官の心証がダダーッと流れていくように思います。

本件では,引用中に「F」として登場する人物が,属人的な業務を抱え,システムの仕様を小出しにして変更要求を繰り返した上に,ベンダであるIBMに対して高圧的な態度をとってきた「モンスターユーザ」的に書かれています。確かに,一審でも,この領域がカスタマイズ増大の原因になったとして認められているものの,ここまで決定的な評価はなされておらず,何がそこまで影響を与えたのかは判決文からは読み取れませんでした。事実認定は,丁寧になされているものの,その中には評価が混じっていることが多く,判断の個所で,具体的な事実が摘示されているわけではないので,具体的にどの事実が重視されたのかということがわかりにくい印象を受けます。

話は変わって,控訴審判決は,一審ほどではないにせよ7万字程度の長大な内容になっていますが,いわゆる「改め方式」ではなく,事実認定部分などはリズムよく読むことができました。高裁の「改め方式」は読みにくい上に,いかにも仕事していない印象があるので,改めてほしいと切に願います。。