報道協定
宮崎県で発生した口蹄疫は拡大し続け、沈静化する気配も無いが、これだけの大現象であるにも関わらずマスメディアでの扱いが小さいのではなかろうかとの声をちらほらと見かける。
どうも原口総務相からマスメディアに風評被害を予防するために何らかの報道自粛要請が出されたようで、テレビ朝日によるカイワレ風評被害拡大等々の過去の事例もあり、おそらくマスコミ各社は意識的に抑制して報道しているようだ。
逆説的に事態の深刻さをうかがわせる。
誘拐事件報道に特に顕著だが、報道によって二次三次の被害の拡大が懸念されるような場合、マスコミ各社が報道協定を結び、報道しない、報道を抑制することがある。
過剰な報道によってマスコミが批判されることも多く、特に近年は訴訟を起こされることも増えているから、マスコミ自身、慎重にならざるを得ないというのも理解できなくもない。
今回の場合は口蹄疫はあくまで畜産の経済的な被害であって、国民、消費者の生命に関わるような問題ではないから、やや生産者寄りの判断になるのも止むを得ないのだろうとも思う。
ただ、そうした「分別」は行き過ぎれば報道の死にもつながる。戦後の畜産史でも類を見ないような大災禍であるならばそれ自体がニュースバリューを持つはずで、ニュースバリューに対する盲目的な忠誠を報道機関が失ったならば、報道機関の存在意義自体、問われるはずである。
報道協定を結ぶにせよ、結ばないにせよ、このような局面では大きな葛藤を報道記者は持つべきであり、少なくともマスメディアの大部分で足並みが揃うということ自体、極めて異常なことである。
日本のマスメディアの社員の多くが、エスタブリッシュメントのコネクションを持つか、せいぜい十校程度の'一流大学'の出身者で占められているように、報道機関は統治機関としての性格が濃い。
このことがいかに危険であるのかは、いまさら言うまでもない。
アウグストゥスは一般にローマ帝国初代皇帝と言われるが、彼が君主としての皇帝に即位した、あるいはローマが君主制国家になったという記録はその時点では無い。
権力の執行機関である執政官と監察機関である護民官を一身に兼ねることによって、事実上、アウグストゥスという個人が皇帝化したのである。
報道機関にとって、統治機関としての配慮など、むしろ有害であろう。
むろん、報道によって結果的に何らかの被害を発生させたり、被害を拡大させれば、国民は遠慮なく「マスゴミ」扱いするであろう。しかし日本の報道機関が「マスゴミ」扱いされても仕方が無い理由はそういうところにあるのではなく、報道の原理原則からかけ離れた「配慮」を各方面に簡単にしてしまう結果、報道機関としての存在意義を自ら貶めているところにある。
マスコミ性の過剰性によってではなく、マスコミ性の欠落によって軽侮されているのである。簡単に言えば、権力であったり資本であったり圧力団体であったり、何らかのプレッシャーの犬に過ぎないと見なされているから侮蔑されているのだ。
おそらく今回の件についても、報道協定があったとして、その「賢明さ」を褒める人もあるだろうし、政府からは頭を撫でられるであろうし、心底感謝する人もいるだろう。
それでもなお、あるいは、むしろそうであるからこそ、報道機関の内部の人たちはこの静けさを恥じ入るべきであろう。
飛べない豚はただの豚だ。