「子殺しの重罪化」を叫ぶ人達は、一度自分の足元を見てみた方がいい。

結局、世論は子供が犠牲になる事件はすべて重く罰して欲しいということ - Munchener Brucke
子どもが死んだからって外野がギャーギャー言うな - いつか作ります - 断片部


「子殺しの重罪化」に関して、冷静な批判をするなら上のエントリに付け加えることはない。

しかし、恐らくこれに同意しない人達もいるだろう。感情論が先行し、「それでも子供を犠牲にするなんて許せない!!」と声高に叫ぶ人がいることは容易に想像できる。


そうした人達につけるいい薬がある。

世界主要国チョコレート生産・輸出入・消費量推移| 統計・レポート | 日本チョコレート・ココア協会

上の統計が何故「子殺し重罰化論者」への牽制になるかというと(勘のいい人はもう気が付いているだろうけど)、

こういうこと。


それでもまだ分からない人には『http://indigofish.exblog.jp/3901988/』でも読んで頂こう。それでも分からない要領の悪い人にはこれを。

もちろん、これはチョコレートだけに限った話ではない(参照)。要するに、「子供を犠牲にするな!!」と叫ぶ社会を支える屋台骨の一部が、他ならぬ「子供の犠牲」によって支えられているわけだ。

「財産としての子供」に関心が高い人で、こんな事実はとっくにご存知で、食べるものはもちろん身の回りのもの全て「フェアトレード」で取引されたもので固め、セーブ・ザ・チルドレンみたいな活動に深くコミットして寄付やボランティアに邁進している人がどれくらいいるんだろう。他にも、世界はもっともっと悲惨な「子供の犠牲」で溢れてるのだけれど。

多分、「子殺しの重罪化」について敏感な人でもここまで話を拡大して考える人はあんましいないと思うけれど、同じく感情論に基づくならば、犠牲となっている子供自身、あるいはそうした社会に暮らさざるを得ない人々の訴えをこういう人達はどのように聞くんだろう。それは決して他人事ではなく、既に我々は加害者として責められる立場にいると思うのだけれど。

さて。果たして「子殺し重罰化論者」はこの事実をもって自らの社会に「重罰」を課すことはできるのだろうか。


※追記:一足飛びに話を世界に持って行ってしまったけれど、もちろん日本にだって表面化しない「子供の犠牲」はたくさんある。