腐女子の一人称はなぜ「漏れ」なのか?
id:kanose:20041117:fujyoshiより。
なぜ腐女子は「漏れ」とか「カキコ」を愛するのか、その謎を誰か解いてください。
理由として考えられるのは、
- 現代日本語における女性一人称の少なさ
- 男の「私」「僕」「俺」に対し、女は基本的に「私」「あたし」の二段階しかない。気軽に書くには「私」では硬すぎる。しかし、「あたし」ではどうにも軽すぎるし、第一、女性性が強すぎる(次項に関連)。かと言って「俺」「僕」をそのまま使ったのでは、それこそネナベや俺女になってしまう。
- 「〈標準語〉話者の成年男子」を主体の前提とする、言文一致体との違和感
- 文体の女性性が強すぎると、筆者の性をことさら強調しているかのように見えるため、主体のストレートな発露には適さない(関西弁で書いた文なども同様)。これは、「成年男子による標準語」以外の文体を一様にキャラ化・非主人公化・非主体化してしまう、近現代日本語(言文一致体)の構造的“罠”によるものなんだろう。
つまり、男性一人称における「俺」のような、インフォーマルな一人称として腐女子に採用されたのが、「漏れ」なんだと思う。「俺」のように男性性にまみれてはいないし、かと言って「私」のようにフォーマル過ぎることもなければ、「あたし」のように女性性過多ゆえ無属性の叙述に向かないわけでもない、実に具合のいい一人称である、と。
\ | 公的 | 私的(丁寧) | 私的(ぞんざい) |
---|---|---|---|
男 | 私 | 僕 | 俺 |
女 | 私 | 私⇔あたし | あたし⇔(漏れ) |
なんてのもあるんだろうけど。
[参考文献・URL]
- 金水敏 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎 (もっと知りたい!日本語)』 (岩波書店 2003)
- 文句なしの名著。もっぱらオタク学関連で言及されることの多い本書だけど、方言論・ジェンダー言語論についても示唆に富んでいる。
- 金曜1限 言語とジェンダー(藤村先生) 2007/01/19