イータイコト・イータイ

怪獣とヒーローと任天堂が好きな20代男が言いたいことを言いたいように言うブログ。

ウルトラマンアークの“真面目さ”と“正しさ”は、第2期ウルトラシリーズに通ずるものがあるかもしれない。

ウルトラマンアーク Blu-ray BOX(特装限定版)

 

※2024年12月8日現在のウルトラマンアーク最新話の内容に触れています

 

ここ最近、『ウルトラマンアーク』が燃えがちだ。かくいう僕も、ちょっと不満がある。

 

 

 

 

 

4週ブチ抜きで行われると大々的に告知された『ウルトラマンアーク』と『ウルトラマンブレーザー』のコラボ。TV本編のみならず、トリを飾る4話目の放送の同日には、SKIPとSKaRDのメンバーが全員集合するオンライン座談会まで催されるという。この報せを受けた時、殆どの人は期待したのではないだろうか。幽体怪獣を操るヘルナラクを止めるべく手を取り合うアークとブレーザーの共闘、SKIPとSKaRDという、毛色は違うものの怪獣災害に対して敢然と立ち向かってきた“働く大人たち”の共同戦線。これまで別作品との映像上の共演を頑なにしてこなかった『ブレーザー』という作品の新たな局面―。

 

しかし、実際にはそうならなかった。叶った部分もあったが、正直、期待していたものとはかけ離れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

言い方は悪いが、要するに“スカされた”のだ。勝手に期待してそれが違っただけならまだ良いのだが、今回はどう見ても公式が「こうなりますよ!」と煽っていたことが事実と違っていた。視聴者側の勘違いと言えばそれまでなのだが、それにしたってちょっとこれは宣伝の仕方がマズかったと思う。

 

しかし、今回のコラボ、2作品のコラボという意味ではマズかったかもしないが、『アーク』という作品単体で見れば、よく出来ていたというのもまた事実だと思う。見知らぬ別次元の世界にも同じ志を持つウルトラマンと人間たちがいる。その事実が、勇気と諦めない心をもたらし、次元を越えてお互いの力となる―。この“しんみりした熱さ”、“語らない熱さ”とも言えるものは、両作品のキャラクターが顔出しでガッツリ共演すると、却って出せなかったかもしれない。

 

この“スカし”、『アーク』の制作陣が真面目だったが故に、真面目過ぎたが故に起こってしまったのだと思う。2作品のコラボというその場の最大瞬間風速よりも、『アーク』という作品単体の完成度を良くしよう、そのような思いでこうなったのではないか。そういう意味ではとても“正しい”。そのように感じる。

 

……とはいえ、ガッカリしたものはガッカリしたのだ。でもいつまでも文句を言っていても仕方がない、ある意味これはこれで良いものではあったのだから、忘れよう……と思っていたら発生した。再びの“スカし”が。

 

 

cocreco.kodansha.co.jp

 

 

25年ぶり。映像作品へのキングオブモンス再登場。この報せを聞いた時点で「ガイアが客演するかも!?」と期待した方も多かったのではないだろうか。かくいう僕は、そうは考えなかった。あらすじ的にガイアが入り込む余地は無いし、入り込んできたらゲストのアオイのドラマが薄まってしまう。『超時空の大決戦』のように作中でウルトラマンがTVで放送されていて、アオイがガイアに思い入れがあったりでもすれば話は別だが、そうではない。なので僕はガイアの客演には期待せず、キングオブモンスという怪獣単体の大暴れがしっかりしたクオリティで観たいな、という期待をしていた。結果として、そこは叶えられた。しかし、しかしである。

 

「あたしが間違ってた!助けて!誰かウルトラマンを助けて!」

 

キングオブモンスの猛攻を前に窮地に陥るアーク、巻き込まれる子供。その光景を目にして我に返ったアオイの叫び。それを聞いた瞬間、思ってしまった。

 

「ガイア来るんじゃね!!!??」

 

アークを助けたいというアオイの純粋な願いに赤い球が反応し、別時空からウルトラマンガイアが召喚されるのではないか。あの時はティガとダイナが“呼ばれる側”だったけど、25年越しにガイアが“呼ばれる側”になるの、クソ熱いな!!?文脈乗ってんな!!?てか俺、あんなこと言ってたけど、いざガイアが来るってなったらやっぱ嬉しいんだな!俺、心の奥底ではガイアに来てほしかったんだ!……などということを、アオイが叫んでから数秒の間に考えて、心躍った。

 

 

 

 

ギヴァスが来た。東京第一銀行の常務もビックリである(ネットミームだ~いすき)

 

……いや、ギヴァス来るのは激アツですよ!!?分かりますよ!!?実際僕もブチ上がりましたよ!!?しかしですねぇ、

 

 

 

 

この思いもまた事実。よりにもよってキングオブモンス登場回でやるか!!?と思ってしまう自分もいる。……しかしギヴァスの救援、先のブレーザーコラボと同じく、『アーク』という作品単体で考えると、とても“正しい”のだ。だって冷静に考えたら、あそこで作中の誰も知らないガイアが現れるより、ギヴァスが来てくれた方が圧倒的に“正しい”。そう、アークの制作陣は“真面目”なのだ。ここまでだったら、正直“スカし”だとは思わない。

 

しかし、しかしである。

 

 

 

 

なんと放送と同日に『ガイア』のOVが配信開始されることが、その数日前から告知。更に、これは後で知ったことだが、同じ日にガイアのスプリーム・ヴァージョンとキングオブモンスのソフビが発売されたらしい。

 

……作品の配信日やソフビの発売日まで追っている熱心な方から見れば、こんなスケジュールが組まれていたら、「ガイアが出るかも」という期待は僕なんかとは比べ物にならなかったのではないだろうか。そう、ここまで来ると“スカし”だ。そんなこと制作陣は意図していなかっただろうに、“真面目さ”と“正しさ”と宣伝方法が噛み合わなかったばかりに……。

 

こういった最近の『アーク』という作品の“真面目さ”と“正しさ”が引き起こしてしまう“スカし”、どこか既視感があると思っていた。よくよく考えてみると分かった。第2期ウルトラシリーズの客演回だ。

 

 

思えば、第2期ウルトラシリーズ(『帰マン』~『レオ』)の客演回も、結構“スカして”いた。

 

団時郎さん演じる郷秀樹が次郎くんのもとに帰ってきたかと思ったら、実は偽物でしたという『A』第10話「決戦!エース対郷秀樹」。

 

 

 

 

ウルトラ5兄弟勢ぞろい!しかし4人の兄はすぐに十字架にかけられる『A』第13・14話「死刑!ウルトラ5兄弟」「銀河に散った五つの星」。

 

 

 

 

 

ウルトラ5兄弟再び勢ぞろい!しかし5人ともブロンズ化!ウルトラの父初登場!しかし負ける!ヒッポリト星人強すぎな『A』第26・27話「全滅!ウルトラ5兄弟」「奇跡!ウルトラの父」。

 

 

 

 

 

バードンの猛攻の前にタロウ死す!子供たちの祈りを受けてゾフィ降臨!しかし頭を燃やされ嘴でメッタ刺しにされ死亡!遺体は雨ざらし!長兄の扱いがあんまりな『T』第18・19話「ゾフィが死んだ!タロウも死んだ!」「ウルトラの母 愛の奇跡!」。

 

 

 

 

 

ついにレオ兄弟とウルトラ兄弟が共演!しかし共闘する訳ではなくババルウ星人の策略により泥沼の戦いに!一度レオに会ってる新マンぐらいはちょっと冷静になれよという『レオ』第38・39話「決闘!レオ兄弟対ウルトラ兄弟」「レオ兄弟 ウルトラ兄弟 勝利の時」。

 

 

 

 

 

などなど……。こうして振り返ってみると、結構“スカして”いる。平成以降の客演に慣れている私たちからすると「客演=先輩ヒーローの活躍」を期待してしまうが、昔はそうではなかった。この頃の客演回における先輩ヒーローの扱いの悪さは今でこそネタとして語られる機会も多いが、当時の視聴者からすれば辛いものがあったということは容易に想像がつく。カッコいい先輩ヒーローを期待していたらそんなことはなかった。“スカし”だ。

 

しかし。こうした“スカし”、実はちゃんと作品のテーマに則っているのだ。

 

にせ郷秀樹回。『帰マン』最終回でウルトラ5つの誓いを叫びながら郷秀樹と別れた次郎君。だが、たった3ヶ月弱で本物の郷秀樹が帰ってきてしまったら?興醒めだろう。憧れの郷さんがいなくなっても次郎君の人生は続く。その為に郷さんは心の支えとしてウルトラ5つの誓いを遺した。なので、『A』では「郷秀樹がいなくなった後の次郎君の人生」を描かなくてはならない。「本物の郷秀樹が登場しないこと」に意味があるのだ。

 

ウルトラ4兄弟もウルトラの父もやられてしまう『A』。しかし、彼らは何もせずやられてしまった訳ではない。4人の兄は弟のエースを生かすために自らエネルギーを分け与えてヤプールに捕まったし、エースキラーに力を吸われて瀕死の状態になっても、エースの最後の切り札スペースQの為に力を振り絞った。ウルトラの父も同様で、自らの命をエースに繋いで息絶える。ここで描かれるのは上の世代が下の世代のために自ら盾となる自己犠牲であり、世代交代だ。そこに華やかさはないけれど、テーマに沿っている。

 

バードンに好きなようにされてしまうゾフィ。痛々しいが、バードン編は母の愛情がテーマ。ゲストのタケシ君のお母さんは子供可愛さに光太郎を糾弾し、雨ざらしのゾフィを心配するキャパを息子の看護に割り当てる。バードンは自分の子(バードンが母親かどうかは諸説あるが描かれ方としては母親だろう)の卵を守るために食糧となる人間を喰らい、攻撃してくるウルトラヒーローを返り討ちにする。ウルトラの母は傷ついた息子を蘇生させ、死んだ息子を迎えに来る。三者三様の愛情がそこにはある。タケシくんの母の身勝手さ。バードンという母の強さ。ウルトラの母の優しさ。異なる三つの母の愛情を描くために、「タケシくんの母に無視され、バードンに敗れ、ウルトラの母に抱きしめられるゾフィ」が必要だったのだ。“ミスターファイヤーヘッド”などと呼ばれあんまりな扱いに思えるゾフィだが、テーマを描くうえで必要な犠牲だったことが分かる。

 

ウルトラの国の生まれではないため、どこか“外様”な感じもしていたレオ兄弟。真に認められるウルトラヒーローになるには、ウルトラ兄弟にはできないことを成し遂げる必要がある。ウルトラ兄弟にはできないこと。それはババルウ星人を倒し、ウルトラキーを修復してウルトラの国と地球を救うことだ。その為に「ババルウ星人に騙され、怒りに囚われ、敵としてレオに立ちはだかるウルトラ兄弟」が必要だった。今までのキャラクター像とは違うかもしれないが、描きたいテーマに対してとても真摯だ。

 

こうして振り返ってみると、第2期ウルトラシリーズの客演回は“真面目さ”と“正しさ”を兼ね備えている。先輩ヒーローの活躍を期待していると“スカされた”と感じてしまうかもしれないが、描きたいテーマに対してとても頑ななのだ。

 

ここ最近の『アーク』に感じる“スカし”も、これと同種のものだと思う。“真面目”だ。とても正しいのだ。

 

第2期ウルトラシリーズの客演から“スカし”よりも“真面目さ”と“正しさ”を多く感じられるようになったのは、僕もある程度月日が経ってからだ。『アーク』に対しても、いずれそう感じられるようになるかもしれない。納得できるまで、時間はかかるかもしれないけど。

 

だって『ウルトラマンアーク』の良さは、“真面目さ”と“正しさ”だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Â