かしををを

かしをが文章を練習するブログ 好きなものを布教するブログ

12*2+0

9月6日、24歳になりました

十二支2周したので、人生3周目始まったな、と思ってみる。(自分の年齢を2で割った数を単位にすればいつでも人生2周したことにできて便利!)

24歳は、日記みたいに同じ場所じゃなくても、詩の書写かブログか日記どれか書けたら合格くらい、いややっぱ毎日より毎週のほうがいいかな (過去の自分にとらわれずに生きているのでこういう目標を達成したことがない)

”文章を書くと自分の考えを客観的に捉えられるようになる“みたいなことが言われる中、最早文字にする直前までぐにゃぐにゃした線のからまりみたいな思考になっていて、友達にLINEでToDoを送りつけてしまうから、みんなもそうしていると信じている。チャトレみたいにラインがメッセージ課金制になったら、人間の思考力の階級化が爆加速するかも!LINEってどうやって利益出してんだ(※思い出した)

 

 

今年2月に今の家に引っ越した頃に光回線の支払い方法を変更してしまって、先月まで家に請求書が来る形になっていて、あまりに気付かなかったので2週間前からプロバイダサービスを止められてしまっていた。 今日やっと追徴請求書を受け取れたのでもうじき家にインターネットが戻る。 この2週間で私生活の文明水準みたいなものが一気に変わっていた。最初の1週間はiPhoneの携帯回線でネットにアクセスしていて、月20GBの通信量を使い切った。通信制限って本当に久しぶりに経験した。”言いつけ守らなかったからネットが遅くなる“みたいなシステム変すぎるかも

次の1週間は、近所のフリーWi-Fiを訪ね歩いた。コーヒーチェーン店とファミレスに入り浸り、金の脱走速度。ノマドワーカーのコスプレだなと思ってたら美容師さんに「わぁ、中学生みたいな」って言われちゃった。確かに中学生みたいだと思ったけど、フリーWi-Fiにありつくために努力するのが中学生みたいってかなり時代限定的なイメージだと思った。トー横キッズの友達(?)も家出した直後はコンビニやマクドナルドのWi-Fiをターザンのように飛び移って耐えていたらしい。コンクリート・フリーウェイブ・ジャングル。

実際、自分の中学生時代も、お年玉で買ったiPod touchを使ってクラスのLINEグループに入ったし、Twitterもその時始めた。

人生の半分Twitterやってるらしいです。

そうだ、通信制限で音楽をストリーミング再生するのに気負いしていたので、大昔に中古ショップで買ってもらったiPod nanoを掘り返して使っている。第6世代はiPod shuffleに似ていて、握って隠れるくらいの正方形のボディの一面がタッチパネルになっている。当時のiOSに似たUIデザインになっていて、画面いっぱいにひとつのアプリアイコンが表示される。サードパーティ製のアクセサリで腕時計風にもできた。つまりApple Watchの原型のようなものになる。iPod nano第6世代は本当に可愛くて、人格形成期の僕に「四角くてかわいい」を植え付けた主犯だ。ここまで読んだ人が万一いたら四角くてかわいい情報集めておいてください(読み返したら飛蚊症の視界みたいな文章になってしまった)

 

 

 

 

20231205

学部5回生の12月
あとは卒論だけ 進捗は、かなりない。

12月15日に名古屋へ、翌日夜は夜行バスにのって日曜から長崎
翌日に観光して夜には福岡の実家に帰る

という無駄に金のかかる旅程を組んでいる。

実家は私の就職と同じタイミングで家を移るらしく、帰省したら箱詰めをしなければならない。年末には高校の部活の同窓会がある。

年明け5日には卒論を提出するため、当日までに製本できるようにしなければならない。製本できるかどうかを心配することで卒論の執筆の方の心配が軽減する気がする。

 

今日は1日缶詰で進捗を産むつもりだったけど、結局卒論が終わったら何をするか、計画の手前の妄想をしているだけで終わってしまった。ダメすぎる。

具体的には、
・0から引越しを進める
・1月本番の演奏会の練習
・ドラムレッスンに通ってみる
・基本情報(FE)の勉強
・最後の学割を余すことなく使いこなす など

留年しているので当然卒業旅行の予定はない。12月移動するしお金かかるし。そういえばPCもいいのが欲しいんだった。ところで1月は限定春コスメの発売があるんですよね。え、金ないね〜 卒論ギリギリのこの時期になぜか採点のバイトを始めたので、結局年明けたら("共通テスト"が終わったら)バイト三昧だぁ!

 

本当に書かないとダメだと思うけど、とりあえず食うかって食事の準備すると、食事は生命維持に必要なことだから「やらなきゃいけない」の焦りが緩和してしまう。食べないとやる気出ないから、逆に苦しくなるまで食べ続ければよいのかもしれない。

ブログ書いたら文字を書くことを取り戻せるかなと思って書いてみたけど、まだ掴めてないな。

ところでAdobeの解約引き留め無料メソッドはまだ使えるんだろうか。

水のはなし

僕は呼吸が人並みに上手にできるようになるのが若干遅かったので、入浴がとにかく苦手だった。目や口や鼻に水が入るのが痛くて辛くてできるだけ後回しにしてしまっていた。一人暮らしをしているいまも人に会う予定がないなら入らなくてもいいと判断してしまう。

それでも最近は外出の予定がある日がほとんどなので、基本的に毎日シャワーは浴びている。ただ、湯船に浸かるのが本当に苦手だ。たまに入ってみてはどれくらい入ればいいのかわからなくてのぼせてしまうし、正解がよくわかっていない。

 

モリゾーとキッコロというかわいいキャラクターがアイコンの「愛・地球博」が開催されたのは、僕が小学校の低学年くらいのころだった。そのころから、エコ運動みたいなのが普及していって、手や皿を洗う時に水を出しっぱなしにするとか、いない部屋の電気をつけっぱなしにするとか、不必要に冷暖房の温度を低温高温にするとか、そういうのを避けるように言われていた。親というより、テレビとか、大人から。僕の地元はエコタウンを自称しており、環境問題への意識も高そうだった。

 

あるとき、健康的な問題でやはりに入ろうと思って自宅でお湯を張っているときにこのことを思い出した。なんで1人が1回、気持ち良さもよくわからないまま使って流すお湯は、使っていいんだろう。無駄すぎないか?

健康のためという名目があればいいのか

蛇口の水を流しっぱなしにするのがダメなのは名目がないからだとすると、いちいち止めたり流したりすることのストレスが健康を害すると主張すれば認められるのか?(誰に???)

意味なくない?と問えてしまうことがなんとも言えない不安感をもたらしてしまうからという理由で、芸術学に興味を持った。無関心性とか共通感覚とか、そういう説明をされても結局実感とは違う気がした。

 

環境と豊かな暮らしのどちらも守るためには技術が必要だ。だから早く技術が整うようにさまざまな支援がされるべきだと思うけど、それまでの間はどうしておくのがいいんですかね。

環境のために死ぬか、生きるため、暮らすために環境を殴り続けるか、そんな二極ではないと思っていながらも、なんとなく突っかかってしまう。非人間中心主義ってどこまで可能なのかな。

 

 

 

就活留年的な

かしをです。

現在大学4年生、講義単位を取り切れなくて来年も4年生になりそうです。

 

3年の6月に意気揚々と大手企業のインターンを調べてESでも書いてみるかと開いたら、設問があまりにも意識が高い内容で目がくらんでしまい、そっと就活を終えてしまいました。

 

大学の職員か、安月給のSEとかになれませんかね。