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ばーばと南 + Run&Music

高校受験説明会の失言

宇宙から見ると成功も失敗も小さい出来事。

努力の過程が大事で結果ではない。

受かったところがあなたにとって最善の道。

もし落ちてもそれは神さまからの試練です。

結果がどうあろうと私たちはあなたがたを見捨てません。

 

 

 

受験の説明会で3年生の部長を務める先生からの言葉です。

 

 

なぜ、受験を失敗する前提で話したのか。

理解しがたい表現を前に年生も父兄も驚いてざわつきます。

 

 

受験に失敗したら社会から見捨てられるのでしょうか。

見捨てない先生たちはえらいと言わんばかり。

 

 

 

 

  

南は家に帰ってきて憤慨してクラスの中の事を話してくれます。

 

クラスでは

みんな第一志望に向けて頑張っているのにどうして落ちた後の話をするかな

言っていいことがわからない先生って大丈夫なのか

もっとほかに頑張れるような言葉があるだろう

いまその言葉はいらなくない?

先生ゲームのしすぎじゃない?

ノウハウ本が好きだから引用を間違えたんだよ

と否定的な意見がほとんどでしたが、神さまは中学生から試練を与えるのかな、と

ちょっとちがった角度からの意見もあったそうです。

 

 

 

おおよそクラスの子たちが言うとおりでごもっともです。

その先生は考えすぎて考えすぎてそのあげく、行きすぎちゃったんでしょうか。

 

 

 

 

私たちは地球にべったりくっついて生きているのですから

ここで宇宙からの視点を持ち出す必要はありません。

そんな視点を持ったらおよそ感情のないロボットのような人間に育ちます。

 

 

いいことも悪いことも成功も失敗もきっちり受け止めます。

視点を上げてなにもかも同じように見てしまうことは逃げです。

 

 

なんにつけ受験の結果には一喜一憂します。

それのなにがいけないのでしょうか。

 

仮に第一志望に落ちたとしたらふさぎ込みます。

感情をあらわにしてなにかに当たるか、号泣します。

時間が解決してくれるまで悔やみます。

それが試練なら神も仏もないとうらみます。

がんばった過程なんてどうでもいいんです。

 

そんな悟ったような心境になれるはずがありませんし、なる必要もありません。

受験生にとって合否がいかに重要かはわかってないわけないでしょう。

あなたも受験を潜り抜けてきたのではないですか。

きれいごとでは納得できないのです。

 

 

失敗というのならば、その瞬間は大丈夫ではないのです。

将来の夢をかけて受験する子たちにとってそんな簡単に処理できる結果ではありません。

 

神様やわけのわからない宇宙の視点やらを持ち出さないで

受かったら喜びを爆発させろ。

落ちたら残念がれ。

そのためにも、そうならないためにも頑張れ。

と事実をそのままいわれたほうがどれだけ励ましになるか。

 

 

 

なにかをごまかして腫れ物に触るような発言は届きません。

 

笑顔 ~ Miles Davis「Tutu」

下手でも笑顔があればいいじゃん。

楽天的で。

 

 

寝る前にあんず酒をロックで飲みながら、トミー・リピューママーカス・ミラーのプロデュースによるマイルス・デイビス「Tutu」('68)を聴きながらチャールズ・ブコウスキー「勝手に生きろ!」を読んでいるとお酒にもマイルスにもブコウスキーにも満たされてこのまま良い睡眠がとれそうです。アルバムジャケット手掛けた石岡瑛子は1987年のグラミーで最優秀アルバム・パッケージを受賞しています。当初は酷評されたこの作品ですが1987年のグラミー賞・最優秀ジャズ・インストゥメンタル・パフォーマンス・ソロ部門を受賞しました。私は好きなアルバムです。

 

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負けず嫌いの高校受験

「受験まであと少しです。みんな最後の努力を惜しまないように」

と南たちは学校で喝を入れられました。

 

 

努力…………。

努力ね。

努力なのかな。

努力を惜しむって?。

 

 

南は不満そうに帰ってきました。

 

 

 

今頃になっても受験に向けて努力をしようとか、努力をしなきゃなんて考えている時点でおかしいと考えているようです。

それは南だけではなく、クラスの友だちも同様に思っているようです。

 

 

この時期にきたら

「やるべきことをやるだけ」じゃないかって。

 

 

「まあ、先生もそういう意味で言ったのではなく、気を緩めず頑張んなさいと言いたかったんじゃないの」

といっても受験でメンタルが敏感に研ぎ澄まされている彼らには届かないようです。

 

それもしょうがないかな。

ほんの少しでも間違えたら点を失う世界にいるのですから。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

男女問わず複数の一流のスポーツ選手や芸能のかたたちの話を総合すると、

いちばん感心するのは、一様に努力をするしないの議論が問題にあがることはありません。

私の数人の一流のプロスポーツ選手と話を聞いたことがありますが、そもそもが

頑張る=努力なんて発想すらありません。

 

 

 

上手くなりたいのならば自然とカラダが動いて練習へ向かうのです。

どんなに疲れていようとも。

練習をしないとお稽古をつけないと不安で不安で、いてもたってもいられずにカラダが自然と動きます。

 

 

それを彼ら彼女らは努力とは呼びません。

 

 

結果を出さなければいけない世界において、訓練や勉強や練習を第三者に言われて顔をかしかめながら行ってもプラスにならないと言います。

 

 

才能のスタート位置がどこであれ向上心に飢えて練習なり勉強なりを頑張ることは、やらないとどういう結果が待っているかを十分わかっているからです。

想像力があるのです。

頑張ることが嫌いならば人に急かされて努力の世界をさまようことになります。

でも成果は出ません。

想像力に欠けているのです。

 

 

 

スポーツでも習い事でも仕事でも

常に不安を抱えている人のみが一流になります。

 

不安を払拭するためには変えるべき問題に向き合うしかありません。

 

チェ・ゲバラは常日ごろから戦闘中さえ本を手放さず、読書をすることで革命の不安と向き合っていました。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

そうです、今年は南には高校受験が控えています。

自分から夏休みの塾の特訓に行きたいと言い出し、お金を出してくださいとおとーさんに頭を下げました。

 

「行きたい高校を目指すためなに塾が必要なのであればのそれでいいけど、絶対に結果を出しなさい」とおとーさんから許可を得ました。

 

「結果を出すには全教科を一度によくしようと思わず、まずは1教科に自信をつけなさい。そうするとその自信がその他の教科を引っ張ることになるから」とアドバイスももらいました。

 

 

スポーツのときにしか目の色が変わらなかった南は、中体連を終えた夏休みから徐々に勉強モードに入っていきました。

塾には10時間~12時間滞在するために、お弁当をもって行きます。

私は、南が毎日おかーさんに「ありがとう。おいしかったよ」と笑顔でお弁当を返す姿を見るのが好きです。

 

 

 

南は自分が考える”いろんな意味で自由度の高い高校”に受かるために自分の現在地を見つめ直すと「これはヤバイ何かを変えなくては」と思ったと言います。

リスクを察し不安を感じているところに、部活をやっている頃とは別の意味で眼の色が変わり頑張っている友だちを見て、南の負けず嫌いに火がつきました。

 

 

がぜん成績は上がりだし、夏休み明けは希望高へトップクラスで合格できるレベルまでたどりつきました。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

「受験に向けて勉強しなさい」と家族の誰かがけしかけたわけではありません。

 

 

家族の声掛けは、

・たまには塾を休んでいいのよ。

・模擬テストでいい点数を取ったらすごいじゃん、頑張ってる成果だね。

・南が納得できない点数を取ってうなだれてきたら、わからない所がはっきりしたことで勉強する箇所がわかったからよかったよね。

・無理しないでたまには遊んだら。

・はやく寝たら。

程度です。

 

決してこちらからネジを巻くことはしません。

むしろ塾が嫌ならやめていいよといいます。

 

 

南は「友だちの親は点数が低いと怒るし、もっと勉強しろって言ってるよ」と我が家の対応を不思議がります。

 

「そういってあなたの成績が上がるのなら毎日うるさく言うけど、あなたそんなタイプじゃないでしょ。言ってモチベーションがあがるくらいなら、幼稚園のときから言われている部屋のかたづけや配布プリントをカバンの底に溜めていることなんか、一瞬でできるようになってないとおかしいでしょ」

おかーさんの言う通りです。

 

 

南は自分でやるぞと決めてスイッチが入らないと何もしません。

その代わりスイッチが入ると行動力と潜在してた実力を見せつけてくれます。

 

それは野球だろうが勉強だろうが同じことです。

 

 

南が自分からおかーさんにスマホを預けた時点で、おかーさんと私は「スイッチが入ったね」と笑い合いました。

 

 

 

私はスイッチが入った南を頼もしいなーと見ていますが

入っていないときの南も、あー抜いてるなーとわかりやすくかわいくて好きです。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

学校が休みの日は12時間も塾で勉強していることをおかーさんから聞いたおばさんから「すごい努力をしているんだね」とホメられても

本人にはその感覚はないので首をかしげるばかりです。

 

 

「オレ怠けものだから、これまで努力はしたことありません。やらなきゃなんないことだけをやってるんです」と答えます。

「野球もなの?」

「野球はヘタでうまくなりたいと思うから練習をやるんです。少しでも野球がうまくなりたいんです」

「野球は上手いじゃない」

「いや、まだまだ全然です」

「どこを目指しているの」

「どこも目指しいません。もっともっとうまくなれると思っているだけです」

 

 

南のもっともっとという向上心と、自分のことがよくわかっている絶対評価がいい感じだと思って会話を聴いていました。

 

 

 

やる気が成長曲線の急カーブを描きます。

南は塾で長いこと勉強をする時間が増えたことで点数が伸びたのではありません。

「解けない問題があることに納得がいかない」

という強い負けん気と自主性が自分の成績を引っ張りあげました。

 

おかーさんが塾の面談で、南君は数千人いる塾生の中でがいちばん成績が伸びました。ご家庭でどういう風に指導されたのですかと訊ねられたそうです。

「なにもしていません。自主性に任せただけです」

と答えるおかーさん。

「なにかありませんか」

粘る先生。

「いえ、ほんとうに何もしていないのです」

 

原因追及をしたい先生は笑って首をひねっていたそうです。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

数学の証明や空間図形の解き方を南に訊くと、理路整然と説明してくれるのですが

その説明の仕方がまあかっこいいこと。

メダカやトンボの取り方、ルアーの動かし方、変化球へのバットの出し方を説明してくれるときの逞しく頼もしい南と重なります。

 

 

空間図形なんて言葉がいちばん似合わなかった南が、こんな結果を出すことができるようになるなんてびっくりしています。

塾の先生同様、いまだに不思議です。

 

 

「コツは何?」って聞くと

 

○全問できるようにしようと思わない事。

○考えてもわからない問題は捨てるべき問題として思い切って捨てる。

○その代わりそのほかの問題は絶対に間違えない事。

○そして残った時間を捨てた問題に取り組むのではなくて見直しに使うんだよ。

 

と教えてくれました。

 

「捨てる!!」と割り切れる意識と同時にそれを実行できるようになった自信に驚きます。

それは難問以外の問題に対して実力がついてきたからだからこそなのだと思います。

 

 

 

いまや志望校は安全パイと言われている南なのですが、

「それでも、オレより頭いいヤツは捨てる問題がない。もっとパフォーマンスを上げないといけない」

あまりの快走に早めの仕上げを心配する家族をよそに、南は気を緩めることがありません。

 

前を追う気性の強さと集中力は野球で培われたのだろうと思います。

 

 

南は「解答の再現性を高めることは野球と同じだ」といい切ります。

 

 

塾に入りたての頃は苦手な個所をおとーさんとよく二人で解いていましたが、

11月ごろからはそれも自分で修正するようになり、問題の解き方のコツがわかってきたと話していました。

問題が解ける面白さを覚えたようです。

 

「二軍で打てたけど一軍で打てない理由がわかったって感じ」と南が野球に例えて胸を張ります。

言ってることはわかりますが、その内容がどういうことか私にはよくわかりません。

 

 

勉強の理解度が増すにつれ受験に対する気持ちも落ち着いてきて、難問に対して「なんでこんな問題を出すのかな」と少し荒れ気味だった南におだやかさが戻ってきました。

 

 

それでも家族は心配です。

心配はつきないものの口にだして、あーしろこーしろとはだれも言いません。

言ったところで彼には届かないのはわかっているし、これまで自分で結果を引っ張ってきましたから信用しています。

 

 

ただ、体調管理だけはみんなしてうるさく牽制しています。

 

 

初詣は人が多くて出かける習慣のないわが家ですが、

おかーさんが合格祈願のお守りを近くの神社からいただいてきてそっと南の机の上に置きました。

 

 

「晴れて合格して塾の先生から『ご家族はどのように導きましたか』と聞かれたら

『えーっと、お守りを買いました』と答えるつもりなので頑張ってね」

とお守りのお礼を言いに来た南におかーさんが声をかけていました。

 

 

 

お金の長所

「おともだちの長所をみるようにしましょう」

と教えている小学5年生の担任の先生が

 

 

「世の中は、お金が全てではない」とも言います。

 

 

「先生、お金を否定しちゃだめです。長所をいわないといけないんじゃないの?」

とある女の子が反論しました。

 

 

とーーーーってもえらいと思います。

 

 

管理者のやるべき仕事

管理者やリーダーの仕事って部下や組織をコントロールすることではない。

部下の不安をなくしてあげる事につきます。

 

 

そんな第一優先の仕事すらできないくせに

部下のプライベートにずかずかと入り込んではならんのです。

いや、できているとしてもダメなんだけど。

 

中心へ引きもどす力

三が日が過ぎました。

 

たくさん食べて

たくさんお話をして

たくさん寝て

心浮かれて

行動に落ち着きを失くし

運動もせずに過ごした3日間。

 

 

 

ちょっと待て。

 

お正月から全てが逆さまだったのです。

 

これは修正に価します。

 

適量を食べて

早寝早起きを心がけ

べらべらしゃべらず

落ち着いて心を乱さず

怠け心を怖れる生活とはかけ離れていました。

 

 

孫たちが聞いたらいつもじゃんと言われそうですが、いつもに増してダメでした。

 

 

 

不注意でした。

ずっと外部ばかりを見て過ごしていました。

重要なものを見ることなく

不必要なものばかり追いかけていたように思えます。

 

 

 

きょうから注意深く過ごすとしましょう。

 

ちゃんと自らを観察して過ごさねば。

観察しても見過ごさないように律せねば。

律しても甘えないように鍛えねば。

鍛えようとしても三日坊主にならぬように注意せねば。

 

「今度こそ」と何度誓ったことでしょう。

でも今年こそは頑張るのです。

 

 

と、何度決心したことでしょう。

 

普段から節制生活が出来ている人だからこそ、お正月くらいはゆっくりした生活を営んでいいのだなと気づきました。

普段頑張っているおかーさんがゆっくりできるようにおせちはあるのです。

 

 

受験を控えている南は、お正月の2日間だけ勉強時間を少し削って意図的に遊ぶ時間を作っていました。

それまでの南は、負けず嫌いにスイッチが入り、暇さえあればずっと勉強をしています。夏休み前の南とは別人です。

ゆっくりする時間は、風呂と勉強の合間の休憩と寝るまでの30分程度だけです。

食事もそそくさと済ませてしまいます。

 

お正月にスローダウンが許されるのも、普段の頑張りがあるからこそです。

 

 

私は普段からだらしないのに、お正月にかまけて輪をかけてだらしなく過ごすなどもってのほかでした。

来年のお正月こそだらしなく過ごせるように

南に習って日常の生活レベルを底上げしなければなりません。

 

 

無知が可視化されたならば、気づいたのならばすぐに実践です。

ゴールへの工程表、MUST DOの作成が必要不可欠です。

なんならPDCAです。

 

次は気持ちです。

モチベーションの維持は意地でも大事です。

 

 

だから気まぐれて怠けてきたら

それに気づいて方向修正ができる意志を持ちたいと思います。

 

中心へ引きもどす力を定着するためにお参りに行きたいと思います。

これができればダイエットだろうがなんだろうが成功するのです。

 

 

よし、またまた参拝だ。

神さまにお願いではなく宣言をするのだ。

今回はやりますよって。みててくださいねと。

 

 

なんだかんだいっても心の底では神頼みじゃんと南に言われました。

そんな高をくくった態度は揮発性なので継続は自力でね、とも。

 

 

その場合未熟な私に必要かつ大事なのは、怠惰に袖を引かれぬように完璧を求めてはならないということ。

手の届く位置にゴールに価値を下げて、切れそうになる気持ちを振り切ること。

 

 

そうやって頭の中にあるやるべきこと、やりたいことを「身につけて」いこうと思います。

神さま、常にそう思っているのですけど…………。

 

 

自分で何かを変えろ ~ 越えることのできない事は起こらないなんて、嘘だ。

思うように、うまくいかないときがあります。

それは中高生でも社会人でも同じように起こります。

 

 

当事者にとっては誰かのせいにしたくなったり、本当に100%誰かのせいなのかもしれません。

だけど、誰かのせいにしたからといって解決するものでもない出来事がたくさんあります。

 

 

実は人災だったりする自然災害。

一方的な交通事故。

たくみな詐欺。

イジメ。

離婚問題。

 

 

しかし、起こったことに対して

四六時中こだわっていても

恨んでみても後悔しても

なんの解決にもなりません。

 

起こってしまったのだから。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

普段の仕事や家庭や生活がうまくいかないときは

「自分で何かを変えろ」

「いつまで間違ったところで停滞してるんだ」

「変化から目を背けていないかな」

「ほら、きっかけは与えたよ」

と言われているのだと私は思うようにしています。

 

 

というか、そう思ったほうが先に向かう気になります。

 

 

停車している車に後ろからぶつかられたとしても、保険上では0:100でも

自分の運が悪かったと思えばその後の行動も変わる事でしょう。

 

 

ただ、そうしたからといって不幸にリセットがかかるわけではありません。

不幸に万能薬はない。

いたたまれないまま過ごさなければならない現実はあります。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

「越えることのできない事は起こらない」

などという慰めは、嘘だ。

 

救いたがりの大人がこしらえた、体のいい落としどころだ。

苦しんでいる人に対してどうしてそういう無邪気で絶対的なことが言えるのか私にはわからない。

 

 

地球にとって人間の命が一番大事だと言っているようなもので。

えーっ、生命はみんな平等ではないんですかー、クジラもナメクジもヒトも。

 

そこに未来はないし賛美とは程遠い論理だ。

 

 

なぜ当人の悲しみを壊れた愛を不可侵なものとして尊重できないのだろうか。

言えば言うほど発言者の価値が消滅している。

 

 

黙っていればいいのにと思う。

 

 

納得のいかない救いようのないそれは起こる。

越えられない出来事を死ぬまで抱えながら

苦しみから目をそらしたり向き合ったりしながら生きていく。

 

向き合う状況を選択する過程で上手くバランスを取らないと

生きて行く理由を見出せずに自分を保てなくなりどうしようもなくなることもある。

 

 

われわれはヒーロー映画を見ているわけではない。

越えられない現実はないなどと理想や幻想みたいな甘いことを言っているから不幸に沈む。

 

少なくとも正直ではない。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

だれもわかるものか、だれにもわかってたまるかという気持ちをもつことは、しっかりと生きている証拠でしょう。

 

 

物わかりは悪いけれどスネるでもなく卑屈になるでもなく。

ちいせーなと言われようと、前のめりに妥協しながら素を出しながら生きる。

みっともなくても肯定されなくてもその程度の美しい花でいい。

 

 

誰に言われるでもない自分だけのゆるぎない感情は未来へ成長を促します。

覆らないものの中で幻覚を拠り所としたとしても

それが自分を変えていく唯一の手段でしかないのなら。

 

 

 

火の鳥ですら一度死なないと、灰の中から生き返ることはできないのです。

 

人に頼らずに自分の足で静かに立ち上がろうとしてるところに自己責任だのメンタルが暗いだの弱いだのと上段からマネージメントを急ぐ、カネと土地の多寡が成功と勘違いしているあなたこそ、奇跡的な劣悪さのゲスの極み。

 

 

裸の王様の方がまだ可愛げがあります。

 

落ち込んでいても、無条件降伏を受け入れているわけではないのです。

とびっきりの笑顔を取り戻すには意味のない抑圧から距離をとろうとしていだけなのです。