基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

『ゲド戦記』や『闇の左手』のル・グインによる、最後のエッセイ──『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』

ル・グインは何をおいても『闇の左手』や『ゲド戦記』の、類まれなSF作家・ファンタジィ作家であるが、僕は彼女が書いたエッセイや評論も大好きだ。詩的でメタファーに満ち、それでいて明快だ。本書に収められているエッセイも、2010年以降の、80代という老境に入ってからの文章にも関わらず相変わらず鋭く、力強い。

本書は2010年から始めていたブログの記事41篇をテーマごとに沿って並び替え、まとめたもので、2018年にこの世を去ったル・グインによる最後のエッセイ集になる。これまでのエッセイ集ではファンタジィやSF、フェミニズムなどテーマがはっきりとしていることが多かったが、本書は元がブログということで、飼っている猫についての備忘録的な記載あり、食事、進化論と宗教、ベジタリアン、SFやファンタジィのこと、そして老いについて──と非常に雑多であり、それがまたおもしろい。

老いについて

全体をパラパラとめくっていくと、やはり老いについての記述が印象的だ。本書の書名の「暇なんかないわ〜」は、かつて卒業したハーバード大学からの「余暇には何をしていますか?」という質問に対する返答だが、これも終わりの時間が見えているからこそのものだ。たとえば、私には余暇は存在しないと彼女は語る。『私の時間はすべて、使われている時間だからだ。これまでもずっとそうだったし、今もそうだ。私はいつも、生きるのに忙しい。』『私の年齢になると、生きることのうち、単純に肉体を維持することが占める部分がふえてきて、まったくうんざりする。』

年寄りになるということは、「生きているだけで精一杯」の状態で生きていくということであり、より若い人たちに「年齢は気持ちが決めるものです」といわれて即効反論していく様子もおもしろい。『あのね、八十三年生きてきたということが、気の持ちようの問題だと、まさか本気で思っているんじゃないでしょうね』。そりゃ、老齢は気持ちの問題ではないだろう。どんどん身体が動かなくなっていく、非常にリアルな問題だ。そして、衰えて残り少ないものをどのように使うべきなのか、そうした問題にどう向き合うべきなのか本書では丹念に描きこまれている。

他にも、どのようにル・グインが言葉を書き、言葉をあやつっているのかについて。『言葉は私にとっての織り糸、そして粘土の塊、そして、まだ彫刻されていない木片。言葉は私の魔法のケーキ、非諺的なケーキ、私はそれを食べる。そしてなお、もち続ける。』。読者からの質問で困惑するタイプのものはなにか、今必要とされている文学賞について、政治についてなどなど、まさに「ブログ」といったかんじで、時代や彼女のそのときの話題、状況に関連した話題が次々と取り上げられていく。

なくなる直前までル・グインは猫と暮らし、このようにしっかりと物を考え、その世界を広げていたのだなと「残り少ない時間で何をするのか」という問題に対する見本をみせてもらったように思う。ル・グインファンはもちろん、今まで読んだことがない人であっても、このエッセイ集から手にとっても良いかと思う。

ル・グインの他エッセイについて

ル・グインの久しぶりのエッセイを読んでいて、そういえば昔ル・グインのこうしたエッセイについて原稿をSFマガジンの2018年の8月号、ル・グイン追悼特集号に書いたなと思い出して下記に引っ張り出してきた文章を置いておきます。ブログ用にちょことこ書き換えており、ル・グインのエッセイを概観するにはいいかと思う。

夜の言葉―ファンタジー・SF論 (岩波現代文庫)

夜の言葉―ファンタジー・SF論 (岩波現代文庫)

ル・グインはSFやファンタジィ、物語ること、ジェンダーについて、深い洞察と豊かなユーモアを兼ね揃えたエッセイを残している。その語りは『世界の半分は常に闇のなかにあり、そしてファンタジーは詩と同様、夜の言葉を語るものなのです。』と綴る最初の評論集『夜の言葉―ファンタジー・SF論』からして研ぎ澄まされ、後の刊行作はその内容を発展させていく壮大なSF・ファンタジィ評論群となっている。

第二評論集『世界の果てでダンス』は『闇の左手』をフェミニストの枠組みから捉え直す評論などジェンダー論が多いが、とりわけ創造することへの表現が印象に残る。『何かを創造すること、それはミケランジェロが彫像をおおい隠す大理石を刻んだように、その何かを創案し、発見し、掘り出すことです』。かように、ル・グインの言葉はメタファーに満ちており、明確な定義を与えるのではなく、毎回異なる表現を使いながら、より深い場所を流れる観念を捉えようとするかのように掘り下げていく。

『いまファンタジーにできること』では、ファンタジーに対して、『ファンタジーは、善と悪の真の違いを表現し、検証するのに、とりわけ有効な文学です。』と語り、『夜の言葉―ファンタジー・SF論』では、大人がファンタジーを拒絶・恐れることを「アメリカ人はなぜ竜が怖いか」と題し、それはファンタジーが真実だからであり、そこに含まれる自由が、大人の虚栄を暴き出すのが怖いのだと喝破する。

卒業公演やシンポジウムで、彼女は見過ごされ、軽んじられる女性の側に立った発言を繰り返すが、その姿勢はジェンダーのみに向けられたものだけではなく、大人から低俗なものと迫害されてきたファンタジー、SFに対しても同様だ。彼女は高らかに物語の意義、意味を謳い上げてみせる。それは決して庇護に留まらず、作家らに対し、より高みを、達成不可能な問いにこそ立ち向かえという鼓舞も含まれている。

時代を超えて受け継がれるべきエッセイ集ばかりなので、こちらもぜひ機会があったら手にとってもらいたい。