気ままに生きるきさらぎの暮らし

ウェブリブログに書いていたものをブログタイトルを変更してお引越ししました。雑記ブログです。

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自分がこの世に存在しなかったかのような数日間①

明けましておめでとうございます。

皆様、お体の具合はいかがですか。

巷ではインフルやら風邪やらコロナも?流行っているようでございます。

クリスマスの頃に発熱していたわたくしと我が娘ですが…いやぁ、なかなかすっきり治らないものでございます。

娘はまだ咳が出て鼻声ですし、わたくしも痰がからんで完治とは言えない状態です。

しかしこれだけよくなりましたよ!

こうやってブログに手を付けようという気になれたのですから…。

もう、いつ何をしていたのかもはっきり覚えてないのですが…何してたんでしょうね、前回のブログを読んだら27日までの様子が確認できました。

 

humikisaragi.hatenablog.com

で28日〜30日は普通に仕事してたみたいですね。

もうあんまり記憶もないんだけど…。

Xで振り返ると…大宮へ新幹線で行くのか車で行くのかでもめてものすごく機嫌悪くなって精神状態やばくなってきたときだな。

そりゃ新幹線で行くのが時間もはっきりしていいんだけどさ、せっかくの大晦日に家族バラバラでしかも予算のかかる方を選択しろって言うなんて。

あなたはその余計にかかる分を節約しようとしたことはあるの!?って、ちょっと怒りモードになっちゃったんですよねー。

体には悪いことしかないことに毎晩毎晩お金使ってますよね!?って心の中はメラメラですよ。

あ、すみません、これだけじゃ意味わからないですよね、いや、でもあんまり詳しくは言えないので…。

そしてこんなケチ臭いことで頭悩ませていなきゃいけない現実にほんとに絶望してしまって、こんなはずじゃなかったのに…ってすごく情けなくなって、メンタル死んだんでしたわ…。

機嫌悪くなりすぎてこのへんから家族とほとんどしゃべってない。

そのまま大晦日に突入。

 

大晦日は、なんとわたしの一番上の姉の旦那さんのお父さんの葬儀。

どうすべきかわからないながらも話し合い、うちの母とわたしが二人だけで大宮まで行くことになりました(2番目の姉も行くべきなのか判断に迷った、結局向こうが家族葬にして近親者しか来ないというので実家住まいのわたしが母と行くことになった)。

新幹線なんだけど、さすがに大晦日で帰りの山形直通が取れなくて、仕方なく帰りは仙台経由。

風邪はだいぶ回復してきてると思ったんだけど、新幹線に持ち込んだ朝ごはん、思ったより食べられず。

お昼もお腹すかず。

結局朝ごはん用のパンだけで朝昼まかなってしまった。

山形新幹線でお昼に大宮に着いて、タクシーで家族葬ホールへ移動(4千円弱)。

母のブーツが活躍するの、久しぶりすぎて歩いてたら表面ボロボロ剥げてきちゃって、途中で靴屋でも見たいところだったんだけど知らない土地で店も見つけられず、葬儀の時間に間に合わなくなるといけないのであきらめ。

家族葬ホールへ着くと、姉一家と1年半ぶりの再会。

本当ならこの年末年始に山形へ帰省してくるはずだったのに。

 

都会の葬儀は、こちらの葬儀とは順番が違って火葬より告別式が先。

棺に入れられたご遺体の前で焼香をして、お経をあげてもらって、そのあとお供えされていた花輪を崩して棺の中を花で飾って。

それから火葬場へ移動して火葬となりました。

こちらでは棺に入れるためのお花は別で用意し、お供えしていただいた花輪は葬儀の間にほどいて参列者やお手伝いの人に持ち帰っていただきます。

あ、でもコロナ以降は一般焼香が着席ではなくなったから一般参列者には配らなくなったかな。

故人へ向けてのお花ですから、棺に入れて一緒に火葬してもらえるほうが目的を果たしているようなそんな気もします。

火葬している間は親族は軽食をいただきました。

わたしの地元ではおにぎりや漬物、玉こんにゃくなどが定番で(でもこれはコロナ前の話かも、この前のご近所さんの葬儀は手伝い人には立派なお弁当が出ました、精進料理ではなかった)、おやつ程度の雰囲気なのですが、今回はなんと生寿司が登場し、え、火葬している間に殺生しちゃうのか!とちょっと驚きました。

まぁ、20年前の当時の嫁ぎ先の葬儀でも、葬儀後の自宅でのお茶のみの時にお寿司取ってましたけどね…(うちの母がびっくりしてました)。

お寿司の他にはサンドイッチ。

食べたら食パンがカワカワで乾いちゃっててそれがちょっと残念でした。

ラップとかかけておかなかったのかなぁ。

で、火葬が終わると収骨。

骨壺へお骨を収めます。

うちの近所の斎場では、焼きたてホヤホヤの状態で収骨するような気がしたのですが、ここでは熱もすっかり冷め、しかも窯に入れた土台とは別の台(だいぶ小さい)に乗せられて運ばれてきました。

色々やり方が違うものです。

浦和の火葬場だったのですが、窯が12基もあってびっくりしました。

さすが都会です。

そして大晦日だというのに、他に3件もの利用者が。

まぁ人が亡くなるには盆も正月も年末も関係ないですからね…。

火葬が終わったのが予定より早かったおかげで、帰りの新幹線へは余裕を持って向かえました。

ただ大晦日だったからかタクシーが混んでたようで。

姉が配車アプリでタクシーを呼ぼうとしてくれたのですがうまくいかず、結局電話で呼んでくれてました。

予定通りの時間に火葬が終わってたらちょっと時間危なかったかもです。

しかし無事にタクシーにも乗せてもらえたので、大宮駅でお土産ものを物色する時間も取れました。

どこにお店があるのかわからず、行き当たりばったりで見つけた催事スペースで買ってきました。

母は1軒分買い忘れたようで、新幹線の改札通ったあと、ひとつ買い足しました。

普段新幹線なんて利用しないので、新幹線のホームの方にどんな感じのお店があるのかもわからないのです。

まず改札の通り方がわからないのですから(笑)

乗車券?特急券?なんで2枚あるの?って世界です(笑)

そんなふたりでもなんとか山形−大宮間を日帰りで往復できました。

帰りは大宮から仙台までノンストップの新幹線だったため、大宮〜仙台間より仙台〜山形間のほうが時間がかかるという逆転現象(笑)

そしてその仙山線の揺れること揺れること!

新幹線てすごいんだなと心の底から思いましたね。

以前新幹線に乗った時は猛吹雪のなかだったので、そんな天候でも猛スピードで走る新幹線に恐怖を覚えてきたのですが、今回は穏やかなお天気だったので気持ち的にもとても楽でした。

終日パンプスで行けましたしね。

山形駅までは主人に迎えに来てもらい、帰宅は10時半過ぎ。

娘とふたりで馬刺し(ほんとは東京から帰省した姉一家と食べるはずだったやつ〜)と年越しそばを食べていた主人、帰宅してからわたしと母の分も出してくれました。

疲れてたけど食べられた(そば好き)。

あとは寝るだけ。

いつもは楽しみにしている年越しの花火ももうどうでもいいし、紅白も見たいひとは出てこないし。

娘はSnowManの配信を見てたのかな?

わたしの機嫌はまだ直らないので、会話は少なめ。

新幹線の中なんかで、母から「娘とパパが仕事中のママからいつもはあるLINEないねとか喋ってたよ」なんて話も聞かされましたが、機嫌を損ねた理由は母にもお伝えしておりません。

馬刺しも出してくれたけど写真は撮らなかった(食べるには食べた)。

買って帰ったお土産も撮影しなかったし、そこまでの元気がなかったものと思われます。

そんなふうに2024年は幕を閉じました。

 

なんだかとても長文になってしまったので、続きは次回に持ち越したいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございます、お疲れ様でした。

次回も読んでいただけたら嬉しいです。

ではまた。