【原発賠償京都訴訟】大阪高裁が控訴審判決 避難指示区域外の避難相当性「2012年1月以降開始は認めぬ」と大幅後退 国の責任も〝6・17最高裁判決〟コピペでまたもや否定
- 2024/12/19
- 09:14
2011年3月の福島第一原発事故で福島県などから京都府に避難した56世帯171人が国や東電を相手取って起こした損害賠償請求訴訟「原発賠償京都訴訟」の控訴審。大阪高裁の牧賢二裁判長は18日午前、一審の京都地裁判決から大きく後退した判決を言い渡した。一審原告の多くが政府の避難指示が出ていない地域からの区域外避難者だが、「2011年12月31日までに動かないと避難者としてみなさない」と一審判決から短縮。また、被告国の責任についても「規制権限を行使しても過酷事故は防げなかった」と〝6・17最高裁判決〟を踏襲し、またしても否定した。2013年9月の提訴から11年が経過しているが、避難者側は「勝つまで闘う」と最高裁に上告する方針。

【国連特別報告者の勧告も一蹴】
やはり、「区域外避難の相当性」に関する高裁の判断を記事の中心に据えたい。
牧裁判長は、一審京都地裁判決と同じく区域外避難の相当性は認めた。しかし、「避難の相当性が認められるのは、原則として、平成23年(2011年)12月31日までに開始された避難とするのが相当であり、これを経過した後に開始された場合は、合理性がある避難と評価することは困難」とし、「平成24年(2012年)4月1日までに避難したこと」を認容の条件に挙げた一審京都地裁判決から後退した。
期限の根拠については「平成23年12月16日には、本件事故の収束が宣言されていたことや、その頃までには一審原告らの避難元の空間放射線量が低減し、住民らによる社会的活動も行われていたこと、福島県から京都府への避難者も、そのほとんどが同年中に避難をしていることなどに鑑みると、特段の事情がない限り、平成24年1月以降に新たに避難を開始する必要性は認め難く、その避難に相当性があるとはいえず、その後の避難は、本件事故と相当因果関係があるとはいえない」とした。
これでは、決断に時間を要した人や子どもの進学・進級を機に動いた人は切り捨てられ、救済されない。
一審原告側は、2018年12月に始まった控訴審で避難継続の相当性を立証するべく多くの主張・立証を尽くしたが、高裁はことごとく否定した。
「年1ミリシーベルトを超える空間放射線量が観測されたからといって、健康への影響を及ぼすおそれが高いものとして、避難の相当性を肯定することにはならない」
「土壌汚染による放射線の値は、空間放射線量の測定により補足することができるから、少なくとも外部被ばくに関しては空間放射線量で考慮すれば足りる」
「(文科省が2011年4月19日に示した)『福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方』はICRPの勧告にも沿うものであり、それ自体が不合理なものではない」
国連特別報告者からの勧告も一蹴した。
「(アナンド・グローバー氏やトウンジヤク氏の)勧告や指摘等は、政府に向けられた勧告や指摘等にとどまり、これらをもって、一審被告東電に対する損害賠償請求における避難及び避難継続の相当性が認められるものではない。この点を措くとしても、アナンド・グローバーは、放射線の健康影響を専門とする者でもない上、国連人権理事会に対して特別報告者として、同人の見解を報告したにとどまり、科学的な裏付けがあるものではなく、にわかに採用できるものではない」
「(セシリア・ヒメネス・ダマリー氏の勧告は)特別報告者の意見にとどまり、その意見が法的拘束力を持つものでない上、名宛人は日本国政府であり、その内容も抽象的なものにとどまり、これをもって、一審原告らの一審被告東電に対する請求の当否を決すべきものではない」
判決は「一審原告らの中には、避難の要否をめぐって親族間で意見が対立し、関係が険悪になったという者もあり、その点からも、避難の必要性が高いと考えるのが当時の避難元の状況に照らして一般的であったともいえない」、「福島県内からの避難者は、圧倒的に少数であった」、「早期の段階から、復興に向けて、学校の再開や住民らによる企業活動も再開されている」などと指摘。これらが「避難の相当性、避難継続の相当性を減殺すべき事情である」とも述べており、区域外避難者の救済に消極的な姿勢が伺えた。





①横断幕を手に大阪高裁に入廷する原告たち。被曝を避けるための避難は、限定的にしか認められなかった
②高裁判決は区域外避難の相当性は認めたものの限定的。全体的に救済に消極的な姿勢が伺える
③判決を受け、原告たちは大阪高裁周辺を練り歩いて抗議した
④原告団の共同代表として先頭に立って闘っている堀江みゆきさん(左)と福島敦子さん
⑤2021年5月に旅立った鈴木絹江さん(田村市から京都へ避難)の遺影を手にした原告の姿もあった。10年前の記事はこちら
【「『避難者』と認められず残念」】
「避難」ではなく「移動」や「移転」と判断されたケースとして、次のようなものがある(判決文の表現を要約)。
▼2011年5月26日、茨城県つくば市から京都に移動。しかし、避難元は本件原発から約172kmも離れている。周囲に、つくば市から自主的避難をした者はいなかったことなどを総合すると、移動が、自主的避難等対象区域からの避難と同等であるとかこれに準じるとまではいえない。避難元近隣の土壌においては、放射性物質濃度が高い値を示していた場所もあると認められるが、これにより、直ちに内部被ばく等を生じて、健康に影響を及ぼすおそれがあるとはいえない。
▼福島県大沼郡会津美里町から京都市に移転。しかし、移転の時期は2011年12月以降。避難元は、本件原発から約105kmも離れており、移転の時期までには空間放射線量も相当程度減少していたと考えられる
▼2012年2月4日、千葉県松戸市から三重県に避難し、愛知県を経て2013年4月8日、京都府に移転した。しかし、避難元は、本件原発から約205kmも離れている上、避難を開始したのは、本件事故の収束宣言がされた2011年12月以降であり、かつ、本件事故から約11か月を経過した2012年2月。移動が、客観的にみて本件事故による放射線の影響を回避するためであったとは認め難い。
ある原告は2012年1月27日、茨城県北茨城市から京都に避難した。しかし「2011年12月以降である」として、判決では「避難」ではなく「移転」と認定された。避難元は原発からの距離が約67kmで、判決では「自主的避難等対象区域の多くが入る半径80km圏と同程度であって、自主的避難等対象区域である福島県いわき市とも隣接する」と言及しているが、最終的に「避難の相当性を欠くといわざるを得ず、その損害は本件事故と相当因果関係のある損害であるとはいえない」と判断された。
「今回、認容されたのは、事故発生直後の『精神的損害』だけです。いわき市に隣接しているので、同程度の金額(数十万円)でした。避難しなければ、そして裁判に加わらなければ精神的苦痛も認められないので、それだけは良かったと思います。『福島じゃないのに文句を言ってはいけない』と思わされてきたので、それだけは良かった。でも、判決では『避難者』として認められなかったので残念です。まさか避難の相当性まで厳しい判決になるとは思っていませんでした………」
弁護団の田辺保雄弁護士は記者会見で「他の類似訴訟と足を並べるように避難相当性を認める期間を後退させた。控訴審では国際人権上の主張を厚くしたが、その点に関して表面的になぞったような判断しかなされていない。証拠の読み込みがなされていない。低線量被曝の健康影響についても主張の整理すらされていない。裁判所がどう判断するのか期待していたが、あえて触れなかったのではないかと思わざるを得ない。不当な判決だ」と述べた。
白土哲也弁護士も「徹頭徹尾、中間指針に則って損害を認定している。控訴審での立証を何ら考慮していない。私たちの声を聴いていない判決だ。2012年4月から2011年12月まで4カ月短縮したことは、本当に血も涙もない。新学期で動いた避難者のことも何ら考慮されていない」と怒りをこめて評価した。





①②③原告や支援者たちは国の責任を認めるよう求めてきたが………
④原発推進に回帰している国の動きに合わせるように、大阪高裁の牧裁判長は国の責任を否定した
⑤国の責任を否定した〝6・17最高裁判決〟と読み比べて欲しい
【「法律家の誇りあるのか?」】
国の責任については、もはや多くを語る必要はあるまい。判決文を読み比べれば分かるように、まさに〝6・17最高裁判決〟のコピペ。原発推進に回帰する国に抗い、良心に従った司法判断をすることを放棄したと言わざるを得ない。
元裁判官で2014年5月、福井地裁で関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を言い渡した樋口英明さんは、次のようなコメントを寄せた。
「それにしても高裁の裁判官たちの劣化には目もあてられません。多数意見と三浦意見との優劣が判断できないとは…。優劣が判断できる司法修習生に判決を書いてもらった方がいいかもしれない。彼らの方がまだ法律家として純粋に考えることができるのではないかと思っています。最高裁の多数意見に従う高裁の裁判官の胸の内は知る由もないのですが、少なくとも法律家としての誇りがあるのなら、最高裁に従っておけば良いとは決して思わないはずです。何のために裁判官になったのかを自らに問いかけて欲しいと思います。『6・17最高裁判決』の罪は重たい。早急に正す必要があると思っています」
原告たちは法廷を出てすぐ、廊下で最高裁への上告を決めたという。
閉廷後の記者会見で、原告団共同代表の福島敦子さんは「私たちは相当、がんばってここまで来ました。やれることはたくさんやってきましたが、壁は厚かった。でも、最後まで闘い続けます」と語った。さらに「『避難の権利』と同時に、国や電力会社には『避難させる義務』がある。1日も早く施策の転換につなげないといけない。能登半島もそうですが、『避難の権利』の問題は、みなさんの足元にもじわじわと拡がっています」と指摘した。
やはり共同代表の堀江みゆきさんも「どんなことをしたら勝てるのかとも思いますが、上告してがんばります」と話した。
女性原告は「これは裁判だけの問題ではありません。この国のあり方が問われる問題です。国のあり方を変えないと変わらない。踏みにじられた自分の権利を守るのはもちろん、みんなの権利を守るためにも、これからも闘っていきます」とマイクを握った。
別の女性原告は「震災当時、1歳8カ月だった長男が15歳になりました。『左から来ると思っていた津波が右から来たから防げなかったんだよ』なんて、中学生の息子でも分かるようなおかしな判決。帰宅したら、そのまま伝えたい。子どもたちの未来により良い社会を残していくためにも、母親としてあきらめない姿を見せていきたい」と話した。
裁判闘争の苦しさを語った女性原告もいた。
「裁判を続けていることを人に言えません。『いつまでやってるの?』と言われることもあります。苦しいです。誰も責任をとらない。それで良いんですか?絶対におかしい。原発の問題は福島ローカルの問題ではありません。田舎に原発を押しつけたのは誰ですか?都市に原発を建てないのはなぜですか?田舎の問題として片付けられるからですよね。ぜひメディアも報道し続けて欲しいです」
20代の女性原告は大粒の涙を流した。
「裁判が始まったのが11歳の頃。当時は幼くて、なぜ避難したのかも分からず、母に連れられるままに集会などに参加していました。そんな私の代わりに原告のみなさんががんばってくれた。感謝でいっぱいです」
(了)

【国連特別報告者の勧告も一蹴】
やはり、「区域外避難の相当性」に関する高裁の判断を記事の中心に据えたい。
牧裁判長は、一審京都地裁判決と同じく区域外避難の相当性は認めた。しかし、「避難の相当性が認められるのは、原則として、平成23年(2011年)12月31日までに開始された避難とするのが相当であり、これを経過した後に開始された場合は、合理性がある避難と評価することは困難」とし、「平成24年(2012年)4月1日までに避難したこと」を認容の条件に挙げた一審京都地裁判決から後退した。
期限の根拠については「平成23年12月16日には、本件事故の収束が宣言されていたことや、その頃までには一審原告らの避難元の空間放射線量が低減し、住民らによる社会的活動も行われていたこと、福島県から京都府への避難者も、そのほとんどが同年中に避難をしていることなどに鑑みると、特段の事情がない限り、平成24年1月以降に新たに避難を開始する必要性は認め難く、その避難に相当性があるとはいえず、その後の避難は、本件事故と相当因果関係があるとはいえない」とした。
これでは、決断に時間を要した人や子どもの進学・進級を機に動いた人は切り捨てられ、救済されない。
一審原告側は、2018年12月に始まった控訴審で避難継続の相当性を立証するべく多くの主張・立証を尽くしたが、高裁はことごとく否定した。
「年1ミリシーベルトを超える空間放射線量が観測されたからといって、健康への影響を及ぼすおそれが高いものとして、避難の相当性を肯定することにはならない」
「土壌汚染による放射線の値は、空間放射線量の測定により補足することができるから、少なくとも外部被ばくに関しては空間放射線量で考慮すれば足りる」
「(文科省が2011年4月19日に示した)『福島県内の学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方』はICRPの勧告にも沿うものであり、それ自体が不合理なものではない」
国連特別報告者からの勧告も一蹴した。
「(アナンド・グローバー氏やトウンジヤク氏の)勧告や指摘等は、政府に向けられた勧告や指摘等にとどまり、これらをもって、一審被告東電に対する損害賠償請求における避難及び避難継続の相当性が認められるものではない。この点を措くとしても、アナンド・グローバーは、放射線の健康影響を専門とする者でもない上、国連人権理事会に対して特別報告者として、同人の見解を報告したにとどまり、科学的な裏付けがあるものではなく、にわかに採用できるものではない」
「(セシリア・ヒメネス・ダマリー氏の勧告は)特別報告者の意見にとどまり、その意見が法的拘束力を持つものでない上、名宛人は日本国政府であり、その内容も抽象的なものにとどまり、これをもって、一審原告らの一審被告東電に対する請求の当否を決すべきものではない」
判決は「一審原告らの中には、避難の要否をめぐって親族間で意見が対立し、関係が険悪になったという者もあり、その点からも、避難の必要性が高いと考えるのが当時の避難元の状況に照らして一般的であったともいえない」、「福島県内からの避難者は、圧倒的に少数であった」、「早期の段階から、復興に向けて、学校の再開や住民らによる企業活動も再開されている」などと指摘。これらが「避難の相当性、避難継続の相当性を減殺すべき事情である」とも述べており、区域外避難者の救済に消極的な姿勢が伺えた。





①横断幕を手に大阪高裁に入廷する原告たち。被曝を避けるための避難は、限定的にしか認められなかった
②高裁判決は区域外避難の相当性は認めたものの限定的。全体的に救済に消極的な姿勢が伺える
③判決を受け、原告たちは大阪高裁周辺を練り歩いて抗議した
④原告団の共同代表として先頭に立って闘っている堀江みゆきさん(左)と福島敦子さん
⑤2021年5月に旅立った鈴木絹江さん(田村市から京都へ避難)の遺影を手にした原告の姿もあった。10年前の記事はこちら
【「『避難者』と認められず残念」】
「避難」ではなく「移動」や「移転」と判断されたケースとして、次のようなものがある(判決文の表現を要約)。
▼2011年5月26日、茨城県つくば市から京都に移動。しかし、避難元は本件原発から約172kmも離れている。周囲に、つくば市から自主的避難をした者はいなかったことなどを総合すると、移動が、自主的避難等対象区域からの避難と同等であるとかこれに準じるとまではいえない。避難元近隣の土壌においては、放射性物質濃度が高い値を示していた場所もあると認められるが、これにより、直ちに内部被ばく等を生じて、健康に影響を及ぼすおそれがあるとはいえない。
▼福島県大沼郡会津美里町から京都市に移転。しかし、移転の時期は2011年12月以降。避難元は、本件原発から約105kmも離れており、移転の時期までには空間放射線量も相当程度減少していたと考えられる
▼2012年2月4日、千葉県松戸市から三重県に避難し、愛知県を経て2013年4月8日、京都府に移転した。しかし、避難元は、本件原発から約205kmも離れている上、避難を開始したのは、本件事故の収束宣言がされた2011年12月以降であり、かつ、本件事故から約11か月を経過した2012年2月。移動が、客観的にみて本件事故による放射線の影響を回避するためであったとは認め難い。
ある原告は2012年1月27日、茨城県北茨城市から京都に避難した。しかし「2011年12月以降である」として、判決では「避難」ではなく「移転」と認定された。避難元は原発からの距離が約67kmで、判決では「自主的避難等対象区域の多くが入る半径80km圏と同程度であって、自主的避難等対象区域である福島県いわき市とも隣接する」と言及しているが、最終的に「避難の相当性を欠くといわざるを得ず、その損害は本件事故と相当因果関係のある損害であるとはいえない」と判断された。
「今回、認容されたのは、事故発生直後の『精神的損害』だけです。いわき市に隣接しているので、同程度の金額(数十万円)でした。避難しなければ、そして裁判に加わらなければ精神的苦痛も認められないので、それだけは良かったと思います。『福島じゃないのに文句を言ってはいけない』と思わされてきたので、それだけは良かった。でも、判決では『避難者』として認められなかったので残念です。まさか避難の相当性まで厳しい判決になるとは思っていませんでした………」
弁護団の田辺保雄弁護士は記者会見で「他の類似訴訟と足を並べるように避難相当性を認める期間を後退させた。控訴審では国際人権上の主張を厚くしたが、その点に関して表面的になぞったような判断しかなされていない。証拠の読み込みがなされていない。低線量被曝の健康影響についても主張の整理すらされていない。裁判所がどう判断するのか期待していたが、あえて触れなかったのではないかと思わざるを得ない。不当な判決だ」と述べた。
白土哲也弁護士も「徹頭徹尾、中間指針に則って損害を認定している。控訴審での立証を何ら考慮していない。私たちの声を聴いていない判決だ。2012年4月から2011年12月まで4カ月短縮したことは、本当に血も涙もない。新学期で動いた避難者のことも何ら考慮されていない」と怒りをこめて評価した。





①②③原告や支援者たちは国の責任を認めるよう求めてきたが………
④原発推進に回帰している国の動きに合わせるように、大阪高裁の牧裁判長は国の責任を否定した
⑤国の責任を否定した〝6・17最高裁判決〟と読み比べて欲しい
【「法律家の誇りあるのか?」】
国の責任については、もはや多くを語る必要はあるまい。判決文を読み比べれば分かるように、まさに〝6・17最高裁判決〟のコピペ。原発推進に回帰する国に抗い、良心に従った司法判断をすることを放棄したと言わざるを得ない。
元裁判官で2014年5月、福井地裁で関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を言い渡した樋口英明さんは、次のようなコメントを寄せた。
「それにしても高裁の裁判官たちの劣化には目もあてられません。多数意見と三浦意見との優劣が判断できないとは…。優劣が判断できる司法修習生に判決を書いてもらった方がいいかもしれない。彼らの方がまだ法律家として純粋に考えることができるのではないかと思っています。最高裁の多数意見に従う高裁の裁判官の胸の内は知る由もないのですが、少なくとも法律家としての誇りがあるのなら、最高裁に従っておけば良いとは決して思わないはずです。何のために裁判官になったのかを自らに問いかけて欲しいと思います。『6・17最高裁判決』の罪は重たい。早急に正す必要があると思っています」
原告たちは法廷を出てすぐ、廊下で最高裁への上告を決めたという。
閉廷後の記者会見で、原告団共同代表の福島敦子さんは「私たちは相当、がんばってここまで来ました。やれることはたくさんやってきましたが、壁は厚かった。でも、最後まで闘い続けます」と語った。さらに「『避難の権利』と同時に、国や電力会社には『避難させる義務』がある。1日も早く施策の転換につなげないといけない。能登半島もそうですが、『避難の権利』の問題は、みなさんの足元にもじわじわと拡がっています」と指摘した。
やはり共同代表の堀江みゆきさんも「どんなことをしたら勝てるのかとも思いますが、上告してがんばります」と話した。
女性原告は「これは裁判だけの問題ではありません。この国のあり方が問われる問題です。国のあり方を変えないと変わらない。踏みにじられた自分の権利を守るのはもちろん、みんなの権利を守るためにも、これからも闘っていきます」とマイクを握った。
別の女性原告は「震災当時、1歳8カ月だった長男が15歳になりました。『左から来ると思っていた津波が右から来たから防げなかったんだよ』なんて、中学生の息子でも分かるようなおかしな判決。帰宅したら、そのまま伝えたい。子どもたちの未来により良い社会を残していくためにも、母親としてあきらめない姿を見せていきたい」と話した。
裁判闘争の苦しさを語った女性原告もいた。
「裁判を続けていることを人に言えません。『いつまでやってるの?』と言われることもあります。苦しいです。誰も責任をとらない。それで良いんですか?絶対におかしい。原発の問題は福島ローカルの問題ではありません。田舎に原発を押しつけたのは誰ですか?都市に原発を建てないのはなぜですか?田舎の問題として片付けられるからですよね。ぜひメディアも報道し続けて欲しいです」
20代の女性原告は大粒の涙を流した。
「裁判が始まったのが11歳の頃。当時は幼くて、なぜ避難したのかも分からず、母に連れられるままに集会などに参加していました。そんな私の代わりに原告のみなさんががんばってくれた。感謝でいっぱいです」
(了)
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