【浪江原発訴訟】和解成立から8カ月余、東電が原告らに謝罪 深々と頭下げるも社長不在、法廷での度重なる愚弄や被害全否定に浪江町民からは「割り切れぬ」と怒りの声
- 2024/12/01
- 06:04
原発事故後の集団ADRで東京電力が和解仲介案(慰謝料一律増額)を6回にわたって拒否し続けたことで、浪江町民が国や東電を相手取って起こさざるを得なかった「浪江原発訴訟」。今年3月に第1陣の和解が成立したことを受け、被告東電は11月30日午後、町内で原告だった町民たちに謝罪した。だが小早川智明社長は出席せず、福島復興本社の秋本展秀代表が社長名の謝罪文を代読する形での謝罪。6年間の法廷闘争では東電代理人弁護士が一貫して町民たちの訴える被害を否定し、時には賠償金を不正に受け取ったかのような言葉を浴びせるなど被害者を愚弄する言動が続いただけに、出席した町民たちからは改めて怒りの声があがった。

【謝罪文の裏にある本音とは…】
「浪江原発訴訟原告のみなさまへの謝罪の会」に出席したのは秋本代表のほか、弓岡哲哉副代表、福島原子力補償相談室室長代理など計4人。2人の代理人弁護士も同席した。
福島地裁の小川理佳裁判長が今年2月21日付で提示した和解案(3月14日に成立)では「被告東京電力は、原告らに対し、被告東京電力が万が一にも過酷事故を起こしてはならない原子力事業者として、本件事故を防ぐべき責任を負っていたにもかかわらず、本件事故を起こしたことについて深く反省するとともに、本件事故によって当該原告らに取り返しのつかない損害が生じたことにつき、謝罪する」とあり、和解成立から8カ月が経って実行された形だ。
秋本代表は謝罪文代読に先立ち、次のように述べた。
「当社の起こした事故により、長年にわたりみなさまの大切に育まれたふるさと浪江町からの突然の避難を余儀なくされ、さらには多くの不安を抱えながら避難生活が続いたことによって、大変なご迷惑とご苦労、混乱を招いたことに対し、心から深く謝罪する。大変申し訳ございません」
「みなさまの生活を一変させるほどの大きな事故を起こしたことについて悔恨の念に堪えない。その責任を痛感している。事故からの13年余りが経過致したが、何年経ってもご迷惑をおかけしている、申し訳なさを感じているところだ。当社は事故を起こした責任の重さを改めて自覚するとともに、二度とあのような事故を起こさないということを固く誓い、福島復興への責任を果たすべく全力で取り組む」
秋本代表は何度も頭を深く下げ、そのたびに同席した社員も頭を下げた。「謝罪の会」は1時間ほど行われたが、社員たちはイスが用意されず、立ち続けた。原告団長の鈴木正一さんに謝罪文を手渡し、鈴木団長から要請書を受け取る場面でも、原告たちが戸惑うほど頭を下げ続けた。謝罪文には美辞麗句が並んだ。
だがそれは、裁判所の指示があったからだ。高齢者が中心で早期解決を願う原告団が、判決として残らない和解案を受け入れたからだ。町民たちの苦渋の決断があったからだ。そもそも、集団ADRでの和解仲介案東電がを6回も拒まなければ、2018年11月から6年にわたる裁判など必要なかった。東電がごねている間に900人もの町民が天国に旅立った。深々と頭を下げる執行役員の背後には、わずか5万円の精神的慰謝料増額さえ拒み続けた東電の本音が横たわっているのだ。



(上)東電・小早川智明社長名の謝罪文。牙をむき続けた法廷から一転して「心からの謝罪」を示した
(中)東電はホームページで「3つの誓い」を公表しているが、実際には浪江町民の集団ADRで和解仲介案を6回も拒否した
(下)何度も頭を下げ、謝罪文を代読した東電・福島復興本社の秋本展秀代表。常務執行役の年収は2000万円をくだらないとみられる
【「人間性蹂躙した尋問」への怒り】
だからこそ、原告団長の鈴木正一さんは秋本代表にぶつけるように語気を強めた。
「法廷での意見陳述、本人尋問で原告が相対したのは、人道にもとる、人間性を蹂躙した尋問をたびたび繰り返した東京電力の代理人弁護士でした!これが人間の言うことか、と激怒したことを今でも忘れられません!」
本人尋問では、東電の代理人弁護士は「これまでに損害賠償として被告東電からいくらの支払いを受けていますか?」、「東電資料によれば、あなたの世帯では総額約××××万円の支払いを受けていますが、覚えていますか?」などと既に支払った賠償金を1円単位まで口にし、「これだけ受け取っているのに足りないのか」とでも言わんばかりの反対尋問を繰り返した。
町の広報紙に掲載されたインタビュー記事を持ち出し、そこで原告が〝前向きな言葉〟を口にしているとして「避難先で『心から笑うことがほとんどない』、『疎外感や孤独感がある』というようなことはないのでは?」と迫ったこともあった。
避難先でマンションを購入した原告には「首都圏で初めて、顔認証システムが導入されたマンションですね?」、「東電から支払われた賠償金で購入されたのでしょうか?」などと愚弄する言葉を投げた。
原告たちの被曝不安を全否定し、避難先での苦労に想いを寄せることなどせず、「できることはやってきた」と被害者を見下す言動を取り続けたのが加害企業・東電だった。その東電がいま「心から深く謝罪する」、「事故を起こした責任の重さを改めて自覚する」と深々と頭を下げている。この日は、法廷に姿を見せなかった東電役員に想いを伝えたいと4人の原告が意見を述べたが、厳しい言葉が並んだのは当然だった。
「10年前に東電が集団ADRの和解に応じて追加賠償を進めていれば、もっと多くの町民が存命のうちに適正な賠償を受けることができた」(女性原告)
「謝罪集会に東電社長が出席していないことについて強い不満と憤りがある。原発事故を起こしたうえ、集団ADRの和解を拒否し、その後に続く長い訴訟で私たち被害者に大きな負担を強いてきたことを真摯に反省しているのであれば、社長自らが出席して謝罪し、無念のうちに亡くなった約900人の浪江町民に対して哀悼の意を示すべきだった」(男性原告)
20代の女性原告は、涙ながらに訴えた。
「私の祖父母を含め、町に帰れないまま亡くなっていった人がたくさんいること、私のように今は別の場所で普通に暮らしている人でも故郷を出て行かざるを得ない苦しみが間違いなくあったこと、人生において味わう必要のなかった『故郷を喪失する』というつらさはこの先、きれいさっぱり消えるものではないということを覚えていてほしい」



(上)原告団長の鈴木正一さんは「人間性を蹂躙した反対尋問。これが人間の言うことか、と激怒したことを今でも忘れられない」と語気を強めた
(中)20代の女性原告は、涙を流しながら「祖父母を含め、町に帰れないまま亡くなっていった人がたくさんいることを忘れないで」と訴えた
(下)東電社員たちは約1時間、イスに座らず立ったままだった。だが、集団ADRや法廷では町民に牙をむき続けた=常磐道・浪江インターチェンジ近くの「浪江町防災交流センター」
【「誰も納得などしていない」】
鈴木団長は、こうも言った。
「言葉だけの、考えるだけの『被災者に寄り添う』は、もうたくさんです!」
鈴木団長や4人の原告たちの言葉を受けて、秋本代表は再びマイクを握った。
「みなさまの言葉の隅々に出てくる本当に切実な想い、しっかりと受け止めさせていただいている」
「当社事故によって損害が継続する限りは賠償させていただくという方針には、いささかも変わりない。『最後の1人まで賠償を貫徹する』という考えに基づき、引き続き迅速かつ適切な賠償に取り組む」
「福島復興本社代表というだけでなく、本社の執行役員としてしっかりと受け止めさせていただく。社長の小早川には私から確実に伝えさせていただくことを約束したい」
東電側は最後まで丁重な言葉と態度で原告たちに頭を下げ続けた。だが、原告たちの怒りと不信感は簡単には払拭されない。それだけのことを東電はしてきたからだ。
ある男性原告は「こんなものは形式ですよ」と吐き捨てるように言った。
「正直なところ、こんなところに来たいとも思わない。みんな割り切れないんじゃないですか。納得している人なんていないですよ。社長が出てこないこと自体、謝る気なんかさらさらないってことでしょ。謝罪文だって部下が当たり障りのないように作ったんだろうし。和解金は振り込まれたけど1円も使っていない。何か言われたら返してやるつもりだよ」
別の男性原告は「今日は、あくまでも集団訴訟に参加した原告に対する謝罪。参加しなかった浪江町民の方が多いのに、その方々に対する謝罪はどうなるのか。まったく謝罪していない。もっと言えば、福島県民や福島以外の人々に対する謝罪もするべきだろう」と指摘した。
集団ADRの先頭に立った馬場有町長は、提訴5カ月前の2018年6月27日に亡くなった。原子力損害賠償紛争解決センターが提示した和解仲介案(精神的慰謝料の一律5万円増額)を、2016年2月に改めて東電が拒否した際には、「いまさらコメントはありません」との町長コメントを発表した。その14文字に込められた想いを東電はどれだけ理解しているのか。甚だ疑問だ。
なお、もう一方の被告国については、原告が訴えを取り下げている。これも苦渋の決断だった。
「『原告が訴えを取り下げるのであれば、和解に応じる』という条件を国側が最後まで譲らなかった。早期解決ということから、取り下げざるを得なかった」(弁護団事務局長・濱野泰嘉弁護士)
これが、原発事故加害者の一貫した姿勢なのだ。しかし、判決文は残らず、加害企業が謝罪したという事実だけが残る。被害町民が割り切れないのも当然のことなのだ。
(了)

【謝罪文の裏にある本音とは…】
「浪江原発訴訟原告のみなさまへの謝罪の会」に出席したのは秋本代表のほか、弓岡哲哉副代表、福島原子力補償相談室室長代理など計4人。2人の代理人弁護士も同席した。
福島地裁の小川理佳裁判長が今年2月21日付で提示した和解案(3月14日に成立)では「被告東京電力は、原告らに対し、被告東京電力が万が一にも過酷事故を起こしてはならない原子力事業者として、本件事故を防ぐべき責任を負っていたにもかかわらず、本件事故を起こしたことについて深く反省するとともに、本件事故によって当該原告らに取り返しのつかない損害が生じたことにつき、謝罪する」とあり、和解成立から8カ月が経って実行された形だ。
秋本代表は謝罪文代読に先立ち、次のように述べた。
「当社の起こした事故により、長年にわたりみなさまの大切に育まれたふるさと浪江町からの突然の避難を余儀なくされ、さらには多くの不安を抱えながら避難生活が続いたことによって、大変なご迷惑とご苦労、混乱を招いたことに対し、心から深く謝罪する。大変申し訳ございません」
「みなさまの生活を一変させるほどの大きな事故を起こしたことについて悔恨の念に堪えない。その責任を痛感している。事故からの13年余りが経過致したが、何年経ってもご迷惑をおかけしている、申し訳なさを感じているところだ。当社は事故を起こした責任の重さを改めて自覚するとともに、二度とあのような事故を起こさないということを固く誓い、福島復興への責任を果たすべく全力で取り組む」
秋本代表は何度も頭を深く下げ、そのたびに同席した社員も頭を下げた。「謝罪の会」は1時間ほど行われたが、社員たちはイスが用意されず、立ち続けた。原告団長の鈴木正一さんに謝罪文を手渡し、鈴木団長から要請書を受け取る場面でも、原告たちが戸惑うほど頭を下げ続けた。謝罪文には美辞麗句が並んだ。
だがそれは、裁判所の指示があったからだ。高齢者が中心で早期解決を願う原告団が、判決として残らない和解案を受け入れたからだ。町民たちの苦渋の決断があったからだ。そもそも、集団ADRでの和解仲介案東電がを6回も拒まなければ、2018年11月から6年にわたる裁判など必要なかった。東電がごねている間に900人もの町民が天国に旅立った。深々と頭を下げる執行役員の背後には、わずか5万円の精神的慰謝料増額さえ拒み続けた東電の本音が横たわっているのだ。



(上)東電・小早川智明社長名の謝罪文。牙をむき続けた法廷から一転して「心からの謝罪」を示した
(中)東電はホームページで「3つの誓い」を公表しているが、実際には浪江町民の集団ADRで和解仲介案を6回も拒否した
(下)何度も頭を下げ、謝罪文を代読した東電・福島復興本社の秋本展秀代表。常務執行役の年収は2000万円をくだらないとみられる
【「人間性蹂躙した尋問」への怒り】
だからこそ、原告団長の鈴木正一さんは秋本代表にぶつけるように語気を強めた。
「法廷での意見陳述、本人尋問で原告が相対したのは、人道にもとる、人間性を蹂躙した尋問をたびたび繰り返した東京電力の代理人弁護士でした!これが人間の言うことか、と激怒したことを今でも忘れられません!」
本人尋問では、東電の代理人弁護士は「これまでに損害賠償として被告東電からいくらの支払いを受けていますか?」、「東電資料によれば、あなたの世帯では総額約××××万円の支払いを受けていますが、覚えていますか?」などと既に支払った賠償金を1円単位まで口にし、「これだけ受け取っているのに足りないのか」とでも言わんばかりの反対尋問を繰り返した。
町の広報紙に掲載されたインタビュー記事を持ち出し、そこで原告が〝前向きな言葉〟を口にしているとして「避難先で『心から笑うことがほとんどない』、『疎外感や孤独感がある』というようなことはないのでは?」と迫ったこともあった。
避難先でマンションを購入した原告には「首都圏で初めて、顔認証システムが導入されたマンションですね?」、「東電から支払われた賠償金で購入されたのでしょうか?」などと愚弄する言葉を投げた。
原告たちの被曝不安を全否定し、避難先での苦労に想いを寄せることなどせず、「できることはやってきた」と被害者を見下す言動を取り続けたのが加害企業・東電だった。その東電がいま「心から深く謝罪する」、「事故を起こした責任の重さを改めて自覚する」と深々と頭を下げている。この日は、法廷に姿を見せなかった東電役員に想いを伝えたいと4人の原告が意見を述べたが、厳しい言葉が並んだのは当然だった。
「10年前に東電が集団ADRの和解に応じて追加賠償を進めていれば、もっと多くの町民が存命のうちに適正な賠償を受けることができた」(女性原告)
「謝罪集会に東電社長が出席していないことについて強い不満と憤りがある。原発事故を起こしたうえ、集団ADRの和解を拒否し、その後に続く長い訴訟で私たち被害者に大きな負担を強いてきたことを真摯に反省しているのであれば、社長自らが出席して謝罪し、無念のうちに亡くなった約900人の浪江町民に対して哀悼の意を示すべきだった」(男性原告)
20代の女性原告は、涙ながらに訴えた。
「私の祖父母を含め、町に帰れないまま亡くなっていった人がたくさんいること、私のように今は別の場所で普通に暮らしている人でも故郷を出て行かざるを得ない苦しみが間違いなくあったこと、人生において味わう必要のなかった『故郷を喪失する』というつらさはこの先、きれいさっぱり消えるものではないということを覚えていてほしい」



(上)原告団長の鈴木正一さんは「人間性を蹂躙した反対尋問。これが人間の言うことか、と激怒したことを今でも忘れられない」と語気を強めた
(中)20代の女性原告は、涙を流しながら「祖父母を含め、町に帰れないまま亡くなっていった人がたくさんいることを忘れないで」と訴えた
(下)東電社員たちは約1時間、イスに座らず立ったままだった。だが、集団ADRや法廷では町民に牙をむき続けた=常磐道・浪江インターチェンジ近くの「浪江町防災交流センター」
【「誰も納得などしていない」】
鈴木団長は、こうも言った。
「言葉だけの、考えるだけの『被災者に寄り添う』は、もうたくさんです!」
鈴木団長や4人の原告たちの言葉を受けて、秋本代表は再びマイクを握った。
「みなさまの言葉の隅々に出てくる本当に切実な想い、しっかりと受け止めさせていただいている」
「当社事故によって損害が継続する限りは賠償させていただくという方針には、いささかも変わりない。『最後の1人まで賠償を貫徹する』という考えに基づき、引き続き迅速かつ適切な賠償に取り組む」
「福島復興本社代表というだけでなく、本社の執行役員としてしっかりと受け止めさせていただく。社長の小早川には私から確実に伝えさせていただくことを約束したい」
東電側は最後まで丁重な言葉と態度で原告たちに頭を下げ続けた。だが、原告たちの怒りと不信感は簡単には払拭されない。それだけのことを東電はしてきたからだ。
ある男性原告は「こんなものは形式ですよ」と吐き捨てるように言った。
「正直なところ、こんなところに来たいとも思わない。みんな割り切れないんじゃないですか。納得している人なんていないですよ。社長が出てこないこと自体、謝る気なんかさらさらないってことでしょ。謝罪文だって部下が当たり障りのないように作ったんだろうし。和解金は振り込まれたけど1円も使っていない。何か言われたら返してやるつもりだよ」
別の男性原告は「今日は、あくまでも集団訴訟に参加した原告に対する謝罪。参加しなかった浪江町民の方が多いのに、その方々に対する謝罪はどうなるのか。まったく謝罪していない。もっと言えば、福島県民や福島以外の人々に対する謝罪もするべきだろう」と指摘した。
集団ADRの先頭に立った馬場有町長は、提訴5カ月前の2018年6月27日に亡くなった。原子力損害賠償紛争解決センターが提示した和解仲介案(精神的慰謝料の一律5万円増額)を、2016年2月に改めて東電が拒否した際には、「いまさらコメントはありません」との町長コメントを発表した。その14文字に込められた想いを東電はどれだけ理解しているのか。甚だ疑問だ。
なお、もう一方の被告国については、原告が訴えを取り下げている。これも苦渋の決断だった。
「『原告が訴えを取り下げるのであれば、和解に応じる』という条件を国側が最後まで譲らなかった。早期解決ということから、取り下げざるを得なかった」(弁護団事務局長・濱野泰嘉弁護士)
これが、原発事故加害者の一貫した姿勢なのだ。しかし、判決文は残らず、加害企業が謝罪したという事実だけが残る。被害町民が割り切れないのも当然のことなのだ。
(了)