胸の鏡よ 心濁すな

日記のように綴るブログ

先生へ。

先生、お元気でしょうか。向こうの世界はどんな感じなのでしょうか?

 

私は、今年の鏡開きの日に男の子が産まれました。先生にも報告しましたよね。『2人に似てる!凄い凄い!遺伝子凄い!彼にこの世界へようこそとお伝えください』とLINEがきました。彼という言葉を使ったところが、なんとも先生らしくて、なんかやっぱ小論文の先生やなあと入院中ベッドの上で思っていました。

赤ちゃんと言う言葉を使わず、“彼”と1人の人間として尊重するところ。先生らしすぎます。

 

結構まあまあ文章を褒められることがあるのですが、それは先生の小論文の講義のおかげ。私が心の傷を癒したり、持病で頭がごちゃごちゃになる時に文章にすると、気持ちが整理されて、こんがらがっていた糸が解けて一本の糸になり答えが出てくる快感。

 

色々と文章スキルで生き延びてきたところがあります。

 

そして先生の存在にも。本当に父親みたいに接してくれました。先生は子供がいない分、教え子を我が子のように親心を感じる接し方と指導でした。

 

なんでも言い合える中でした。夫から先生と教え子の関係ではない、友達みたいだとも言われました。

 

晩年は先生の弱音や愚痴も聞く仲に。先生の奥さんから、仲良すぎて少し嫉妬される関係にも。全然やましいことはしてないのですが。

 

恋愛感情というより、父親のような友達でした。パパ活ではないんですが。奢ってもらったこともないし、本当なんでも話せる関係でした。

 

先生の優しさですよね。通院してたのは知ってたけど、病名濁されてて癌とは知りませんでした。

闘病中なのに、電話かけて出なくて。そしたらインスタのコメントくれたりして気を遣ってくれて。数日前先生が亡くなったのを知りました。2ヶ月前に亡くなってたなんて。

奥さんから、最後は苦しまずに亡くなりましたとのこと。

 

闘病中に空気読めないことしたなあ。

病気隠すって、優しさだなあ。

辛いなあ。息子が3歳になったら、長野おいでって言ってたじゃないですか。

心残りは息子を抱いてくれなかったことだなあ。

もっと先生と色んなこと話したかった。

先生の昔話を聞くのが好きでした。

 

私の親より若いのに、親より先に向こうに行っちゃうなんて。

 

産後メンタルぼろぼろな時に、先生の死が重なりましたなあ。

先生に、重なりやすい人生だねえと笑われたけど、先生の死も重なるなんて。

 

死にはしませんよ。だって未来の塊の息子を抱いてますもん。まだまだハイハイができるかできないかくらいですもん。

死ねないという言葉の方があってるかもしれません。

 

1番大事な命がきたら、凄く存在感の大きい親しい命が去る年なんですねえ。

 

バトンタッチみたいな。

 

先生がくれた沢山の金言がずっと最近脳に鳴り響いてます。

先生がくれた沢山の優しさを、色んな人に返さなきゃですね。

息子や周りの人達。特に息子ですね。息子に先生の金言、教えますよ。

 

先生が書いた本、読み直します。

 

38歳で息子産んで、人生折り返しと感じて、数ヶ月前はこれから周りの人達が去っていく段階に入ったんだなあと思ってたら、先生が亡くなるとは。

 

 

気持ちをまとめようとしたけどまとめられませんね。

 

只、息子が生きる希望なので、息子は私の人生の北極星なので。

 

生きますよ。

 

見守っててくださいね。

 

 

ぐちゃぐちゃした感情が色々沸き起こるけど、最終的には

 

ありがとう

 

 

しかありません。

 

 

向こうで思う存分タバコを吸って、沢山映像を見て、沢山中日ドラゴンズ応援しててください。

 

 

絶対たくましく生きますから!約束します!

 

ありがとう!

今いる場所。

何故ここにいるんだろう。

今籍を入れて一ヶ月ちょっと。同居したのは二ヶ月ちょっと。人生ほんまどうなるかわからないなと不思議なのだ。

 

恋焦がれたあの人でもなく、憧れて好きだったあの子でもなく、隣にいるのは別の人。不思議だ。

 

結婚生活は楽しいと思う。大学の下宿生活みたいで楽しい。旦那も私も吉田寮に出入りして、付き合ったきっかけも吉田寮の話しで盛り上がったからだ。吉田寮からいろんな意味で遠い私の地元で吉田寮の話しができた。それがきっかけ。

 

大学卒業してから、海に浮かぶヤシの実のようにふらふらと漂っていた。そしたらどこかに辿り着くだろうという感じでふらふら生きてた側面もある。島崎藤村の童謡のヤシの実の歌詞のように生きようと思ってた。そしたら吉田寮の縁で吉田寮のような新婚生活をしている。

 

本当人生ってなんなんだろう。

 

結婚は本当に流れるように抗わず、入籍をした。マリッジブルーもあったけど、まあええだろうという今現在。それを受け入れた。

 

只、困惑してるのは、人生の不思議さだ。なんでここにいるんだろう?不思議でたまらない。求めるものを捨て、やることやってたら猛烈にアタックされた。そして押されて結婚した。

 

結婚ってそういうものなんだろう。恋愛漫画みたいなものではなかった。只、生きやすくなるつがいが出来た感じ。

 

只、仕事も沢山したいし、新しい土地だから友達少なくてちょっと寂しいけど、それが大人になることなんだろう。結婚に躊躇ったのは、大人になるという覚悟をしないといけないという現実に感づいたからだ。

 

夜、1人で呑みに行けないのが辛いけど、大人にならないといけないんだなと受け入れる所存。いつかはまた自由な時間も増えるだろうし。その時(老後)は寂しい時なんだろうね。

 

なんだかんだでこのモヤモヤは人生の不思議さに私は困惑してるだけなんだ。

暇を楽しめないのはなぜか?

私は元々呑気な人間だった。高校の週末の時も、部活の後輩がスケジュール空いてると不安!と言ってたのが理解できなかった。

 

一人の時間を楽しめばいいじゃん?

 

そうアドバイスした記憶がある。

 

大学の学風も、自由にのびのびさせてくれるので、もっと呑気だった。お一人様を楽しんでいた。一人でカフェ行ったり、本屋行ったり。

サークルの友達は沢山いたけど、一人の時間も大事だった。

 

ここ最近の私はどうだ?ここ数年、暇が毒になる。

28歳の時、同い年で、バリバリに活躍してるビジネスマンに会ってから、自分こんな呑気でいいのかな?と衝撃なぐらい、凄い大人びた男性のビジネスマンだった。その方は、著名な方と一緒に登壇している。家入一真やイケダハヤトな人達と登壇してたな。

 

それから焦るようにキャリアを積んできた。婚約破棄でもっと拍車がかかって、色々やってきた。メイクアップアーティストの資格も取った。化粧療法の資格も取った。

その頑張りからか、私と結婚したいと言う人が現れて、そして実家の家も建て直ししないといけないとか、新しい新事業とか色々大事なターニングポイントが重なって、私は追い詰められてるから、暇を楽しめないのかもしれないと今思ってる。

 

結婚して、嫁になり、子供を育て、家業を継ぐ。。。

 

また「当たり前」のレールの人生に戻ってきて、人生がつまらなく感じているのかもしれない。

 

大学は、アウトローな学風だったけど、それで大いに人生のレールから外れたけど、なんだかんだ元のレールに戻ってきている。

 

それでいいのか?自分。

 

と虚無感も感じる。

 

かといってアウトローな生き方をするほど、勇気がない。

 

母親に守られ、結婚したらパートナーに守られ。。。

 

私は、たくましく自分の人生を開拓したいんだと思う。

 

かといって、そんな体力も無く、自信も無くて揺らいでいる。

 

本当にこんな人生でいいの?

 

ってこれ離婚した人と同じこと思ってるな。

 

女性は働きながら子育てするのは、まだこの国では中々しにくい。

 

そう言う意味では、私の会社は子育てしやすい働き方なんだが、まだまだ販売するのが慣れてない。

 

また迷っているのだろう。

 

マリッジブルーとも言えるかもしれない。

 

とりあえず、目をつぶって結婚の向こう側へ行ってみよう。

 

と思いつつ、まだびびっている自分。

 

心の落とし所が見つかりますように。

 

虚無。

最近、虚無感に包まれている。去年あたりから暇を楽しめなくなってきた。空虚とも言えるかもしれない。

 

多分大きなミッションが控えているから、ちょっとの空き時間があると不安になるのだ。そのミッションというのは、寶船のコーディネート。

 

それぐらい大事なミッションと思ってるんだろう。送りバントをせず、寶船さんをおもてなしするため。

 

でも彼らはどんどん忙しくなっていて、中々捕まえることができない。

 

私の地元での貢献って今のところ寶船さんをアテンドするぐらいしかないから、余計に力んでる。

化粧療法もするけど、もっとビジネスプランを練らないといけない。

 

化粧療法で営業なり、お金を取ってはいけないことになって、それで事業しようとしてる私には寝耳に水だった。前と言ってることが変わったから。

 

やることがたくさんある。去年より大きな山なので、ちょっと空虚なのかもしれない。

 

生きるのはめんどくさいけど、まだ生きるのをやめたくないのだろう。

 

やっていきますよ。

 

やっていきましょう。

友達付き合い。縁を考える一日。

バタバタとしていて、いつのまにか二カ月放置していた。

仕事がタイトで、盲腸になり今安静にしている。

初期なので、抗生物質で散らすことかできたみたいで、今痛みは全くない。

 

上手いこといったら、来年の秋に京都で結婚式を挙げるかもしれない。

なので、大学時代の妹的存在の子にメール送ったら、アドレスを変えていた。ショートメールで送信した。電話番号を変えてなければいいが。

その子は大学の友達と縁を切ろうとしているので、頻繁に連絡を取っていた。しかし、仕事とプライベートでドタバタで、半年連絡を取ってなかった。その子はSNSをしない子。だからちょこちょこ連絡を取っていた。

10月から連絡取ってなかったから、その時はビジネスコンペのプレゼン資料作成してドタバタしていた。今週に入り、やっとひと段落終わっていたのだ。

 

友達と知り合いの区別がよくわからない。友達多いと言われるが、面識がある人が多いのが現実だ。友達と言っていいのかな?と思ってしまう。

大学のサークルの友達は、広く深く信頼関係を作っていた。サークル外の友達も、凄く良い関係を作ってるねと言われるぐらい、凄い青春を全うした。

社会に出て、深い付き合いの時もあったけど、地元のコミュニティがギクシャクしてきて、今の地元のコミュニティは広く浅くである。悲しい。

友達付き合いを断捨離はしたくない。しかし繋がりすぎて身動き取れなくなって整理しようかと思ったが、縁を大切にせなあかんなーと最近思うようになった。

 

友達をモノみたいに捨てたり整理したりもしたくない。ただ、地元で友達を選ばすいっぱい繋がってしまったのが失敗だったと思う。Facebookで安易に繋がれる時代だし。

 

今のスタンスは、付き合いたい人と付き合う。シンプルにそう思う今。

 

結婚式はみんな来てくれるだろうか。SNSで頻繁に会わなくても繋がってる感があってそれが良い面もあり、悪い面もある。

 

大学のみんなに会いたいな。

ご縁を考える一日。

地元。

今日は、自分をまとめるための日記。

 

寶船が、今年いけだ阿波おどり参加できるかグレーゾーンらしい。他の徳島の自治体から呼ばれているらしい。

 

私は個人で呼んだけど、向こうは観光協会だ。どんどんビッグになっているから、良いことだけど寂しい。

 

nuitoの時もそうだ。まだ平井君が歌ってた時によく遊んでたけど、どんどんビッグになって、会社も大きくなっていって、誇らしい反面どこか寂しい。彼はphaさんとつるんで色々している。

 

学生の時は同じ地点にいたのに、みんなそれぞれの道を歩んでいく。ライフステージが変わると、話しが合わないことがある。地元の友達なんてもっとだ。私は真っ当な道から外れた大学へ入学したのだから。リベラルな大学だった。当たり前をどんどん打ち砕く大学だった。

 

大学の友達はまだ付き合いやすい。そして地元に帰って移住者やUターン組のコミュニティに属しているけど、そのコミュニティで知り合った人と付き合い、婚約破棄になった時、みんなよそよそしくなった。どこか冷たくなった。

 

ああ、そうだ。地元ってこんなとこだから、逃げるように地元から離れ、京都の大学へ進学したんだった。

 

何かしら監視しあっている田舎の地元。プライベートは無い。仕事じゃなくても、ボランティアで働かされ、あいつはできるやつできないやつと監視されている。いわゆるムラ社会。

 

なので、寶船を呼んだのも、あいつは何も出来ないというレッテルを剥がしたかったんだ。寶船さん呼んで来た地元の有力者も、損得勘定で寄ってきて手のひら返しをした。そしてその手柄を取ろうとしている感じもした。

 

寶船さん来なかったら、使えないやつとまたレッテルを貼られる。そんなドライな田舎というのを忘れていた。

 

実際地域振興のNPOで、あなたも正会員だから地域振興頑張ってよと、言われたのが引っかかっている。お金を払って仕事しろなんて、ギブアンドギブじゃないか。だからNPOはボランティア会員にした。お金払わなくてすむボランティア会員にした。

 

何かしら利害関係のある、プライベートの無い田舎社会。こんなんじゃ、そりゃ地元から離れていく人いるよなと思った。使える移住者はウェルカムで、使えない移住者は出てけってスタンス。

 

何となく地元の思い入れも無くなってきてしまった。高松へ嫁に行って、地元捨てようかなとも思っている今。

 

ある友達は、私のツイッターをみて地元で摩擦が起こっていると言ってたけど、そうかもしれない。

 

程よい距離感を持って接したら大丈夫かな?

 

地元のためにやろうとした事業も、やる気失ってきている。

 

しばらく私のこの気持ちを寝かせておいて、やるべきことをやっていこう。

足るを知る。

目の前のことをやるだけ。今はそれしかないとクリアに思う。

 

女性起業家のコンペの一次審査が通ってしまった。今週末の土曜日は、パワーポイントを使ってプレゼンをする。人前で話すので、明日から何回も喋る練習をする。

 

私は今、とある銀行の起業セミナーに通ってるんだけど、コンペの一次審査のエントリーシートを銀行の営業マンが見たらしく、母親と私と話をしたいと言ってきた。補足すると、母親も前年度の銀行の起業家セミナーに通ってた。私も右も左も細かいことがわからないので、参加してみた。

 

私の新規事業を、母親は勝手にやってと言ってたのだけど、儲かるかもと乗ってきた。乗ってきて、色々干渉してきた。

 

父親は事業を失敗していて、今通っている銀行をポシャってる。なので母親が代表だと倒産した父親が保証人になるので、無理だと。なので私が代表になって、母親と二人三脚でやるのならお金を貸すよと。

 

ちなみに新規事業は資本金は殆どいらない。只、実家がボロボロなので、新しい家を建て直したいという母親の願望で、私に住宅ローンを背負わされそうになる。母親が五年で1500万、色々入れて2000万を銀行から借りるが、私の名義だ。お金は母親が五年で返済するというが、多分無理だろう。時間がかかりそうだ。

 

私は欲があまりない。マイホームもどうでもいいし、高い服も欲しいと思わない。どちらかというと、良いやつを安く買う掘り出し物を見つけて買うのが好きだ。今はファストファッションがいっぱいあるし。

 

なので、見栄で豪華な家を買って、一階は事務所件サロン、二階は住居がいいけれど、65歳にもなって何をそんなに夢を求めるんだろう。現実を見たらいいと思う。足るを知るということを知らないのだろうか。

 

昨日もカナダ産の1500万の住宅を見に行った。確かに素敵だけど、数年経てば住む人によって家は汚くなるだろう。母親は、私と一緒でだらしない女なので。

確かに家は崩壊しかけだし、美容の仕事だから綺麗なサロン持った方が良い。化粧品を売る仕事だから。

 

私は高松と地元の二拠点住まいになりそうだし、そんなに持ち家が欲しいのかがわからない。私が嫁に行ったら、両親二人が死んだら空き家になるしもったいないなー。

 

マンション買って小さな事務所件サロンだけ作るのはダメなのだろうか。

 

母親は欲深い。私は儲かっているというのを、地元でアピールしたいとそんなことを言ってたが、その思考は愚かだ。

 

足るを知る。大事なことです。

 

見栄で借金するのは愚かということを気づいてほしい。